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2013

日本崩壊80年周期説

細かい記述に終始――『日本の産業革命』 石井 寛治

4062921472日本の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)
石井 寛治
講談社 2012-12-11

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 歴史は政治や英雄でみるのではなくて、経済史から見なければらないとドラッカーや堺屋太一を読んでつくづく思ってきたのだけど、この本はとてもそのような魅力的な経済史には到達していなかった。

 細かい記述に終始していて、重要なところ、大局なところをつかみにくい。深夜までの残業でとぎれとぎれにしか読めなかったこちら側の理由もあるが、全体のなかの重要な部分をひじょうにつかみにくい。

 赤線をいっぱい引くことは引いたのだけど、だからかえって全体が見えない。学者プロパーの本とはこのようなものかもしれないが、おもしろみはない。

 帯には「明治の国家目標「殖産興業」はいつ、なぜ、どのように「強兵」へと転換したか」というコピーはそういえば、なぜだろうと疑問をおこさせるに十分であるが、ここでそのことをいっていると感じる部分はあったが、いまいちその理由もつかみにくかった。

 この本を深読みする努力を手放して、そうそうにほかの本に期待するほうが賢明かもね。

 いくつかのドッグイア(角折りのことね)。

 この本では日本の産業革命は1886年ごろにはじまり、日清・日露戦争をへて、1907年恐慌前後にひとまず完成するとしている。維新が1868年だからその後の20年後くらいにテイクオフして、ピークであった1905年の日露戦争あたりで終わるということね。20年だ。

 アメリカは1880年代にイギリスを抜いて世界最大の工業国になった。1873年の世界恐慌はそれまでイギリスを震源地としてきたのだが、中部ヨーロッパとアメリカからおこるようになった。経済の世界史はこの時点あたりで転換していたんだね。日本が明治維新をはじめて十年、二十年たったころ。

 日露戦争まで日本をリードした人たちは大学は出ていなかったが、大学エリート・職業的官僚は1900年ころに官僚機構の中枢を占め、1910年代は頂点にあふれ出るといわれていた。司馬遼太郎もいっていたと思うけど、「奇胎の40年」は学歴エリートによるものが大きかったのだろうか。

 日露戦争後は明治維新いらいの「富国強兵」「条約改正」という国家的目標が達成された段階で、新たな目標を設定できなかったといわれている。戦後昭和の「経済大国化」もバブル前後あたりにこの段階にたっしていて、つぎなる目標をまったく設定できなかったことと同じだね。


日本近代技術の形成―“伝統”と“近代”のダイナミクス (朝日選書)お雇い外国人――明治日本の脇役たち (講談社学術文庫)流通産業革命―近代商業百年に学ぶ (1971年) (有斐閣選書)産業化の時代 (上) (日本経済史 4)近代日本経済史 (岩波テキストブックス)


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