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06 22
2014

右傾化再考

明治20年代の文章は読めません――『日本の名著 37  陸羯南 三宅雪嶺』

4124003773日本の名著 37
陸羯南 三宅雪嶺


中央公論新社 1982-02

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 これは完全に読めませんでした。お手上げ。明治20年代の文章は漢文調すぎて、わたしの読解力を超えていました。

 いちおう三宅雪嶺の文章は目を通せたが、十全の理解にはいたらず。こんど二者の文章を読むときは現代語訳に限る。

 このふたりは明治20年代に活躍をはじめたナショナリストであり、開化や欧化の時代に抗してあらわれてきた国粋主義者になる。欧化に乗りおくれて、うち捨ててられた人たちの声を代弁することになった人たちといっていいだろうか。

 わたしの立場はもちろんアンチ・ナショナリストである。国家主義者になる心情がわからないからこそ読むのであり、またそういったステレオタイプに割り切れない心情や意見ももっているはずなので、その参考もくわえて読みたい気持ちがある。

 なにより国家目標を日露戦争前後にうしない、煩悶や閉塞の時代を生きなければならなかった青年たちがどのようにのちの軍国化時代に巻き込まれていったのかという精神史をたどりたいという気持ちが強い。

 それはこんにちでも、バブル崩壊やそのあとの閉塞感、ニューロストジェネレーションといった時代の経緯とひじょうに似通った時代をたどったのではないかという思いからである。あの時代の範をたどるのではないかという懸念は、こんにちの右傾化再興でよりいっそうの疑いを深めた。

                    *

 陸羯南は『日本人』という雑誌を刊行した人で、明治中期にもっとも発行停止の処分をこうむった雑誌である。『近時政論考』や『国際論』がこの本におさめられている。

 陸羯南も三宅雪嶺も、福沢諭吉のようなポピュラルティをもったこともなく、帝国主義者・高山樗牛のような論壇の寵児となったこともなく、大衆的人気とは無縁の存在であったようだ。

 三宅雪嶺はこの本の中では、『真善美日本人』、『偽悪醜日本人』、『明治思想小史』などがおさめられている。大正2年に発表された『明治思想小史』は口語的になっていて、だいぶ読みやすくなっている。

 しかしどうなのだろう、かれらだけがナショナリストなのではなくて、明治の開化論者もおしなべてナショナリストではなかったのか。分かつのは西洋化か、日本主義ではないのか。懐古論者に近かったのだろうか。福沢諭吉だって西洋列強にならって植民地主義をとなえているのであり。

 大衆的人気をえなかった明治のナショナリズム・国粋主義は、のちに神がかり的な日本主義の戦争へと押し流されてゆくのであり、軽視できる存在とはいえないのではないだろうか。

 こんどかれらの本を出すときは、現代語訳で出してね。


欧化と国粋――明治新世代と日本のかたち (講談社学術文庫)近時政論考 (岩波文庫)陸羯南―自由に公論を代表す (ミネルヴァ日本評伝選)真善美日本人―付・偽悪醜日本人 (講談社学術文庫 (684))


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