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06 24
2013

TV評

『雲の階段』と「ニセモノの人生」の悲劇

B00DGM4JVK雲の階段 DVD-BOX
バップ 2013-10-23

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 『雲の階段』は名作であったと思う。

 「無資格医」がバレないでいつまで医者をつづけられるかという緊迫感で見せるドラマであったが、テーマは医者のニセモノだけではなく、人間の普遍的な生き方まで到達していたと思う。

 このドラマはニセモノの医者だけの話ではなくて、「ニセモノの人生を生きる」ということの意味を問いかけたドラマだったと思う。

 ニセモノの人生って自分には関係ないと思うかもしれないが、人が承認や世間からの評価をのぞんでしまうとニセモノの人生に落ちるかもしれないという危険とたえず隣り合わせになる。人から求められる人間になるとたえず自分の好きなこと、したかったことと葛藤、対立することになる。

 『雲の階段』の三郎は人から求められる医療という行為のなかに自分の情熱を傾けられることを見つけたのだが、それには資格がないというニセモノから逃れられなかった。

 その先には権力や地位という評価の高いものの「雲の階段」があるわけだが、三郎は無資格医がいつバレてもおかしくないという境遇のためにその志向をもつことがなかった。それゆえに権力志向との対立をうきぼりにする構造があった。

 三郎は美琴島で医療を教えられるまでたえず、「自分には価値がない、何者かわからない」といった意味の感じられない人生を生きていた。人から求められるままニセ医者をつづけるうちに、自分にいちばんいらないものは「意志」だと思うようになる。自分の価値や人から求められることを感じるには、自己の放棄――自分以外の何者か――ニセモノになることを選んだのである。

 医療を教えられることによって、自分の価値や存在する意味をあたえられることになって権力の階段も手に入れることになるのだが、それはニセ医者というニセモノの上でしかなかった。

 原作者の渡辺淳一は承認欲や認知欲のすべてをニセモノ、ほんとうの自分ではないといいたかったのかわからない。三郎はそこに自分の生きている価値、情熱の傾ける先を見つけ出しているからだ。しかしそれは「ニセモノ」だった。

 人に認められて価値あることをめざそうとすれば人はニセモノの人生を生きざるをえないのか、それともニセモノのなかにしか情熱を傾けることを見出せなかったと三郎の悲劇を見せたかったのか。あるいは権力の階梯をのぼるということの批判をこめているのか。

 この作品は院長に象徴される権力への志向がニセモノであったり、批判されるものとしてあげられるのだろう。ニセモノがあしたバレてしまうかかもしれない三郎には未来の不安や未来の保証を守る必要がない。それゆえに権威や学閥といった守るものにこだわる必要がない。患者の命を守るより、たいせつなものをもってしまう医者への批判がこめられていた。「雲の階段」という危うい幻はその階梯のことをいっているのだろう。

 三郎をとりまくふたりの女性の名が「アキコ」という同じ名前だが、このふたりはなにをあらわしているのかいまいちわたしにはわからなかった。看護士の明子は医者に情熱を傾ける三郎に魅力を感じ、かれを守り、かれを「待つ存在」である。院長の娘の亜希子は愛にすがる女、三郎がいないと生きていけないという「依存する女」である。渡辺淳一流のふたつの女性タイプの品評会なのだろうか、待つ女がイイというw

 ある意味、世間から期待されるニセモノの人生を生きてしまう者は母親の期待から逃れられない、反抗期をもたない男だともいえる。親や世間からの期待に翻ったことがない。他人より自分をたいせつにしたことがない。他人より自分の意志を選択したときに人はニセモノの人生から離れられるのかもしれない。

 渡辺淳一の原作はいがいに古く82年の出版である。三十年も前の作品である。2006年に韓国でもテレビドラマ化されたということだが。出版当時はどう評価されて、いまどうしてこの作品がドラマ化されたのだろう。名作はうもれていた。

 このドラマはニセ医者という設定を用いながら、承認と自由が対立し、承認のためにほんとうの自分を見失ってニセモノを生きてしまう人生を揶揄した深い内容になっていると思う。あるいは権力志向の部分だけ批判されたものかしれないが。

 またはニセモノのなかにしか自分の価値あるもの、認められるものを見出せなかった男の悲劇を描いたのかもしれない。わたしは承認や価値あるものといった人がめざしてしまうものはすべてニセモノ・マガイモノといったテーマを感じとってしまったのが、世間の価値や承認をすべて否定するまで厭世的になるべきなのだろうか。

 ラストシーンで三郎は病院をうしなってしまう院長に「おまえはおれだ、おれはおまえだ」といわれ、刺されてしまう。これは承認を求め、価値ある人間になろうとして、権力の階梯を志向してしまう人間のサガのことをいったのだと思う。

 さいご三郎は南の島で医者をつづけるシーンが描かれていたのだが、三郎が死の間際に見た夢だったのかしれないね。むかし『人間の証明』とか『砂の器』といった映画に成功の頂点にのぼりつめた男が転落する悲劇が描かれていて、そういう系列の物語を思いだしたね。

 ニセモノの人生を送らないためには、人気や評価といった世間的価値と、自分の好きなもの、価値あるものは違うというしっかりとした自分の嗜好を知っておかなければならないのだろうね。自分を知らない人間は、ニセモノの人生を送ってしまうのである。



雲の階段(長谷川博己)感想とドラマレビュー - ちゃんねるレビュー


4062772078新装版 雲の階段(上) (講談社文庫)
渡辺 淳一
講談社 2013-03-15

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▼映画のなかに「ニセモノの自己」=「いつわりの仮面」を見出す章がある。
4062563096「本当の自分」をどうみつけるか―映画でみる精神分析 (講談社プラスアルファ文庫)
小此木 啓吾
講談社 1998-12

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▼承認欲求と自分らしさは対立するもの。
4062880946「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)
山竹 伸二
講談社 2011-03-18

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▼名誉欲によるニセモノ批判といえばショーペンハウアー。孤独のなかの自由。
4102033017幸福について―人生論 (新潮文庫)
ショーペンハウアー
新潮社 1958-03-12

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