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06 18
2014

右傾化再考

超国家主義の精神史に肉薄した一冊――『橋川文三セレクション』

4006002572橋川文三セレクション (岩波現代文庫)
橋川 文三
中島 岳志〔編〕
岩波書店 2011-12-17

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 探していた内容の本をようやく見つけた感がする。橋川文三という人はまったく聞いたことがなくて、戦後思想の断絶を思い知らされる。1922年に生まれ、83年に没した人で、政治思想史が専門。

 雑誌に掲載された論文をあつめたもので、戦前に超国家主義にいたる道すじ、精神史あたりを知りたいと思っていたわたしは、この本の中のとくに「明治のナショナリズムと文学」、「明治の終焉」、「昭和超国家主義の諸相」、「昭和維新試論(抜粋)」におおいに感化された。本の半ばからは保守主義論考や三島由紀夫論になって、わたしには不要の内容。

 わたしはいぜんから歴史の反復として明治の「高等遊民」から、啄木の「時代閉塞の時代」、そのあとの戦争にいたった道すじ、精神史を知りたいと思っていた。現代の時代にも似たような精神史を経るのではないかという時代反復の懸念からである。

 そしてそういったエアポケットを埋めるのが、戦前の右翼思想や超国家主義であったことにようやくたどりついたようだ。心理学や文学では探りえなかった欠落は、右翼思想史に埋もれていたとはね。

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 「明治の終焉」では日露戦争後に国家目標が終焉し、青年の中に「煩悶」の季節がやってきたことを捉えた論文になっている。もう青年は国家の関心をうしない、芝居や個人的関心に興味をうつし、失望や煩悶、厭世などに気分がとらわれ、明治の国家的一体感、目標は瓦解しようとしていた。

 社会主義思想が蔓延し、自然主義文学が国民思想を悪化させるものとして、国家権力がこれに正面から宣戦したのが、日露戦争から三年後の明治41年とされる。

 天皇と元老の権威も衰退し、伊藤博文が暗殺されて(明治42年)、国家権力の中枢部分の機能不全もめだつようになっていた。そして無政府主義の幻影に怯えるように、翌年に大逆事件がおこる。

 宗教的欲求の時代がやってきて、千里眼などのオカルト・ブームがおこり、啄木は「いまやもう少しも流動しなくなった国家体制の硬直化を、『時代閉塞の現状』(明治43年)で批判した。

 明治末年にはすでに日米戦争を予想した未来戦物語が流行していたし、政府も仮想敵国をアメリカに想定していた。そして明治45年に天皇崩御。

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 「昭和超国家主義の諸相」はとくにウルトラ・ナショナリズムへといたった精神の道すじに肉薄したすぐれた論文であると思う。

 ふたりの人物がおもにとりあげられていて、財閥創業者を暗殺した新しいかたちのテロリズムをはじめた朝日平吾の精神史、血盟団事件をおこした井上日召に典型的にあらわれたとされる明治・大正青年の人生論的煩悶といったものを追ってゆく。

 朝日のテロリズムはごろつきの自暴自棄の犯行と思われていたり、神経衰弱で思想方面に関係のない暴漢の犯行と思われていた。明治のテロリズムと違った様相のテロがあらわれてきたことを、徳富蘇峰や少数の人しか気づかなかったようだ。

 明治の元老や政財界の重鎮たちを片っぱしから殺してしまえと朝日は遺書に書き、のちの生半可なインテリたちが政財界の要人たちをつぎつぎと暗殺してゆくことになる。

 朝日は下層中産階級の破滅型人物で、社会的になんら地位をもてなかった。自己喪失者の意識をもっていたのであり、明治の身分上からおこなわれたテロリズムと明らかに様相を別にしていた。

 橋川文三は政治的暗殺に、父親憎悪と自己懲罰を読み込んでおり、父を憎んだ青年たちがテロリズムに親近性があったとする。父親殺しに相当するものであった。

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 橋川は超国家主義の道は、朝日、中岡、小沼といったテロリスト青年たちを原初的な形態とし、北一輝と石原莞爾に完成形を見て、井上日召、橘孝三郎に中間的な形象を見ている。

 日露戦争前後に青年たちは人生論的煩悶にとらわれていた。大正時代のインテリの典型としてとりあげられる井上日召も投身自殺をこころみたことがある。

 超国家主義というのは、現状のトータルな変革をめざした革命運動であった。ここでは農村恐慌や都市零細民の困窮といったことはあまりとりあげられていないのだが、これを端緒にナショナリズムの動きはおこったのか、あるいは人生論的煩悶に端を発するのかは、橋川の立場は後者なのだろう。

 暗殺であれ、青年たちは「求道者的スタイル」で向き合っていた。「内面的完成」をめざしており、制度や組織化の志向をもたなかった。

 人間が人間らしく生きること、これ以外に革命の本体はない。橋川文三はこの宣言こそが、昭和の超国家主義の原動力であり、カリスマ的異端者に青年たちを集わせた究極の衝動であったと結論づける。明治国家では人間が人間として生きる生衝動、内側からの倫理原則といったものは禁圧されていた、その反動であると。

 自我とはなにか、世界とはなにかといった煩悶哲学青年たちの発した求道的な問いが、世界革命のシンボルに収斂されていったのだと。そういった精神遍歴をもっとも鮮明にあらわしたものが、大川周明だといっている。

 わたしは農村恐慌や都市民の困窮の中で、無能さや腐敗をくりひろげた政財界の憎悪や怨恨がテロリズムや軍国化をみちびいたのではないかと見るのだが、橋川はこの経済的困窮や格差を主原因に見ないのだろうか。

 朝日の遺書には、特権階級が平等に享有すべき生活上の幸福を収奪、蹂躙しているのだという認識、憎悪があった。それは経済的困窮なのか、哲学的人生の煩悶から発するものであったのか。

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 「昭和維新試論」は講談社学術文庫で手に入れることができて、この本では「序にかえて」が抜粋されている。おもに渥美清という忘れられた「奇人的無能者」がとりあげられている。維新運動者の父として記念されることになった人物のことである。

 要点の抜き書きは以上にするが、さすがにこの少ない容量ではとてもまとめ切れるものではない。というか、わたしの頭の中で整理されていないだけ。

 まったく名前に聞き覚えにない橋川文三であったが、日本がウルトラ・ナショナリズムへといたる精神の筋道をかなり明らかにしてくれる思想家であったと思う。わたしはことさらに日本の戦争関係の歴史言論は避けてきて、さっぱり名前を聞かなかったのもあるが、ふつうにしていてもこの名前を聞かなかったことに戦後思想の断絶を感じる。


日本浪曼派批判序説 (講談社文芸文庫)昭和維新試論 (講談社学術文庫)昭和ナショナリズムの諸相ナショナリズム―その神話と論理黄禍物語 (岩波現代文庫)


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