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05 18
2013

書評 社会学

承認と自由は対立するもの―『「認められたい」の正体』 山竹 伸二

4062880946「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)
山竹 伸二
講談社 2011-03-18

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 深い考察がたのしめる本であったと思う。著者は学術書系集者をへて、現象学とか竹田青嗣とかかわりのある活動をしてきたようだね。

 この本は身近な人間の承認が重要度を増しているといい、小集団の恣意的な価値観に承認をもとめる結果、まわりに迎合して「自由」をうしなってしまう「空虚な承認ゲーム」の時代を問題視している。

「小集団の価値観やルールは、それを批判するメタレベルの価値規準が存在しない現在の状況では、集団メンバーの合意やリーダー格の人間の判断によって、容易にルール変更が生じやすい。そのため、絶えずリーダー格の人間や他のメンバーの言動に留意し、それなりに調子を合わせる必要性が生じてくる」



 こういう小集団の承認をもとめる動きというのは、大衆社会論で危機感をもって語られてきた画一化の流れと重なる。オルテガ、フロム、J.S.ミル、ニーチェ、リースマン、リップマンといった人たちが語ってきた画一化・水平化する大衆の脅威という恐れ。

 まわりの人に承認されようとしたらみんな同じにならなければならないんだね。人と違っていたら受け入れられないし、排斥される。承認のために自由ってものすごく追いつめられていないか。

「「自由への欲望」と「承認への欲望」の間に葛藤が生じやすい。

(承認の欲望を満たすために)、ある程度まで自由な行動を抑制する。逆に、相手の批判や軽蔑を怖れず、自分が思ったとおりに行動するなど、他者の承認よりも自由への欲望を優先させる場合もある。

一般的に、承認に対する不安が強い人間ほど、他者に承認されるための過剰な努力、不必要なまでの配慮と自己抑制によって、自由を犠牲にしてしまいやすい」



 一時期アダルト・チルドレンという言葉が流行ったが、これは親から抑圧されているというより、自分の属する社会や集団によって抑圧されているといったほうが当っていると思ったのだが。こういう他人の配慮により自分を押し殺す性格類型から脱出しようとしたこころみに、中島義道の『カイン』では、逆噴射型の「超絶自己チュー人間」になるという方法が提示されたこともあった。

 身近な狭い人間の承認だけに釘づけられる解決策として、著者は「一般的他者の視点」の確立をすすめる。

「「一般的他者の視点」が十分に成熟していれば、多くの人々に自分の行為が「価値あり」と承認されるか否か、ある程度まで自分の力で判断することができるし、その分だけ周囲の人間の承認に依存しないですむ。「まわりの連中が何と言おうと、自分のやっていることは正しいはずだ」「自分が責められるいわれはない、ちゃんと見る人が見ればわかってくれる」」



 リースマンは『孤独な群集』のなかで伝統指向型、内部指向型、他人指向型とわけたのだが、げんざいは身近な他人に承認をもとめる他人指向型となっているのだが、「一般的他者の視点」は内部指向型に近いといえるかもしれない。小集団の価値感だけではなくて、一般的社会の価値観もしっかり内面にインプットされているわけね。身近な人の承認だけになれば、会社組織の犯罪に抗することもできなくなるし、一般的なルールが介入しない個人・小集団特有の偏ったヘンな価値観にそめあげられるだけになってしまうね。

「たとえば同じ職場で仕事の価値観を共有していても、ちょっとしたコミュニケーションの齟齬や行き違いで、たちまち緊張関係が生じ、仲間はずれ、揶揄、陰口、といった事態が生じてしまう。まして仲間や友だち関係のように、共有された価値観が最初から曖昧で流動的な場合、その都度の状況ごとに、相手が好む行為かどうか、仲間が共感してくれる行為かどうかが、仲間の承認を維持する上で重要になる。

こうしていま、個人が葛藤する対象は「社会」から「身近な人間」へと移っている。そのため、親や所属集団など、身近な人々の言動に対する同調や迎合を繰り返す人も増えているのだが、こうして状況が長く続けば、周囲に迎合している自分に嫌気がさし、「偽りの自分」を演じているように感じられ、自分が本当は何をしたいのか、あらためて問い直すことになる。

現代の「自分探し」は、こうした親や所属集団の抑圧から「本当の自分」を解放しようとする試みであり」



 友だちや仲間集団の承認というのはものすごく恣意的で、流動的なものだね。しかも局所的・偏向的な価値観にこりかたまっているものであり、一般的基準が入ってこない世界である。だからこそ小集団の承認というのは社会的な一般的な価値を志向するものにとってはものすごく居心地が悪いものだね。

 わたしもこの小集団の承認・迎合という距離感にすっかりこじれてしまったのだけどね。本を読むとか、ネットに書くというのは、そのような閉鎖的で偏向的な所属集団からの解放と脱出がこころみられているのだろうね。

「カール・ロジャーズは、「他者による評価は私の指針にはならない」という言葉を教訓に挙げているが、これは周囲の人々の評価(承認)ばかり気にして行動していれば、やがて素直な感情を押し殺し、「本当の自分」を見失ってしまう、ということを意味している。「本当の自分」が抑圧される原因は、周囲の人間の評価に対する過剰な自意識なのである」



 ショーペンハウアーは『幸福について』で名誉欲(承認欲)をさっさと引き下げるといっているのだが、そういう言葉による設定だけでもずいぶん承認欲を抑えることができるのだろうね。トマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』も人の評判や承認に傷ついたり、気に病んだりする人のために、「神の承認」という設定をおけば気が休まるという方法論を提示しているのだと思う。神の信仰を便宜や方法と考えることだってできる。

「マズローは承認欲望を自己実現欲求より下位に位置づけているにすぎず、この問題にあまり踏み込んでいない。ユングやロジャーズにおいては、自己実現を周囲の視線から「本当の自分」を解放することと捉えており、他者の承認に固執することは他者に同調した「偽りの自分」を演じることになる、むしろ自己実現から遠ざかってしまう、と考えられている」



 自己実現欲求はさっさと承認欲を駆逐していたのね。人の承認欲や名誉欲というのはひじょうに強いと思うのだが、マズロー、ユング、ロジャーズにおいては、その問題は軽くのりこえられていたのだろうか。


 承認というのは人間の大きな問題だと思うのだが、いがいに学術的にはとりあげられることが少ない問題だとわたしの範囲をみて思っている。

 この本では承認は「偽りの自己」を演じさせたり、「ほんとうの自分」を抑圧するものだといった問題を中心にとりあつかわれている。社会学の問題と思ったら、心理学の問題だったのね。

 いま多くの人が半径三メートルの狭い承認に「犬のように釘づけられている」(リップマン)状態だと思う。自覚的に問題すら感じず、周囲の同調だけをくり返している人も多いのかもしれない。「自由からの逃走」は半径三メートルでおこっているのかもしれないね。


▼参考文献
カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)孤独な群衆 上 (始まりの本)幸福について―人生論 (新潮文庫)キリストにならいて (岩波文庫)もうひとつの愛を哲学する ―ステイタスの不安―

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)自由からの逃走 新版自由論 (光文社古典新訳文庫)善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)

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