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12 12
2013

レイライン・死と再生

なぜ子どもは橋の下で拾われ、コウノトリが運んでくるのか

 子どものときに「おまえは橋の下から拾ってきた」といわれた人は多いようであるし、赤ん坊はコウノトリがはこんでくるという伝承も耳にすることがある。

 橋の下で拾ってきたといわれれば、子どもは自分は「捨て子」だった、「拾われたきた」とじつの親の子でないとショックをうけるようだが、どうして子どもは橋の下で拾われてくるといわれるのか。

「橋の下に捨てられていた子供」に関するツイートまとめ

あなたは橋の下で拾ったのよ…」 YAHOO知恵袋

コウノトリの昔話~海外の伝説


 これらは宗教人類学者のミルチャ・エリアーデがなぜそんな伝承があるのか、すべて説明してくれる。コウノトリが赤ん坊をはこんでくる由来もエリアーデの言葉によってわかる。エリアーデ『豊穣と再生』から引用。

4796700803エリアーデ著作集 第2巻 豊饒と再生
ミルチャ・エリアーデ
せりか書房 1974-07

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「かれら(子ども)は水棲動物(魚、蛙、鰐、白鳥など)によって運ばれて、母の胎内に呪的接触によって入れられるまえは、岩、深淵、洞穴の中で成長したのである。

かれらは誕生前の生を、水、水晶、石、木などの中ではじめ、「子どもの祖先」の「魂」として、人間以前のおぼろげな形をとって、いちばん近い宇宙圏の中で生きていた、というのである。

アルメニア人は、大地は「人間が発生してくる母胎」と考えていた。ペルー人は、自分たちは山や石の子孫だと信じている。子どもの発生する地点を、洞穴、割れめ、泉などに定めている民族もいる。

ヨーロッパには現代もなお、子どもは沼沢や、泉、川、木などから「やってくる」という俗信が残っている」



 つまりは生まれる前の子どもはどこにいたかというと、水に関係する泉や川などに魂のような形態として宿っていて、赤ん坊として生まれる歳に母親の胎内に入ったという原始的な信仰があったということである。

 だから水の流れる川がある橋の下で子どもは拾われてくるのであり、この伝承は誕生前の生や存在はどのようなものだったのかの問いに答えたものだといえるのである。水のあるところに誕生前の子どもは魂として宿っていたということである。

 コウノトリにはこばれるというのは、白鳥は古来、魂をはこぶものとされてきた伝承にちなむものだろう。生誕前の魂がある場所と、母親の胎内をむすぶあいだをコウノトリという白い鳥がはこぶわけである。白い鳥じたいが魂に近いという考えがあったのだろうか。エジプト神話あたりに出てきていそうな話だね。

 洞窟や洞穴に生前の生をおくっていたというのは、大地の母胎がそこにあると思われていたからだ。人間の誕生とおなじように大地も人間の性器に似た場所をもつとされた。つまり大地や神々が性交することによって、この世の生や世界が誕生すると考えられていた。水は大地の羊水であり、精液であり、大地が生命を生み出す母胎と考えられていたわけである。


 この民間伝承は生まれる前の自分はどこにいたのか、存在していたのかという子どもの疑問にたいする答えになっていたんだろうね。自分が存在しなかったときはどうなっていたのかという疑問は、子どもや人に強烈な疑問をもたらすね。

 自分の不在を理解するために橋の下で拾われた、生誕前は魂として泉や河川のなかに宿っていたという話になったのだろうね。霊魂観が現代でも民間伝承としてつたわっているわけである。

 生前はどこにいたのかという疑問は死後はどうなるのかという疑問にもつながるのだろうね。


 現代ではこの霊魂観と異界の存在がすっかりと忘れられていて、水のなかに生誕前の生を生きていたという話は、捨て子や親のほんとうの子でないという「勘当」の話に読みとられるのは、現代の生が正当な親ではないとゆるされないという社会になっているためだろうね。

 でもそう脅える必要はなくて、橋の下で拾われたという話は生誕前の生を水のなかで送っていた霊魂観の名残りでしかないわけだ。


 こういう話は民俗学でこたえられていると思われるわけだが、原始宗教にたずねることがより由来や理由を説明するものである。エリアーデやフレイザーといった宗教人類学者は現代ではわからなくなっている風習や慣習をよりわかりやすく説明してくれる材料を提供してくれるね。


竹内徹『お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ』 目次 精神科医による文化人類学的考察

4791104072お前はうちの子ではない橋の下から拾って来た子だ
武内 徹
星和書店 1999-11

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4480087370初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)
ジェイムズ・ジョージ フレイザー James George Frazer
筑摩書房 2003-01

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4061597698神と自然の景観論 信仰環境を読む (講談社学術文庫)
野本 寛一
講談社 2006-07-11

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