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12 22
2013

レイライン・死と再生

日本のクリスマスのセックスとは「原始宗教」への回帰である

 なんども書いていることだが、ことしはもっとわかりやすく書きたいと思うのでふたたび。


 日本ではキリストの生誕日前の夜がロマンティックなものになり、セックスがおこなわれるというヘンな慣習が定着しているわけだが、なぜ宗教の教祖の誕生日前にこんな性的な習慣が日本では重ねられたのか。

 じつは古代の日本には性交によって世界の新生・再生がおこなわれるという儀礼や原始宗教があった。その原始宗教が現代に甦ってきたというのがわたしの考えである。

 これは日本の古代宗教が愚かな考えをもっていたというより、キリスト教ですらほんらいはそのようなかたちの信仰があったのではないか、原形はそのようなものだったと考えることもできるのである。

 キリストの誕生日の12月25日は太陽の日がいちばん短くなる冬至の三日後である。この冬至に一年の太陽は死に、新しい年の太陽が生まれると考えられていた。日本神話には天照大神が天の岩戸にかくれる話があるが、これは日食の話ではなくて、一年の太陽がいちばん弱まる冬至の話と考えるほうが妥当なのでないか。

 地上の動植物が存続・繁殖するのは、性交や受精によってである。生殖のいとなみなしに人類に豊富な食糧がもたらされることはない。それゆえに生殖は人類の食糧・生存とって聖なる重要なものであるはずである。

 古代の人は動植物だけではなく、物理現象や宇宙現象にもその生殖の考え方を適用・拡大した。つまり太陽や星々が生まれるのも生殖によってである、神々の性交によってであると考えた。生物の起源や繁殖の考え方が延長されており、そのあいだを神という存在が結びつけた。

 これはエジプト神話では天のヌート神と地のゲプ神が毎夜、性交することによって太陽や星を生み、昼や夜のあいだは太陽や星々がヌート神に呑みこまれて、子宮からふたたび生み出されるという考えに見ることができる。

 日本の古代にも同様の太陽信仰があって、まいとしの太陽は神の性交によって生み出される、あるいは天皇が神との交合に参加することによって、新しい年の太陽を生み出すという考え、儀礼があった。

 つまりはこの生殖によって新しい年の太陽が生み出されるという考え方が地下から染み出してくる水のように現代に甦ったのが、日本のクリスマスのセックスだと思われるのである。新しい年の太陽を生み出すために性交がおこなわれるのである。

 どうしてこのような古代の原始宗教の考え方が現代に甦ったのか、その線はわからないが、旺盛な性の活動により農耕や動植物の繁栄と実りを祈願するという考え方、慣習は、日本には比較的長くのこり、昭和の近くまで残っていたからとも考えられる。

 日本の性はおおらかであり、ときには祭りや儀礼のさいに性的放縦がおこなわれたという見聞もあるのだが、それは性や生殖による動植物の繁栄と実りが人々の食糧と存続を維持・保証するからである。

 性のアナーキーさというのは食糧の豊富さ・繁栄をもたらすものである。もし性の営みが自然界からついえてしまえば、人類の食糧の糧となるものは絶滅してしまう。飢餓や食糧難をもたらす性の禁欲や途絶を人類が歓迎したりするだろうか。

 正確には日本の性のおおらかさは、神々への歓待である。田の神や実りの神の性欲を刺激することによって、来年の豊作や五穀豊穣を約束してもらわなければならない。ために妻や娘は神と思われる人に対して性は捧げられなければならないものであったし、ときにはアナーキーな性的な乱交や入り乱れた関係を奨励することによって、神々の性欲を刺激し、来年の実りを豊穣なものにしてもらわなければならない。盆踊りや祭りにはそのような願いがこめられていたと考えられるのである。

 現代の性観念は一夫一婦制と貞操を守るという所有的な関係のほうが重要になり、性の放逸をはげしくとがめる時代なので理解できないかもしれないが、自然界の実りに依存する人間にとって、性の禁欲や途絶は飢餓や食糧難をもたらすことと同義であったのである。そう考えるなら、禁欲や貞操が罪であったと見なすのはなんら異常な考えでもない。

 現代では性と実りが繁栄とつながるという考え方がまったくひっくりかえり、禁欲的・貞操的な性観念が支配しているのだが、禁欲のキリスト教以前のヨーロッパにも性と豊穣のつながりは信仰されており、性によって新しい年の太陽や世界が再生されるという考え方があったと思われる。

 つまりはキリストの復活といわれる神話も、一年の太陽や世界が滅び去り、新しい年の太陽と世界が新生するという原始宗教の考えがかぶせられた、原始宗教のとりいれをあらわしているのではないだろうか。

 ほんらいはキリスト教以前には性による世界の新生がヨーロッパでも信仰されていたのではないのか。キリスト教はその自然宗教を抑圧するかたちで禁欲と貞操の性観念を押しかぶせた。それでも農耕信仰を中心に性による豊穣の祈願はヨーロッパでもいくらかは残ったのではないかと思われる。

 日本のクリスマスに甦ったセックスの慣習は、そういった原始宗教の性による再生と豊穣の願いが地下からふたたび顔を出したということではないのか。日本は原始宗教のほんらいのかたちをより現代に甦らせたということではないのかと、思われるのである。

 ちなみに異界からギフトをなぜか贈りとどけてくれるサンタ・クロースは日本の神の形態にひじょうによく似ている。たとえば田の神は山の異界から里におりてきて、田畑に実りと豊穣というギフトを贈りとどけてくれ、秋にはふたたび山の異界に帰ってゆく。サンタ・クロースとは日本の神と同じマレビト神、訪問神なのである。
 
 クリスマスとはほんらいは生殖による世界の再生・新生が願われた祈りの日であったと思われる。禁欲と性秩序が重んじられる現代になっても日本ではその原始宗教が農耕関係で色濃く残り、そのために原形をとどめた原始宗教が日本に甦りやすかったのではないかと考えられる。ヨーロッパでも古代の原始宗教は似たものだったと思われるのである。


▼参考文献
B000J7DWKO天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス)
大和 岩雄
六興出版 1983-06

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4560081948遊女と天皇(新装版)
大和 岩雄
白水社 2012-01-18

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4588000616宗教とエロス (叢書・ウニベルシタス)
ヴァルター・シューバルト 石川 実
法政大学出版局 1975-01

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4624100085大地・農耕・女性
M.エリアーデ 堀 一郎
未来社 1968-01

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