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04 10
2014

レイライン・死と再生

「かなまら祭」にちなんで性器崇拝と隠蔽の文明化

 4月の第一日曜日に川崎市の金山神社で奇祭の「かなまら祭り」がおこなわれたのだが、性器崇拝は不都合なことに日本の堂々たる「伝統文化」である。ネットで数年前に知るようになったが、テレビや新聞では大々的に報道されないだろう。

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放送コード・公序良俗に反しないよう自主的にモザイク使用しております。(「巨大男根が街を練り歩く! 川崎市の奇祭「かなまら祭り」現地から実況ツイート」 /トゥキャッチ」から)


 現代の日本人じたいも性器崇拝のおこなわれる理由などさっぱり断絶しているのだが、現代でも神社などにその偶像自体や痕跡をいくつも見つけることができる。(全国の性神はこのサイトでごらんください。「性神博物館」)

 なぜ断絶したかというと明治の西洋化にともなって粛清され、性観念もさっぱり西洋化されてしまったからだろう。遅れた、非文明的な、恥ずかしいものとして、古来の日本の性風土はすっかり過去に葬り去られた。


性器崇拝の論理

 どのような論理のもとにむかしの人は性器崇拝をおこなっていたかというと、人間の食糧になる穀物や動物といったものは交尾や生殖によってその種を繁栄させる。人間の食糧は動植物の生殖のいとなみによって人間にもたらされる。食糧の豊富さは生殖によってその大小が決まるのである。生殖を崇拝する論理というのは、ぜんぜん奇想天外でもない。

 なぜ動植物ではなくて、人間の性器が崇拝されなければならないかというと、むかしの人は動植物の生殖は「神の介在」によるものだと考えられていた。穀物や動物の神である。それらの神の生殖力が旺盛になることによって、人間の食料たる動植物の繁栄と豊穣がもたらされる。

 神の生殖力を刺激し、旺盛にするためには、人間もその活動を旺盛にして神々をその気にさせなければならない。といったことで日本のむかしの儀式や祭りには性的な放縦な行為がおこなわれたといわれるし、神々が宿るとされた人間にも性の饗宴が捧げられなければならなかった。性器には人間の、神の、動植物の、その繁栄と豊穣の意味がこめられていたのである。

 ぜんぜんクレージーでもイカれたわけでもない論理によって性器は崇拝されたのであり、このような宗教はなぜ文明化にともなって禁圧されてゆくことになったのだろう。

 もうひとつ忘れてならないのは、この世界――太陽も宇宙も神々の性交によって生み出されると考えていたことである。自然界の非生物も生殖によって生み出されると考えていた。世界の創造は神々の性交によって生み出される「生殖論的宇宙観」といったものが古代の宗教世界をおおっていたのである。


なぜ性器崇拝は禁欲的規範に滅ぼされたのか

 なぜ食糧の豊富さを願う繁殖論的世界観は、現代の隠蔽的・禁圧的な性観念に道をゆずったのだろう。食糧の豊富さを願うのはこんにちでも変わらないはずである。西洋はなぜ禁欲的性観念を必要としたのだろう。

 西洋でもキリスト教以前は日本の豊穣祈願のような繁殖論的世界観による宗教が勢力をもっていたと思われる。キリスト教はなぜ食糧の豊富さをねがわないような、子孫の繁栄をも否定するような禁欲的性倫理を導入しなければならなかったのだろうか。

 仏教の倫理では神の国に入るためには現世の執着を断たなければならないとされる。現世に執着させるものは生であったり、性もそうであり、物質や自我といったものである。神の国にいたるためには、現世を否定しなければならない。

 その筆頭にあるのが性の禁欲であり、古代の繁殖論的性観念は葬り去らなければならなかったのだろうか。

 生の快楽をもたらすようなものはできるだけ断ち切るか、遠ざけなければならない。禁欲的観念がキリスト教、西洋中世をおおい、その快楽延期の方法が、文明化や近代化をおしすすめる背景になったと考えてよいだろうか。

 文明化はいますぐの快楽充足によっては発達しない。快楽充足の禁欲と延期によって、そのあいだに勤勉や技術、技能の導入がおこなわれやすくなったと考えることもできる。

 快楽の即時充足は人に文明をもたらさない。すぐにかなうなら、なにも技術や勤勉といった迂遠な方法を耐える必要はない。労働も欲望の延期と忍耐によって、人がつくったものをお金という迂遠な方法で手に入れる。

 人は欲望の先のばし、禁欲によって未来の充足まで忍耐する方法を身体化することによって、文明と高度な技術をモノにする方法論を鍛錬することができるようになったといえるだろうか。

 偶然の帰結であったかもしれないが、神の国への忍耐と禁欲の参入の道は、文明と労働の忍耐力を人々に身につけさせ、そのことによって文明の技術と知識の進歩への道が切り開かれたと考えることもできる。

 明治までの日本の庶民は裸をそう隠さない、羞恥を感じないお国柄だったと一部の指摘がのこっているが、人が服で裸を隠すのも性的迂遠、性的禁欲をもたらし、欲望の延期によって快楽の充足の増大につながったと考えるなら、欲望の忍耐・迂遠化によって文明化に貢献したとも考えられる。

 禁欲は思わぬところで文明化への道を切り開き、そのために文明化と労働化への道すじをつくったとするのなら、生と性の即時充足はできるだけ遠ざける方法が文明には必要とされることになる。

 ウェーバーのプロテスタントの倫理とかバタイユの破壊の快楽のための文明といった説とつながると思うのだけど、工業化・文明化は欲望の先延ばし、延期によってもたらされるゆえに、性や生の即時充足は遠ざけられたと考えることもできる。それは神の国への禁欲によってその態度が偶然にもたらされたのではないかということだ。


性はなぜ公共からの隠蔽されるのか

 このかなまら祭りがネットで注目されるのは、ふだんの社会から性的なものがいっさいぬぐいさられて、隠されているからである。性的なものは表に出してはならない。

 どうして現代の社会は公共から性を隠蔽・追放しなければならないのか。かなまら祭りはこの規制コードへのテロリズムのような様相をなし、それゆえに外国観光客からも注目される。とうぜん日本の茶の間にうつされる全国放送にも報道されることはない。

 「性的人間」であることを隠されるおもなものは家族間であったり、企業や公共の場でもそうであり、青少年にも隠されなければならないとされる。

 性は性以外の役割・関係でなりたっていた秩序を壊してしまうし、欲情を喚起させるものは遠ざけられる。守りたいものは性以外の社会秩序であり、一夫一婦制の貞操観念であったり、また即時快楽充足ではない快楽の遅延・ひきのばしによる勤勉・文明化といったものだろう。青少年は将来のためにこんにちを我慢する文明化が必要というわけである。

 古代にあったような繁殖論的世界観によって欲望の即時充足・解放があっては困るのである。性や裸は羞恥を感じるものであり、隠さなければならないものであり、貞操を誓った相手にしかゆるされないものである。そのことによって文明の秩序や行動様式を身体規律化する。

 性の解放は文明の秩序と抵触するのである。個別的な羞恥心が文明の砦を守る情緒反射としてくみこまれているのだろう。

 その性の隠蔽化は複製製品による性の商品の氾濫化をもたらした。性は写真や映像による複製製品で充足されるものになったのである。性の禁止化が性の商品化をもたらし、商業化の中にとりこまれる。直接身体性をともなわない複製技術による商品化として性は消費される。公共から隠蔽・追放されるから、闇市場のような性商品があふれ出るのである。

 性は直接身体性をともなうものより、マスコミによる女優やタレントといった複製製品に求められ、充足させられ、その複製製品の中での裸や行為がわれわれの関心事となり、われわれの性欲情を扇情する。

 性は公共から隠され、追放され、直接身体性のなかではなく、複製製品による性の封じ込めと関与の回路がかたちづくられる。われわれの性は直接的な身体の関係にあるのではなく、マスコミや複製製品のなかの商品と化す。性は身体性のなかではなく、マスコミや映像の二次元の世界に封じ込まれる。

 性は禁止され、関係性や身体性をともなわないヴァーチャルの幻想世界のできごととなったのである。そしてそれを貨幣で手に入れるためには労働と勤勉という文明の遅延とひきのばしを必要とするというわけである。


 性器崇拝のような、繁殖論的世界観による性の直接的身体性をともなった解放が古代のようにおこなわれば、文明と勤勉の抑制回路が危険にさらされる。文明を守るために性器崇拝やかなまら祭りのような直接的な性崇拝の信仰は世界から駆逐されていったのである。

 性器を祭る、または性を隠蔽するというのは文明のへそ、文明という風船の結び口なのかもしれない。それを解放してしまえば、文明という風船はたちまちしぼんでしまうかもしれない。

 性器を祭るかなまら祭りのような性の解放はそれゆえに隠蔽的性規範のテロリズムのようにうつるし、公共の電波や全国のニュースには流されることはない。この祭りを抑えることによって文明の壁は高く屹立するのである。


▼関連本
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)エロティシズムの歴史: 呪われた部分 普遍経済論の試み 第二巻 (ちくま学芸文庫)パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か宗教とエロス (1975年) (叢書・ウニベルシタス)裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)


名著絵題 性風俗の日本史 (河出文庫)遊女と天皇(新装版)裸体とはじらいの文化史―文明化の過程の神話〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)


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