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06 16
2013

書評 小説

「世界をどう捉えるか」―『世界文学を読みほどく』 池澤 夏樹

4106035448世界文学を読みほどく
スタンダールからピンチョンまで (新潮選書)

池澤 夏樹
新潮社 2005-01-15

by G-Tools


 京大で7日間、連続講義をおこなった講義録である。ふだんは論文を書くスタッフに教えられるが、実創作者の話も聞いてみようという企画らしい。

 400ページあるぶあつい本であるが、読みやすい。ただ感嘆するような鋭い解釈には出逢わなくて、さわりとか連想とか世界文学に入ってゆくにはいい本かな。

 紹介されている本は、スタンダール『パルムの僧院』、トルストイ『アンナ・カレーニナ』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、メルヴィル『白鯨』、ジョイス『ユリシーズ』、マン『魔の山』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』、トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』、ガルシアマルケス『百年の孤独』、ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』という十大傑作。

パルムの僧院 (上) (新潮文庫)アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)白鯨 上 (岩波文庫)ユリシーズ 1 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

魔の山 (上巻) (新潮文庫)アブサロム、アブサロム!(上) (講談社文芸文庫)ハックルベリ・フィンの冒険―トウェイン完訳コレクション (角川文庫)百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)


 各章はそれぞれの文学を読むのだけど、全体の統括を読めばこの連続講義のテーマは「世界はどう捉えられるか」という問題になるだろう。小説の描き方はその世界の捉え方とパラレルである。文学の書き方がいま大きく変わっているとしたら、いま世界の捉え方も大きく変わっているということだ。

 キーとなる文学はメルヴィルの『白鯨』(1851年)だろう。ずっと鯨の話が書かれている。鯨の種類、言葉の語源、生態、解剖学、獲るときの技術、あらゆる鯨学といった小説や物語ではない話がたくさん書かれている。

 「当時の読者は、なぜこんなに詳しく鯨のことを読まなきゃいけないのか、なぜこんなに話の流れにどうでもいいようなことばかりが延々と書いてあるのか、結局こいつは何を言いたいんだ、と思ったことでしょう」

 このような百科事典的な物語が書かれたのは、世界の構造は項目の羅列であるという考え方があったということだ。世界は項目の羅列から成り立っていて、それらには関係性の深いものと深くないものがある。全体を統一するディレクトリはなくて、データベースがあるだけだ。この小説はそのような世界の「捉え方」をしめしたといえる。

 フォークナーの小説は「あらすじ」に圧縮できないといわれる。「あらすじ」というものにまとめられる立場の人間はいない。人間の歴史はすべて主観のからんだ見方しかできないのだから、その主観のからんだ見方をつみ重ねて、全体像を描くしかない。人間の人生は客観視できない、主観でしか語れない。

 物語がおもな小説は作家が「神のごとく」の視点から主人公や登場人物の心の中まで入ったりするのだが、そういう世界の見かたにたいする懐疑が、フォークナーとかある種の難解な作家の作品にこめられているのだろうね。

 ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』(1966年)ではなにか大きな謎が隠されているかもと追われてゆく。見えないシステムがアメリカに隠されているかもしれない。しかし最終的にそれが「ある」と確証を得られない。だけど「幻想だった」「ない」という結論も出ない。この宙ぶらりんの状態が、いまの世界のありかたではないのかとこの作品は語っているとされる。

 これらのことは最終講義の「総括」にまとめられるのだが、「今この時代においては、一枚の図を描かない方が誠実なのではないか。そういうまとまった図は、欺瞞なくして描けないのではないか」といわれている。

「かつてその見取り図を提供してくれた権威はもうない。大きな物語はない。自分それぞれに小さく集めて、繕って、まとめて、それでやっていくしかない。そういう判断が今のこの破片ばかりの、羅列的な世界観の背景にあるのです」

「バラバラなままじゃないか、結局最後のところはわからないんじゃないか。けれども、もっとバラバラな話は世の中にたくさんあるわけです。世界という物語の統一性を誠意を以て疑う」

 かつては新聞社やテレビなどのマスコミが権威をもって大きな物語をしめして、われわれはそれを信じてそれに従ってゆけばよかったのかもしれない。しかし権威が崩れ、社会主義や資本主義の進歩といった大きな物語も崩れ、統一された世界観や価値観といったものも、風前の灯である。このような世界観の崩れが、わけのわからない難解な小説に反映されているのではないかとこの本でいわれているわけである。

 真理や権威を信じることができたモダン・近代に対してのそれらが崩壊して相対主義が興隆した「ポストモダン」をいっているわけだね。

4891761598ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))
ジャン=フランソワ・リオタール 小林 康夫
水声社 1989-06

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「映画でも文学でも、本当に君の心に焼きついているのは、それが世界と自分について本当に新しい発見と驚きと喜びをもたらしてくれたものは、ストーリーだったか? いくつかの部分だったか。…君自身の過去でもいい、本当にきらめいて残っているのは、互いに無縁の切れ切れの偶然の場面ではないだろうか。その場面と場面との間は忘却の暗黒。誕生から現在までも繋げるひと繋がりの何かなどは、無理にこじつける以外に存在しない」 日野啓三

 バラバラで脈絡がつけられない世界。小説はこういうバラバラな世界観と向き合わざるをえないところにあるのではないだろうか。ポストモダン論だね。

 こういう世界観にたいしてなぜ19世紀的なスタンダールやトルストイ、ドストエフスキーはとりあげられたのだろう。物語や世界観を信じられた近代をあらわすためだったのか。

 この本はそのような主軸の世界の捉え方の困難だけを語っているわけではないと思うのだけどね。作品のそれぞれの解釈や周辺、読みも楽しめるのではないかな。


世界の十大小説 (上) (岩波文庫)ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)ウンベルト・エーコ 小説の森散策 (岩波文庫)カルヴィーノ アメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ (岩波文庫)なぜ古典を読むのか (河出文庫)


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