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07 27
2013

書評 小説

生活の維持としての労働とパワハラ―ポトスライムの舟 津村 記久子

4062769298ポトスライムの舟 (講談社文庫)
津村 記久子
講談社 2011-04-15

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 津村記久子はワーキングプアや非正規雇用をえがいたということで気になっていたので読んだ。

 二編の短編がおさめられていて、表題作の芥川賞受賞作は「なんだかなあ」という気がしたのだが、もう一編の『十二月の窓辺』はパワハラをあつかっていて、こっちのほうが読ませた。

 『ポトスライムの舟』は労働して生活を維持しなければならないわたしという存在にとまどっているさまがえがかれている。

「…生きているということに吐き気がしてくる。食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければならないということに」



 主人公ナガセは時給800円のパートから手取り十三万八千円の契約社員に四年間で昇格した工場勤務者である。乳液のキャップを閉めて、ひっくりかえしてたしかめるラインの作業をひたすたくりかえす仕事をしている。

「自分が人ではなく、ラインだったらよかったのに、と思う」



 ほんと労働していたら自分が感情や欲求をもった人間ではなくて、機械だったらよかったのにねと思う。

「自転車のライトは、前輪が回転する力だけで点灯しているからすごいな、わたしもそのぐらいの燃費になれないもんか」



「暗い夜には電気をつけ、暑い夜には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。
維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが生活を維持して」




 生きることに労働が必要であるという自分の存在の疑問がたんたんとえがかれた物語であり、なんらかの解決やカタルシスがえられる物語ではないだろう。

 なんで芥川賞?という作品なのだが、旧世代には働くこと、お金を稼ぐことになんの疑問もいだかずに働くことが日が昇るようにあたりまえのことだと見なしている向きがあり、こういう疑問が「新しい」と思えてしまうのだろうか。

 競艇などの賭け事が好きなとあるおっさんは電気代ガス代がもったいないと、あえて家をもたない暮らしをしている人もいると聞いたことがある。ヘンリー・ソーローの『森の生活』まであと一歩だね。


 『十二月の窓辺』はパワハラに悩まされる女性の一進一歩をえがいており、こちらのほうが前作より読ませる。罵倒してくるV係長というのが女で、女社会の闇や性悪を見せるね。

「すみませんじゃないわよ!

すみません以外になんか言うことあんじゃないのっ?

やめればいいのに。ねえ、やめれば? やめるべきよ、やめれば?」



 問題がおさまると、「変な気起こすんじゃないわよ。あの程度のことで、そんなになってんじゃないわよ」

 ミスや失敗にヒステリックに怒鳴る人は余裕がなくて、自分も怖くて仕方がないから、必死に感情的に怖さをガードしているのだとわたしは思う。ミスや失敗くらいフォローできなくて、冷静に対処できないのは、自分の力不足と余裕がないからである。あわれんでみてやって、自分が冷静に対処の方法を身につければいいことだ。

 でもやめる辞意を固まると、こう変わる。「あんた自分がなにをしようとしてんのかわかってんの、これから忙しくなるのに、あんたは人非人だ、難破しそうな船を見捨てるクソ女だ、と連日のようにわめきたてた」

 もう猿だね。感情的な反応しかできなくて、でも会社という力関係のうえでは上の者をたしなめるということができないのだろうね。男だったらもうちょっと理性的で冷静な対処ができたかもしれないと思うのだけどね。こういう人には「恐れ入ります」という脅えた顔をするのではなくて、「憐れんで」やることが効くのかもしれない。

 わたしなんかいやなことが積み重なるとすぐやめるクセが板についているのだが(笑)、終身雇用を前提に考えている人は「会社をやめる」ということにものすごく重い選択の苦渋をせまられるようで、この作品はその「やめるという選択肢」を見出すまでの物語である。

 「やめるという選択肢」をもたない人たちにはこういう上役のものたちの言葉が頭に拘束されているのだろうね。

「部長は、Vと同じように、ここで起こったことはほかのところでも起こるだろう、君が変わらない限りは、と脅してきた」



「でもあんたなんか、よそじゃ絶対やってけないでしょうね。絶対」



 基本的にひとつの職場での問題はその職場特有の問題で、ここをやめればその問題に拘束されていた重責はあっという間に消滅する。存在すらしなくなる解放感がある。

 ほかの職場でも同じ問題にぶちあたるかというと、基本的にはそういう構造が存在するだろうが、それぞれの職場での問題はまったくべつのものになる可能性があると思う。

 人間の職場ってその職場を構成する人間の性質や運によってまったく変わってしまうのであり、いまの職場とほかの職場が型を押したように同じであるわけがない。会社は星の数のようにあり、人も星の数のようにあり、その問題も星の数のようにある。ひとつの職場でおこったことがほかの職場でもおこるとはいえない。

 それよりいまの環境から逃げること、解消させることが大事かもしれないね。逃げるという選択肢がない時代ではないし、逃げることは基本的な人間の欲求として許容されてもぜんぜんいいんじゃないのか。過労死やうつ病まで追い込まれる状況を考えれば、よほど人間的で常識的であると思えるのだけどね。

 なんだかほかの職場に変わるという選択肢がまったくない社会主義の時代を生きているという人がたくさんいるのかもね。終身設計の人生にがしがしに縛られているのだろうね。いまの生活レベル、継続的な生活維持という目的が、「あたりまえ」のものとして人を縛りすぎているのかもしれないね。そういうのをなんらかのアクシデントで失ってしまったと考えれば、いくらでも逃げる人生も可能なんだけどね。


「世逃げ」のすすめ (集英社新書 435C)森の生活 (講談社学術文庫)ダメをみがく: “女子”の呪いを解く方法ワーカーズ・ダイジェストカソウスキの行方 (講談社文庫)

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