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10 19
2013

書評 社会学

「なにかありそうだ、なにかありそうだ」――『移行期的混乱』 平川 克美

4480430253移行期的混乱: 経済成長神話の終わり (ちくま文庫)
平川 克美
筑摩書房 2013-01-09

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 停滞と閉塞感のただようげんざい、これからどこに向かうのか、なにをめざすのかといったことがまったく定まっていない。この本はそのようなことを問い直す一冊になるのだろうね。

 平川克美という人は出自がいまいちわからなかったのだけど、かつて内田樹と翻訳会社をやっていて、その関係とビジネス関係の知識から出てきた人のようだね。

 日本のいま立っている場所とこれからのゆくえというテーマはさいきん忘れていた。停滞とか閉塞感に慣れすぎたのかな。戦後の労働とか消費とかの歴史的回顧をしながら、その問いに答えようとしている本かな。

 あまりこの問いにのめりこめなかったためか、読後感はあいまい。「何かありそうだ、なにかありそうだ」という口調でずっとつづくのだが、なにも導かれなかったという残念な感がのこった。まあね、わたしのテーマに熱のこもっていない姿勢のせいもあるのだけどね。

 何点か書き残しておきたいこと。

 1973年は食費にあてていた家計が三割を切る分水嶺にあたっている。「食うために働く」時代はそこで終り、労働のエートスも変化し、人びとは生活を豊かに、楽しむために働くようになる。

 この分水嶺と断絶を理解していない昭和の人が多いらしくて、「働くことは人生」と思い込む人が制度設計をしていることが後続者に苦痛をもたらしつづけていると思う。もうね、労働が全人生をおおう、奪う時代は終らないといけないと思うのだけど、長時間労働はますます増えているという皮肉な逆説はなにを意味するのだろうね。「食うために働く」人生はもうテイクオフしたはずなんだけどね。

 86年に日下公人が『さらば! 貧乏経済学』といっているのだけどね、いまだに「生きることが労働」の縛りが席巻しているのは国のゆくえを誤るだけだと思うけどね。もうそういう経済的・文化的ポジションにいたら、世界の段階からスルーされるだけと思うんだけどね。

 宮本常一は東広島市で川岸の石工たちに日本人の労働エートスを見る。「誰にも見られず、誰にも褒められもしないかもしれないにもかかわらず「仕事」に打ち込むという職人の不合理なエートスにこそ心を奪われているのである」。わたしはこういう不合理な労働エートスはもう日本人の首をしめるだけで、幸福には寄与しないと思うのだけどね。

 人口減少や高齢化の危機が叫ばれるのだが、国民ひとりあたりのGDPのトップは人口50万人に満たないルクセンブルクであり、三位が人口500万人に満たないノルウェーであることは、人口減少からGDPを憂う必要はないということがわかる。――以上。

 日本のゆくえにかんしてだけど、日本は長時間労働の慣行を排して、生活や文化を楽しむスタイルに移行すべきで、成熟国家はその道しかないと思うのだけど、労働が人生の多くを奪うままの現体制では成熟国家の魅力を内外に知らせることなんてできないと思うのだけどね。

 もう享楽的国民にならないと後進国に魅力を発進できない際どい段階になっていると思うのだけど、「食うために働く」人が多いために日本は世界からスルーされてゆくのだろうね。「クールジャパン」を労働行政がつぶしていると思わないのかい?


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