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08 28
2013

社会批評

藤圭子という日本の神話――日本的土着の貧困からアメリカナイズされた豊かさへ

 藤圭子が亡くなられた。わたしが生まれて間もないころに活躍されたから、リアルタイムのすがたをほぼ知らない。




 気になるのは藤圭子が活動した1969年から1979年の時代背景と彼女の位置づけである。

 いぜんにふたつの記事を書いた。

 「昭和の歌は暗かった
 「『銭ゲバ』と70年代の貧困

 昭和のヒット曲の中にはものすごくクラい歌がいくつもあって、悲しみをこれでもかこれでもかといった競うような曲が歌われ、それが社会に共有され、共鳴されていたことが不可思議に思えてならなかった。こんにちに社会的な悲しみが共有されるということはなくて、せいぜい失恋の悲しみが表出されるくらいで、みんなで抱えもった悲しみというのはほぼなくなったのではないかと思う。

 社会はいっしゅの悲しみの競争やうつ症状ともいえる状況をみんなでもとうとしていたのではないかと思えるほどだ。






 そういった時代背景には貧困の共有という状況があったと思われる。ただしすべての人が貧困ではなくて、ときは高度成長まっただ中で、成長率や豊かさが加速していた時代のさなかである。時代においていかれて、とり残された人たちのやり場のない怨恨や悲しみがくすぶっていたようなのである。

 「60年代はみんな貧乏、80年代はみんな裕福」。

 そのはざ間において豊かさにとり残された人たちの情念がうずまいていて、多くの人がおかれたそういう状況を社会的に慰める必要があったようなのである。

 『あしたのジョー』も『巨人の星』、『タイガーマスク』も藤圭子がデビューしたころに世に出た。いずれの主人公も貧しさを抱えもっており、そこからはいのぼる話である。『子連れ狼』といった子どもをつれて放浪する男や、成功の頂点から転落する『砂の器』や『飢餓海峡』といった作品も生まれている。

 貧しさからはいずりだしたり、貧困をみんなで悲しむといった情動や物語が社会に必要とされていたようなのである。

 藤圭子というのはそのような時代背景にあらわれてきた時代の悲しみ・情念を歌った存在なのではなかったのか。

 藤圭子の出自をみると浪曲師の父と目の不自由な三味線奏者の母のあいだに生まれ、みずからも貧しさの中で地方のドサめぐりをしている。「旅芸人」や「河原乞食」といったかつての芸能につきまとった差別と貧困の「物語」をじゅうぶんに背負った存在である。

 『伊豆の踊子』を書いた川端康成は藤圭子のファンだったというし、この作品は旅芸人の憧憬と差別を書いたといわれるものだ。藤圭子はとうじの日本人がえがいていた「貧しさから豊かさ」の物語・神話を背負うのに的確な人物だったのではないか。「日本的土着神話」をまとい、「アメリカナイズ」された先進の文明につきすすむ物語のなかに藤圭子という存在ははめこまれたのではないか。

 その先のアメリカナイズされたアメリカン・ポップさは娘の宇多田ヒカルが二十年のときをへて果たした。日本的土着は母子二代にわたってアメリカナイズの夢を果たしたのである。

 しかし目標の達成は目標の消滅であり、日本は「大きな物語の終焉」いこう、目標も目的も見出せないから、失われた二十年やデフレ経済から脱却できずにいるのではないか。そう考えると藤圭子の運命は目標を達成して海図をさししめせずにいる日本のすがたそのものではないのか。

*


 70年代は政治闘争の時代であったが、幻滅の季節はすぐにやってきた。貧困からはいずりだす物語や青春に熱中する若者たちの物語がおおく描かれたいっぽう、はやくも「シラケ」とよばれるそれらの熱中や競争に一線を引き、醒めた目で見る流れも大きくなった。政治のような大きな敵と闘うのをやめて、小市民的な身近な消費や娯楽でたのしもうという流れが主流になる。

 80年代になると若者は政治や教養について語るのをやめて、マンガやポップ・ミュージックに耽溺し、アイドルや消費に埋没する政治から切りはなされた生活を志向するようになる。

 この時代に「ネクラ」から「ネアカ」の変換がなされ、暗くてマジメは話はご法度になり、明るく生活を楽しもうという時代風潮に切り替わった。政治や生活の根源を問わないで、日常を消費によってたのしめという生活が至上命令になった。漫才ブームからはじまり、お笑いタレントがメディアの全面を制する時代がこのころからはじまって、こんにちまでつづいているのである。アイドル文化は恋愛至上主義という女性向けドラマに合流し、「政治や国のために死ぬ」人たちに変わり、「恋人のために死ねる」という人たちの時代になった。

 大きなものを切りはなし、そのなかで日常と消費を謳歌することが至上命令という制限された時代を生きることになったのである。

*


 日本は会社と仕事がいちばん重要な価値となる国になった。「生産マシーン」とよばれ、中流階級は消費と娯楽だけをたのしむ政治や思想から切りはなされた市民的幸福を生きる社会になった。会社とビジネスと消費しかない国になった。

 その曲がり角は70年代ころにあったと思う。政治や思想、「これかあれか」といった根源の選択はこの時代に再考できたはずである。ただカネと消費、会社だけの選択にしない余地は70年代ころにあったのではないかと思う。

 しかし人びとはその選択から目をそむけ、ネアカや市民的小幸福といった選択をなし、生産マシーンと消費の曲がり角に来てもその道の行く末、再考の機運も生み出せずにいる。70年代になにかを失ってしまったのである。

*


 藤圭子は日本的土着の貧困といった神話を背負い、成長や繁栄からとりのこされた庶民たちの暗い情念を歌った。このめざす先は娘で果たされたようにアメリカナイズされたポップさ、豊かさだった。

 じつのところ、そのような成功を日本はバブルの期間に達成し、その後はその目的の再考・再選択の期間に入ったと考えるべきではないのか。バブル崩壊を経験して、日本はオルタナティブな道を再考する時期にとうに入っていたのではないか。アメリカナイズされた宇多田ヒカルの大ヒットとは、もしかして失われた成功の後悔の時期に、もう一度アメリカナイズドの成功の夢を回顧させられただけではないのか。日本はこの夢を達成して、もう終っていたのである。

 村上龍が近代の目標は終焉したから、寂しい大人が増えているといっていたころだ。藤圭子の夢は遅れたころに娘にひきつられてやってきたが、日本はその夢を達成して途方に暮れているころだった。だからこそ、自分たちの夢よもう一度、夢はまちがっていなかったと信じたかったのではないか。宇多田ヒカルの大ヒットにはそのようなかつての夢の再演のような響きがあったのではないか。

 「圭子の夢は遅れたころに開く」だ。

*


 日本はもう一度、70年代の選択を再考しなければならないのだろう。会社や消費、生産マシーンといった選択か、それとも暗さや政治をひきうけ、選択をとことん考えるべきだったのか。

 わたしたちはポップと消費の市民的幸福を選んだために大きな選択肢やその動かし方といった民主的機能も失ったのではないかと思う。民主政治の放棄の代わりに消費と享楽の市民的幸福を手に入れたのではないのか。

 わたししたちが手にしなければならないのは暗さと根源をねばり強く考える根気ではないのかと思う。わたしたちの選択はこれでよかったのか、もし違うなら変える方法を手にすることではないのか。ネアカと消費と享楽の40年はツケを迫られている。

 藤圭子と宇多田ヒカル母子は、戦後日本がめざしてきた成功神話を母子二代によって完遂してわれわれに見せたのではないか。その先のどこにもいけない、あてもなくさまようさまは藤圭子のさいごにあらわれているといえるのかもしれない。


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流星ひとつ

 今日、沢木耕太郎著『流星ひとつ』というインタビュー形式の藤圭子28歳の時の会話本を読み、いろいろとこの人の歌に対する深い気持ちの考察を聞いて、大変驚いた。世間で述べらていることとは裏腹に、この人は巫女のような感性を持っている純粋な人のように感じた。そして現在の日本人が失ったものは、このような心のように思ってしまった。

 日本人は、内面的にはあの時代から人間が退化していると思う。アメリカナイズされてしまうということは、日本もアメリカ化してゆくということであり、その最終結論がどのようになってゆくのかということが、今回の出来事のように思う。歌の心が届かなくなってしまったのが現在の日本であり、日本全体がそのような方向に潜在的に進んでいるのに、だれもそれを直視しないでいられるのが、現在の私達の大きな病なのだと感じる。
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