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02 11
2014

右傾化再考

右傾化と経済的優越心の凋落について

 アメリカでも日本の右傾化の心配の声が聞かれるようになって、街ではヘイトスピーチのようなレイシストのがなり声が聞こえるような時代になった。

 なぜ右傾化が台頭するようになったのだろうかと右翼的心情をさっぱり理解できないわたしでも問わざるをえない。

 わたしは新聞の戦争責任とか慰安婦問題とか、南京事件のトピックにまったく興味もないし、避けたいと思ってきたので、なぜマスコミの人たちがとり憑かれたようにこのトピックに喰らいつくのかわからない。右傾化の台頭は、わたしの心情の理解からはかけなはれたところにある。


経済的自尊心の凋落と経済ナショナリズム


 右傾化の傾向はこの二十年来の経済凋落と貧困化によるところが大きいのだろう。かつてはナショナリストたちは日本の経済大国化に優越心と自尊心を満足させられることができた。この経済ナショナリズムの優越感が満足できなくなったところに、民族主義的でレイシズム的な右傾化が台頭してきたのだろう。

 いままで右傾化してなかったのではなくて、経済的ナショナリズムという平和的な方法がおこなわれてきただけだ。この経済ナショナリズムは危険でも、脅威をもたらすものでもなかったから、平和な方法で人びとは国家的自尊心を満足させることができた。

 右傾化というのはいま盛り上がってきたのではなくて、経済主義によって日本では大々的におこなわれてきたものであって、それによって満足させられなくなった人たちが民族主義的な自尊心の台頭にむかってしまったのがげんざいのあらわれではないのか。民族主義的な自尊心は差別的・排他的な言動や攻撃性となってあらわれ、他国の脅威をよびおこしやすい。

 個人主義的なわたしから見ると日本はずいぶん全体主義的な会社主義、労働主義を強制するじゅうぶんナショナリズムの国であったと思う。右翼的な心情をもっていながら、それが武力や軍隊にむかわなかったから右翼的とおもわれなかっただけで、経済主義、会社中心主義は国家のナショナリズムに奉仕するじゅうぶん右翼的な団体ではなかったのか。

 体育会系の支配する会社体制やブラック企業といったものは、日本の右翼的・全体主義的な体制をささえてきたのではないのか。企業や経済団体が一丸となって世界経済と競争する経済ナショナリズムの亢進が戦後日本の体制ではなかったのか。右翼的な体質は穏和的な企業活動、商業活動の仮面にかくされてきただけだ。

 経済ナショナリズムが成功したのは90年ころまであって、バブル経済の絶頂期にその目的の到達と消滅という転換をむかえた。その後は二十年の経済的凋落と停滞をむかえて、日本の経済的自尊心は落ちるいっぽうで、ナショナリスト的な人たちの自尊心を満足させるものではなくなっていった。落ちるいっぽうの国家的自尊心の代償として、民族的差別による自尊心が台頭するしかなかったのがこんにちの流れではないのか。

 経済的自尊心の満足と自負心が得られなくなって、ナショナリズム傾向のつよい人たちはほかのなにかで自尊心・自負心をいそいで探さなければならない。わたしの自尊心は壊滅的で、劣等感と絶望感でいっぱいである。国家的な優越心・自負心を経済のほかに探す探索がこれからも活発に動き出すのではないか。


なぜ国家に同一化できるのか


 個人的な幸福と自由をもとめたいわたしには、この国家に自尊心や自負心をかさねる心情がどうも理解しがたい。国家や集団がどう見ても疎遠なもので、自分との同一化なんてとても不可能である。どうして国家や集団に自分が同一化できるのか。なぜ自分の自尊心や優越感を満足させられるというのか。

 わたしは日本を代表する大企業の社員でもないし、日本文化におおきな業績や貢献をのこしたわけでもない。なんの貢献もつながりもないのにどうして日本のほこりや偉業に同一化できるのか。他人の業績や偉業を横どりし、盗みとり、タダ乗りできるのが「日本人のほこり」といわれるものの正体でしかないのではないか。それを個人的なほこりや自尊心とできるというのは、あまりにも「横領的な個人」が推奨されているだけといえないか。

 他人のモノを盗めば犯罪なのに、他人の著作物を勝手に使用すれば犯罪なのに、他人の土地を勝手に使用すれば逮捕されるのに、なぜ「日本人のほこり」の共有と私有は推奨されるのか。

 国家との同一化はニュースでもスポーツでもずいぶん推奨されるし、自明のものとされている。わたしは日本の躍進や活躍に胸躍らされ、鼻高々になる。応援するチーム、わたしの属する企業が日本の躍進をたすければ、わたしの自尊心と自負心はずいぶん満足させられる。

 だけどいちばんだいじで、先にこなければいけないのは個人的な自尊心や満足ではないのか。個人の空虚さ、劣等感をみたすために国家や大きなものに頼るべきではない。国家や集団の大きなものの犠牲やいけにえとなった上での大きな集団や国家の繁栄やほこりなどまちがっている。自分の家をたてて、自分の家を守れないよううえで、国家の繁栄とほこりに頼っているようでは、巨大なものによってわたしの家はすぐつぶされて、倒される。

 日本のナショナリズムは個人的幸福や自尊心をつちかったうえでのナショナリズムではなくて、犠牲的・無私的なナショナリズムを強制されるのではないのか。空虚で自尊心のない個人の犠牲と奉仕のうえに築かれるナショナリズムは、どうように他者の尊厳も権利もまもられずに蹂躙される。自分自身がまもられていないから他者に暴虐や差別がおこなわれるのがとうぜんになるし、個人の自尊心や自負心が空虚なナショナリズムは全体主義的な犠牲と虐待をみちびくだけではないのか。

 個人の空虚や劣等感をみたすために国家の同一化やナショナリズムがもとめられても、はたしてわたしの満足や幸福はもたらされるだろうか。個人の人生さえままならないのに、他国との軋轢や競争の中でもまれるもっと大きな集団、国家が満足や幸福をもたらしてくれると思うのはさらに不可能なこころみではないのか。


ヘイトスピーチの差別と優越感


 ヘイトスピーチのような民族差別的な言説というのは、他者をおとしめれば自分の優越感や自尊心が満足させられるというまちがった思い込みから発しているのだろう。他者が落ちたから、自分が上になったように思う。だけど残虐な心、人を蔑視すること、軽蔑や憎悪のじゅうまんした心がはたしてわたしの幸福や満足をもたらしてくれるのか。わたしが人よりすぐれた優越感を満足させられるのは、正当なルールで、正攻法的な方法で目標を達成した場合だけではないのか。

 民族的な差別というのはどうも文明の「先進」と「後進」という図式にずいぶん負うところが大きいらしい。先進の国は「優越」しており、「優秀」であり、遅れた国は「劣等」で、「無知蒙昧」であることを堂々ということが正当化されると考えられるようだ。

 しかし優越したものはなぜわざわざ劣等者を侮辱して、みずからの優越性を証明しなければならないのか。それは自分の優越性をだれも証明してくれないからであり、また自分自身でうたがわしいとおもっているから他者の劣等性を言上げして、わざわざ自分の優越性をもちあげているだけではないのか。そもそもあなたはなぜ優越し、勝たなければならないのか。

 人種や国家で差別をいうような人はそれらと同一化しているのだが、その人はなぜ人種や国家と一体化して、個人として、国家と個人のすき間や、いくらでも間隔のある自分でない集団や団体をいくつもこえて、国家にぴったりと膜のない一体感をつちかわれるのだろう。あなたはなぜほかの人より、ある人種を代表して、国家なのだろう。あなたはなぜその人種であり、国家なのか。だれかが選んでくれたから人種や国家の代表であり、それらに委託されて、人種的・国家的差別をまくしたてる権限をあたえられたのだろうか。

 あなたはなぜ自民族、自国家の優秀性を代弁する権利をえて、ほかのものを差別したり劣等とののしる弁護人の資格をえたのだろうか。それはあなた個人が優秀であり、その団体を代表する権利があり、ほかの国民や人種に委譲されたから権利があるのだろうか。あなたはわたしたちの代表や弁護人としてだれかを差別・攻撃する権利をどこから得たのか。

 ヘイトスピーチを街中で堂々と宣誓するような人たちをゆるす国はひじょうに恥ずかしいことで、ときには犯罪的、国際的非難をうけるべきたぐいのものだと思う。このような人たちが身近にいたことがひじょうに残念だと思う。どうしてかれらのような考えに落ち込み、なぜかれらを助けられないのか愚考を問うしかないのだろう。


 まとまらない考えをただ書きつづったが、日本の右傾化というのは経済大国化として推進されてきた国家的事業であったというのがわたしの考えである。経済的自尊心の没落によって満たされない自尊心が、禁止されてきたナショナリズム的方法によって充填されようとする噴出がいたるところにあらわれてきたのが、こんにちの右傾化ではないかとわたしは思う。

 経済的自尊心を満たされなくなった人たちがどのような方法で――民族的、人種的、あるいは武力的にもおよぶかもしれない――それをとりもどそうとするか、さまざまなかたちで噴出するのかがこれからかもしれない。

 わたしはただ、個人的自尊心、努力や向上を放棄した集団的自尊心、優越感なんてちっとも成り立たないと思うのだけどね。まずは個人のほこりと満足を充填するほうが人生の課題だと思う、国家とか民族なんて借り物の「トラのパンツ」でなくてね。


週刊ニューズウィーク日本版 2013年 2/12号 [雑誌]ネトウヨ化する日本 (角川EPUB選書)ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」 (宝島社新書)ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)ヘイトスピーチとたたかう!――日本版排外主義批判


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Comment

なるほど、世界大会で国旗振る人々や「なでしこ・なでしこ」と騒ぐメディアに対して持っている違和感はこれだったのかと。
今は草食系男子やサイレントテロのような、経済的な自尊心から精神的・個人の文化的な自尊心への動きがあるので、「ヘイトスピーチ」への支持は広まらないと思います
但し、以下の事が実現されればの話です
1・報道等では性や人種で扱いに差を設けない
2・慰安婦強制連行などのデマがきちんと否定されること
この2つで個人の誇りと生活の満足を自助努力で得ようとしている層へのヘイトスピーチの許容を防ぎます
虎の威を借る狐にはなりたくない層ですから。

レイシズムというのは白人が有色人種に為す不条理な差別を指す言葉なので日本で在日朝鮮人優遇を推進してる左翼が大騒ぎしているレイシズムは全く当て嵌まらないのではないかと思います。
それこそ「レイシストは日本の恥」とか言う論調は、「在日朝鮮人様への生活保護や年金受給など諸々の優遇に対してつべこべ言うな!」という意図を含んだ一種の心理的威嚇だと思います。
「日本の恥」とか「日本人として恥ずかしい」という「恥を過大視する観点」自体が。
日本人の価値観にレッテルを貼ってるような書物(菊と刀など)をバイブル化した観点から出てるものに思え、違和感を感じます。

それだけ今は「個」が経済的に苦しい状態に陥っている表れではないのでしょうか?
経済的優越感に浸れるところまで登りつめるのも、またそれを保つのも大変な負荷がかかります。
そうやって手に入れた心の平穏で、時に外国からの理不尽な要求や行き過ぎた日本批判も受け流してきました。
しかしもう受け流すことが出来なくなってきてるのではないのかと。
国際的な名誉なりイニシアチブを獲得できれば「個」の経済的な苦しみも軽減されると思ってしまうのでしょう。
一般的な人々の考えは、例えば会社(国)の信用が大きくなるもしくは会社の影響力が大きくなるほど社員である自分(個)の収入に関わってくると思いがちです。
だから日本が強くなくては「個」が不安になるのでしょう。
また社畜(右傾化)もこんな感じで出来上がります。
とりわけ我慢して会社に向かう人間は、生活保護とかアウトローな人をやたらと叩きます。
この場合中国や韓国がそう見えるのかもしれません。
そういうわけで国と個、この二つは強く結びついてるのです。
株式会社日本とはよく言ったものですね。
乱文失礼いたしました

国家との同一視

国家公務員でありながな、自分と日本を同一視できない自分が、ネト右翼が国家を語ってごちゃごちゃ言っているのを歯がゆく思っています。



国を考えるなら、国家一種で官僚なるか、働いて、人頭税以上の税金を収めるような行動が先に来るはずなのに、愛国を叫ぶだけ。こんな楽な事はないですね。

彼らは、国家の威信のフリーライダーなんですよね。
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