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12 02
2013

右傾化再考

明治の世代論が読みたくなったね――『欧化と国粋』 ケネス.B・パイル

406292174X欧化と国粋――明治新世代と日本のかたち (講談社学術文庫)
ケネス.B・パイル
講談社 2013-06-11

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 明治の西洋文化摂取によってこれまでの日本文化を否定されたとき、明治の新青年は日本の誇りをどう見つけようとしたのかといった軌跡をたどった研究書である。アメリカの研究者が明治の日本にこんなにくわしいとはね。1969年の出版。

 わたしとしては戦後のアメリカ文化の享受者として日本の誇りや自尊心を否定されたという気持ちをちっとももったことはないので、そういう問いにはあまり共感をみいだすことができなかった。

 べつに国の誇りや自尊心なんて個人と生きるわたしにはちっとも関係ないと思っているから、そこにアイデンティティを見出すことなんてできないと思っているからね。基本的にわたしにはどうでもいい次元の話。

 関心がひかれたとすれば、明治の世代論をもっとわかりやすいかたちでとり出された本があればいいのにと思ったことだ。たとえば明治の指導者たちがほとんど生まれたとされる「天保の老人たち」(1830年~44年まで)といった世代論のような切り口だね。

 戦後昭和にかけての世代論はたとえば団塊の世代とか新人類世代、就職難世代といったくくりがされているのだが、明治のころにはこのような名づけられた世代論なんかないものだろうか。雑誌的なものならありそうなのだが、研究書や教養書としてはのこっていないのだろうか。

 わたしがこの本を読んだのは、「80年周期論」を検証するためである。日本は80年周期で40年の上昇と下降のパターンをもつという説がある。それを明治から昭和の時代にかけての社会精神の変遷にあとづけることができないかということが、近現代史の検証にわたしを向かわせている。それは周期上では2025年に今周期の壊滅期がくるといわれていることの備えにならないかという試みのためである。

 1880年代には明治時代の指導者たちの改革熱はすでに衰えはじめていたという。革命的な計画をすでに実施し、支配者集団たちはもう五十代になろうとしていた。

 中江兆民は1887年に明治政府の指導者たちはもはや若い世代の心を捉えることができなくなっていると指摘した。

 1870年代には日本の青年を欧化主義で魅了していた福沢諭吉でさえ、もはやかつての青年の精神的指導者ではあり得なかったようだといわれている。福沢諭吉自身が若い世代の性急さや無鉄砲ぶり、年長者にたいする無礼さにもう「近ごろの若者は…」といった老人の嘆き節を発するようになっている。

 指導者のエネルギーは使い果たされ、変革の二十年間に生まれた勢いが衰えつつあったときに、徳富蘇峰が新世代の青年たちに熱狂的な反応をよびおこした。正宗白鳥も「蘇峰の本を暗記するくらい読んでいた。田舎でもそうですよ。あのころの進歩的青年は蘇峰に傾倒していた」と語っている。山路愛山も雑誌に目がくらむ思いがして、あたりの景色が見えなくなるほどだったといっている。

 徳富の欧化主義にたいして志賀重昂や三宅雪嶺、陸羯南といった人たちは日本の誇りや自尊心をとりもどそうとした保守的な人たちだった。志賀重昂の『日本風景論』は明治時代の後半に学生のあいだにもっとも広く読まれた本といわれている。日本の田園への愛情や山岳の美は、青年の愛国心や誇りをとりもどしたとされる。その精読本を読んだことがあるが、ほとんど印象に残るものなしだったけどね。

 欧化主義をとなえた徳富蘇峰は国家的誇りとは軍事的勝利、領土の獲得、軍事的諸価値の復活と捉えるようになっていた。岡倉天心は文明が戦争の勝利に勝ちとられるとするのなら、野蛮人に甘んじようといっていたのだけどね。国民も傷つけられた国家的誇りを戦争の勝利によって勝ちとるという方向にすすんでいったのだろうね。

 世紀の転換後、多くの数の青年が国家的問題にかんする関心をうしない、自分自身の生活の私的な関心にひきこもるようになったといわれている。日露戦争のころにとりわけ顕著だったというのは意外だった。「一等国」の仲間入りを世界から認められたと日本が喜んでいた時期とされていたと思っていたのだけど。おおくの青年は国家主義的信仰に大あくびするようになっていたと。

 石川啄木は戦争の勝った負けたより、壮士芝居の評判に多く心を動かしつつあるといっている。そのアパシーは旧道徳、旧習慣のすべてに反抗を試みた同じ理由だと啄木は感じていたとされる。政治では青年は上にいけない、目立てない壁ができあがっていたのだろうね。

 世紀の転換ころには、青年たちは社会改革についての楽観主義の多くを失っていた。社会秩序はすでに不変なものとして青年のまえに立ちはだかっていた。「我々青年を囲繞する空気は、今や少しも流動しなくなった。強権の勢力は普く国内に行きわたっている。現代社会組織はその隅々まで発達している」と啄木は書いている。

 実験や改革の進歩の精神は啄木の生きた時代にはすっかり動かし難い、流動性のない、すっかり保守的な完成品になってしまっていたのだろうね。社会はすっかり窒息していたのだろうね。

 啄木は1886年に生まれて日露戦争に勝った1906年に成人しているのだが、ピークの時代に社会はもうその成長とイノベーションの歩みをすっかり止めたものとして青年に写ったのだろうね。明治初年の1868年からちょうど40年目のことである。

 このパターンは戦後昭和にもあてはまって昭和のバブルのころの若者たちにも無気力やアパシーが襲い、ひきこもりやフリーターといった流れが生まれつつあった。戦後40年のちょうどピークのころで、80年周期説はここで符合してくるのである。

 この本の中心課題は西洋化にともなう日本否定に明治の新世代はどう思想的に対処したかという話である。そういうことに関心のある人は現代にも通じる国家のアイデンティティと誇りという問題の対処法を見出すことができるだろうね。

 わたしの課題は80年周期の上昇と下降の社会精神を読みとることだった。石川啄木のころの閉塞状況に戦後昭和のピークにたどった現代の気運や精神とひじょうに似たものを見出すことができるね。

 社会精神が興隆・衰亡した40年のアップダウンを明治・大正・昭和にたどることができるのなら、今期の壊滅期といわれる2025年破滅論も信憑性もおびてくるね。2025年に戦後日本を既定してきた体制や精神目標は終焉・壊滅するのだろうか。だとするのなら、どのような新時代、新体制がやってくるのだろうか。


4003105451時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 (岩波文庫)
石川 啄木
岩波書店 1978-09-18

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4003311213日本風景論 (岩波文庫)
志賀 重昂 近藤 信行
岩波書店 1995-09-28

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