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04 19
2014

右傾化再考

蔑視すれば私は偉い――『侮日論』 呉 善花

4166609548侮日論
「韓国人」はなぜ日本を憎むのか (文春新書)

呉 善花
文藝春秋 2014-01-20

by G-Tools


 じつに冷静でおちついた議論が読める本。韓国人はなぜ反日で、侮日なのか、韓国人の内情に迫れていると思う。

 ヘイトスピーチや嫌韓本の書店での増加といった傾向から、この本を手にとったが、わたし自身はこの件にかんしてはまるで興味がないので、どうしてそういうトピックに興味があるのかという姿勢でこの件にのぞんでいる。

 民族主義というのは生理的嫌悪や反射的蔑視感というものを植えつけてしまうものだが、どうしてこういうパブロフの犬が形成されるのだろうね。この感情のうえでものをいったり、考えたりすると生理的嫌悪と蔑視のすさまじい言葉しか出てこない。この反射回路に巣食われないようにするにはどうしたらいいかを考えるようにしたい。

 反日感情のこの本での説明の大きなポイントはふたつある。中華主義と血族主義である。

 中華主義は中国がもっていた思想で、みずからは世界の中心であり、遠くになるほど蛮族や夷狄の存在する世界になり、文化の優越たる中心国が、夷狄に文化・道徳を教え、支配するという思想である。

 これはヨーロッパの「先進国イデオロギー」と「文明国の使命」と同じ考えである。日本はこの序列で近代を捉えるようになっているのだが、朝鮮ではまだ中華思想の序列観をもっているのか。

 35年の日本統治で反日になったのではなく、古くは李朝にさかのぼるこの中華思想が日本蔑視の根源にあるということである。どうも韓国は植民地支配から日本に批判をくりひろげていると思われているが、劣等の対比としての文化と平和の自民族があるという思想のようである。

 まあ、民族とか国家の優劣感というのはこういうたんじゅんな図式をもってして、自国民を鼓舞したり、自負するのは常套手段である。優越感にひたるには蔑視の対象が必要である。こういうイデオロギーで優越感をもつというのは、劣等をないものにして、国家や民族で優越感を感じたいという需要が大きいのだろうね。

 蔑視によって保たれる優越感なんて、ろくなものではないと思うのだけどね。はたから見ていて人をバカにする人のどこが偉いのかと小学生でも見透かされるのじゃないか。

 韓国人は公的には反日であり、私的・個人的には親日であるというのが実情であるらしい。国家や民族では憎めても、個人にたいしてどう憎めばいいのかというのもあるのだろうね。

 もうひとつのポイントは「身内主義」であり、血族が絶対的な善であり、正義であり、この繁栄を犯すものは絶対的な悪という儒教の思想が韓国には根づいているということである。家族以外は容易には信じないアカの他人だと思っている。

 また韓国は子孫は先祖のうけた被害をどこまで覚えていて、恨みを晴らさないければならないという「恨の多い民族」だといわれている。この身内主義・家族主義が民族や国家まで拡大されて統一されたのが韓国だということである。

 韓国では友だちであったら、勝手に筆でもボールペンを使うのが親愛のしるしらしい。日本では勝手に使われたらいやな顔をされるので、先に「貸してくれる?」というものである。これをされたら驚くだろうね。

 嫌韓本の台頭は反日にたいする反発からおこってきたものといわれているが、他民族の蔑視感は日本人は世界でももっとも薄いと著者にいわれている。韓国人のほうが世界的にいってかなり強いらしい。

 嫌韓やヘイトスピーチの台頭は日本の右傾化の逆戻りとしておそろしい感を抱かせるのだが、たんじゅんな自国の優越や自尊心を保つための隣人の蔑視といった図式にのっかかる人が多いのかもしれないね。

 蔑視していればわたしはそうではない、偉い人間だと本人には思えるかもしれないが、本人はほかの優越や自尊心をのばす努力や方向をまるでもっていないのではないかと思う。足をこんなことにすくわれてはならない。



なぜ「反日韓国に未来はない」のか(小学館新書)スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)悲しい日本人(イルボヌン オプタ)悪韓論 (新潮新書)呆韓論 (産経セレクト S 1)


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Comment

No title

 「蔑視すれば私は偉い」と言った思想は、実に個人的なナルシズムだと私には思えます。
 この手のナルシズムは、特定の民族だけが持っている民族主義的・国家主義的イデオロギーではなくて、韓国に限らず日本でも(恐らくはどの国でも)見られる人間の防衛心理的なもの、なのかなと。もちろん、国単位・民族単位で強弱はあるだろうとも思いますけれど。

 個々人の中にまず「私は偉い(正しい)」という無意識があって、それがイデオロギーと結びついて「自分にあって他人にない(あるいはその逆)」を基準にした「粗」を他人に見出してしまう。そして見出した粗を根拠にしては「自分が正しく相手が間違っている」という意識をますます強め、それをヘイトに結びつけてしまう。
 差別意識ってこういうスパイラルの中にあるものなのかなと、少し前のうえしんさんのツイート(http://bit.ly/1gScDqa)と今回の記事を読んで漠然と考えたりしました。

 私もこんなものに足をすくわれぬよう、バイアスやイデオロギーに囚われることなく自己肯定感を養いたいですね。
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