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01 03
2014

書評 性・恋愛・結婚

性の抑圧による狂気と倒錯の歴史――『歴史におけるエロス』 G・R・テイラー

4403120210歴史におけるエロス
G・R・テイラー
新書館 2008-10-23

by G-Tools


 「キリスト教が生み出したヨーロッパの性の狂気!」、「岸田唯幻論の原点」、「フーコーの「性の歴史」の登場を用意した古典」とアマゾンでいろいろ謳われているが、「ヨーロッパの性の狂気」がいちばん当っている本だろうね。

 中世キリスト教によって生み出された性の禁止によって魔女裁判がヨーロッパじゅうにひろがり、いっぽうではセックスにとり憑かれ、倒錯と神経症を生み出した時代がいちばん印象深いのだが、わたしの疑問としてはキリスト教ならびにほかの諸宗教はどうして性の禁止や抑圧をおこなうのだろうかという思いがある。

 生物学的には種の存続という生物の大目的に抗うような性の断絶のような理想を、なぜ諸宗教をもってしまうのだろうね。とくには古代ではこの本で的確に命名されている「繁殖力宗教」といった大地の繁殖力=人間の性の同一視といった世界観が世界じゅうにひろがっていたと思われるのだけど、その対比としてキリスト教の禁欲主義はますます疑問に思えるものになった。

 この本は1953年に出された本である。イギリス人の著者によって書かれ、まだヴィクトリア朝時代の厳しい性道徳がのこっていたころに書かれた本ではないかと推測する。ゆえに性の抑圧がどのような狂気や倒錯、神経症を生み、復讐するのかといったことに重点がおかれた本ではないのかと思う。フロイトの精神分析の影響があちこちにあらわれている。

 この本ではおもに男の子が父親を手本にする傾向が優勢であり、そのような時代には権威主義的、制限的態度が生み出されがちであり、またある時代には母親を手本にする傾向が強く、そのような時代には寛容的・民主的、保護的な姿勢が一般的にあらわれるとしている。前者を「パトリスト」といい、後者を「マトリスト」とよび、このつなひきと拮抗が性にたいする態度をかたちづくってきたと見る。

 パトリストの時代には禁欲主義、快楽の恐怖、権威主義で女性を劣等の存在とみなし、同性愛への深い恐怖をもつとされる。

 マトリストの時代には快楽主義であり、民主的で進歩的で革新的、保護的で女性に高い地位をみとめ、近親相姦への深い恐怖をもつとされる。

 中世の魔女裁判の時代にはパトリストたちが荒れ狂い、ルネサンスやロマン主義の時代にはマトリストの時代、また宗教改革やヴィクトリア時代にはパトリストたちが力をにぎるといった時代絵図を見ることができる。古代の繁殖力宗教は母親宗教的であり、もちろんマトリストたちの時代であった。

 バハオーフェンの母権制と父権制に似ているのだけど、著者は「制度」をいっているのではなく、「態度」をいっているのであり、制度は保守的で変わりにくく、ずれとタイムラグがあまりにも大きく乖離するといっている。

 キリスト教はほんらいは家族を捨てろといった宗教であり、性的快楽にそう目くじらをたてるものでもなく、欲求の満足の重要性も認めていた。博愛主義を訴えた宗教であるのだが、禁欲で権威主義的で、排他主義的なものに変容していった。

 紀元前60年ごろにペルシャからローマにもちかえったひとつの宗教がローマを席巻するようになり、304年に守護神とされた宗教はキリスト教とひじょうに似ていると思ったのだが、これはミトラ教だった。ミトラ教はキリスト教と同じような神話と儀式をもっていたのだが、ある一点の違いのためにキリスト教によって瓦解したとされる。

 ミトラ教では父親のシンボルたる牡牛を息子が殺すに対し、キリスト教では息子は父親に服従し、息子が殺されるということである。ミトラ教は征服の宗教、キリスト教は服従の宗教とされる。攻撃性はミトラ教では外に向けられ(サディズム)、キリスト教では内に向けられる(マゾヒズム)。

 ミトラは生き残るが、キリストは死ぬ。キリスト教を選んだということは、サディズムよりマゾヒズムを選び、死の本能をおのれに向けたことをあらわしているだけではなく、生の本能にたいする死の本能の勝利もあらわす。ミトラ教のシンボルは生命とエネルギーの源泉たる太陽、キリスト教は拷問と死の道具たる十字架。キリスト教の信者たちはまもなく苦行の制度と、強迫的な性の恐怖を発達させる。

 この本は一千年、二千年におよぶ性にたいするおもにキリスト教の態度の変遷をあつかった大部の書である。キリスト教の態度は時代によって極端になり、無定見がひどい。一夫多妻を容認し、一夫一婦制が本質と宣言し、離婚をゆるし、禁止し、試験結婚を認め、禁止し、司祭の結婚をゆるし、禁止した。そういったころころ変わる、極端に厳格さから寛容さにかわる性への態度をながめたのが本書である。

 この本でいいいたかったことは性エネルギーは減らしたり、抹殺できない。はけ口をふさがれるとべつのかたちのはけ口を見出す。代理形式では正常に表現されるときよりしつこくて強迫的である、ということだろうね。

 抑圧的な時代が許容の時代よりセックスに囚われており、したがってより背徳的である。パトリズムの時代の道徳水準が高いと思うのは、その時代のめだった特徴である大量の倒錯と神経症によって目をふさぐことによってつくりあげられた幻想だといっている。

 ひとことでいえば、性を禁止し抑圧することによってどんな狂的で倒錯的な社会がかたちづくられてきたかという告発の書でもあるのだろうね。


▼バハオーフェンの本がまた読みたくなったね。
母権制序説 (ちくま学芸文庫)父親なき社会―社会心理学的思考母権と父権の文化史―母神信仰から代理母まで (人間選書)母性社会日本の病理 (講談社プラスアルファ文庫)成熟と喪失 “母”の崩壊 (講談社文芸文庫)

キリスト教とセックス戦争―西洋における女性観念の構造 (ポテンティア叢書)カトリック教会と性の歴史宗教とエロス (1975年) (叢書・ウニベルシタス)知への意志 (性の歴史)歴史のなかの性―性倫理の歴史


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