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09 22
2013

セラピー・自己啓発

なぜ過去は終わらせられないのか?――感情と時間について

 いつまでも終ったことをくよくよする。だれかにされたことについていつまでも考える。怒りや報復の方法について考えつづける。

 こういったことにいつまでも捉えられるのは、過去を終わらせてもいいということを知らないからだ。過去をいっさい考えない、手放すという方法を知らないからだ。

 心というのは終ったことでも、先のことでもいつでも考えられる。放っておいたら、しぜんの雑草のようにぼうぼうにおい繁る。

 でも断ち切るという方法もある。考えない、思い出しても考えるのを放棄するという方法もある。それをしないといつまでも過去や悩みに捉えつづけられることになる。

 心の自然状態というのはいつまでも過去や未来のことを考えつづけるものだ。統御するには断ち切ることだ。

 大事なのは感情と時間の関係について考えてみることだ。終わった過去は変えることができるだろうか。もう一度過去に帰って、過去をやりなおすことができるだろうか。過去に二度とふれることはできない。

 心のうえではいつでも過去に帰ることはできるのだが、それはじっさいの過去ではない。過去は永遠に終わっている。死んだものをいつまでも転がしてもよみがえらない。過去を捨てるどうこういう以前に過去は永久に終わっている。

 わたしたちが過去を終わらせられないいちばんの理由は過去の報復という考え方かもしれない。だれかに苦痛や損害を与えられれば、そのお返しと仕返しをしなければならない。

 だけど、一度あじわった感情を過去に戻ってなくすことはできるだろうか。損害や苦痛を消去できるだろうか。だれかに罰則やしかえしを与えれば、その感情はなくなるのだろうか。過去は永久に終わってしまったのだから、その感情を消去することはできない。

 それ以前のその感情をあじわった過去は永遠に去ってしまったのである。思考だけが、回想だけがいつまでもその感情を再起できる。しかえしや報復を考えれば、いつまでもその感情を想起できる。感情というのは時間を超越している。だけど過去にあじわったと同じ感情は二度と経験することができないし、思い出して再起させられた感情はまたべつのものである。

 時間というのは永久に瞬間ごとに終っている。

 なぜしかえしや報復をしなければならないのか。苦痛や損害の感情を相手に知らせる、二度としないように苦痛をおかえしするという考えがあるからだろう。この相手に知らせるという点では過去は手放せないわけだが、感情面、メンタル面においてはじょうずに過去を手放す必要があるだろう。他人に苦痛をあたえるために自分が苦痛をあじわいつづけるというのは二重に愚かである。

 過去というのは永久に終っている。二度と返ってくることはない。深淵のように過去は瞬間ごとに消え去っている。こういう時間のあり方を捉えておくことはひじょうに重要である。ありもしない空想や思考の過去に囚われて、感情の煉獄をあじわうことになるからだ。

 ニーチェが『道徳の系譜』のなかでいっているのだが、過去の修復なぞ不可能なのにどうして損害の等価物なんてあるなんて人は考えるようになったのだろう。

「この怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその等価物があり、従って実際に――加害者に苦痛を与えるという手段によってであれ――その報復が可能である、という思想によって制限され変様させられた」

「この極めて古い、深く根を張った、恐らく今日ではもはや根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか」 



 ニーチェは交換や取り引きのなかにその発想の根本があるのではないかといっているのだが、商業の中では時間がなくなる。時間は終らない。過去にわたした商品の代償にお金は支払わなければならない。したがって過去も時間も瞬間に終わる世界ではなくて、過去や時間がいつまでも終らない継続する世界が誕生することになった。

 子どもたちがなにかつらいことがあっても、つぎの瞬間には機嫌を直しているのは、時間を一瞬ごとに終らせているからだろう。大人のような商業取引、過去をいつまでも終わらせないという商習慣をもっていないのだ。

 わたしたちは商業取引の考え方をするようになったために過去や終わらない時間にいつまでも捕えられるようになったのだろう。しかし時間は深淵のように消え去っている。過去にあじわった感情は報復によって消されることもない。それ以前にその感情は過去とともに永遠に去ってしまったのである。

 わたしたちが過去の感情を消すことができないと思うのは、過去を想起したり思い出したりするときだけである。そしてその感情は過去にあじわったものと同じではない。その過去の感情は永久に消えてしまった。永久に終ってしまったものをどうしてもう一度あじわえると思うのか。回想や思考というものは人にとんでもない砂上の楼閣の苦痛をリピートさせるもののようである。


4480080813ニーチェ全集〈11〉善悪の彼岸 道徳の系譜 (ちくま学芸文庫)
フリードリッヒ ニーチェ Friedrich Nietzsche
筑摩書房 1993-08

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