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03 08
2014

右傾化再考

集団の武器とつなげるイデオロギー――『民族という名の宗教』 なだ いなだ

4004302048民族という名の宗教
―人をまとめる原理・排除する原理 (岩波新書)

なだ いなだ
岩波書店 1992-01-21

by G-Tools


 右傾化や嫌韓嫌中、ヘイトスピーチといった現象によってその心理的な側面を問われなければならない時代になった。サブタイトルの「人をまとめる原理・排除する原理」がまさに問われなければならなくなったのだろうね。

 この本は92年に出されていて、ブックオフでよく見かける本だが、このころは社会主義の崩壊やユーゴの内戦などがあってそのことを書かれていると想像していたのだが、ちゃんと原理的なことを考えている本だった。ただし、対話篇は思索を薄めると思うのだけどね。

「人間は数が重要だと知って、どうやって大きな集団を作るか、ずっと工夫し続けて来たような気がするよ。歴史なんて、人間がどのような集団を作ってきたかの記録だといえないこともない」



 「人間は集団を武器とした」という章のタイトルがより本質をついているのだろうね。わたしなんて個になろう、なるたけ集団から離れようという方向で生きてきたのだけど、数の力をたのみに人間の歴史は発展してきたのだろうね。

 数の力をたのみにするのって、「寅の威を借りる」とか「集団の陰に隠れる」といった卑怯で抑圧的なイメージをもってきたのだが、この方向性は人間の正義や向かうべき未来なのだろうか。

 思想や哲学では「全体主義」、「ファシズム」、「群集や大衆」といったものに批判的で、個になろうとする流れではなかったのか。それらは「文明」や「理性」に対抗する「野蛮」や「感情」の侮蔑語だった。戦後の日本も軍国主義の反省から、国家主義には批判的だった。数にまとまる原理は人類にとって「善」なのか。

 人間の集団が大きくなったのは、人間の敵が人間になったからであって、より大きな集団をつくることが勝利につながることになったと、なだいなだはいっている。そこで血のつながり、部族の宗教、あるいはそれらを超える宗教やイデオロギーが必要になったという。「帝国と世界宗教は紙の表と裏」ということである。

 イスラム教が世界宗教になったのは、祖先代々の血をうけつぐものという団結より、アラビア語を話すものという団結で大きくなったという。排除や差別の感情をもたらすイデオロギーより、より大きな同一性で結びつけるもの、それが大きな集団をつくりあげる接着剤になる。

 なだいなだは民俗学の柳田國男の言葉を引いて、民俗学をおこなう理由を近代化によって失われる民俗の記憶をのこしておくという主張に肯定的ないい方をしているのだが、柳田の民俗学はぎゃくに国家のイデオロギーとして機能してきたのではないのか。柳田は民族のイデオロギーを守って国家のイデオロギーに批判的だったのではなくて、国家イデオロギーの原郷をつくったのではないのか。

 ユダヤ人の歴史ではユダヤ人で団結しすぎるのはやめて、ドイツに同化しようとしたものたちが大きく業績をのこした。ハイネ、マルクス、フロイト、アインシュタイン、ベルクソン、モディリアニ。。

 しかしドイツ人をゲルマン民族だといいかえる国民=民族というフィクションが人種差別の原因になった。寛容な、同化をゆるすフランスでもドレフュス事件がおこった。東ヨーロッパ、ロシア帝国でおこったポグロムというユダヤ人虐殺があったのはあまり知らなかった、アウシュビッツではなくて。

 なだいなだは子どもの素朴な質問に前提となる考え方を問題にした。「同じ日本人なのになぜ自民党や社会党とかあるのか」という問いは、「違う考えをもつものは日本人ではない」という前提や雰囲気があるからこそ、成立する問いではないのかと。

 単一化や画一化は、労働力の規格品や大量生産のマーケットを生み出すために必要なカーペットづくりである。国家や階層といった障壁があるとそれらは広がらない。だから経済力の問題からも、規格化・画一化はおしすすめられる。わたしは思想を読んできた人間なのでこの流れには反対のほうである。ただ、平等で差別のない社会には均一化の流れは適している。

「人間は抵抗のために、まとまることができる。危機感がまとまらせるのだ。危機を前にした純粋な連帯感が、普段は意見の違う人間たちを、とりあえず集合させる」



 この本を読んでいたらまるで数で集まる論理を正義にいっているように思えるのだが、もちろん違うだろう。

 この本の近年に崩壊した社会主義は宗教より、国家を超える人を結集させる肯定的なイデオロギーの役割があったのだといっているのだが、社会主義はおおくの虐殺や強制収容所送りといった凄惨な歴史も生み出している。

 人間は集まる原理・イデオロギーをもったほうがいいのか、ばらばらな個人が自由に次善に生きられる方法はないのか。こういう原理的な本を読むとあんがい、かんたんに結集のためのイデオロギーのバランスシートが書けるように思うのだが、人はイデオロギーを現実のものとして信仰するほうがいいのか、それともイデオロギーの長所・欠点を客観的に知った上でそれを採用したほうがいいのかといった選択も残されるね。

 人をまとめる論理、排除する原理といったものは人類に壮絶な虐殺や戦争の汚点を残してきた。これにたいする理性的な解決法がもっと早く模索されるべきなのだろうね。


権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36)定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)民族とナショナリズムネイションとエスニシティ―歴史社会学的考察民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)


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集団の中の個を皆が尊重出来る意識にできたとしたら、その先は混沌とした世界が待っているとも考えられます。地獄かもしれません。
人間には完ぺきな共産主義システムを運用出来ないように集団の中にいて完ぺきな個でいられるというものを手に入れることはできない。
それは人間がどうしても幸せになろうとしてしまうからである。
一人山に籠もる、あるいは無人島で一人生きていける者、そこでしか幸せを手にできぬ者、そのようなものは集団には相入れられぬ
何故ならたとえ過干渉な集団が厭だとしても集団の中のコミュニケーションでしか作られない脳機能、神経回路があり、そのシナプスにしか幸福感を感じることができないからである。
粘り付くようなしがらみや組織とのコミット、イデオロギーや国家間の外交こそが幸せのプログラムを発動させる唯一の方法かもしれませんね。
もしかすると個人主義を尊重することが悪なのかも。
集団主義の悪い面ばかり追いかけるのではなくて、もっと良い面を探せばあるいは・・・
はあ…もっと一人の時間がほしい
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