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04 22
2013

セラピー・自己啓発

個と全体のむづかしい関係―『生きる自信の心理学』 岡野 守也

4569623808生きる自信の心理学―コスモス・セラピー入門 (PHP新書)
岡野 守也
PHP研究所 2002-08

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 岡野守也はトランスパーソナル心理学や唯識論をやっている人だから、とうぜん世界や宇宙との合一をめざす世界観をもちだしてくる。そういう世界観に拒否感やアレルギーをもつ人はうけいれられないだろうし、わたしも全体主義的な思想の危険性という問題をいまいちど反芻しなければならなかった。

 なぜ自信のワークを語った本に宇宙との合一が出てくるかというと、「わたしは死んだら無になる」という世界観はゆるぎない自信といった根底をつき崩すからだという。世界につつまれ、世界との一体を感じていた世界は強い自我や信頼をもちえたはずだというわけだ。

 でもそれって、集団と一体化し、犠牲となってきた個と表裏の問題があるんだよね。近代の人はそういう犠牲をのがれて個人の自由と人生を生きる道を模索してきたのではないのか。個人の人生を生きてゆきたい人には全体的宇宙観はアレルギーをもよおすイデオロギーなんだよね。とくに国家神道のもとに戦争に参戦してしまった反省がまだまだ生きている日本ではなおさらだね。

 そういう問題にむろん岡野守也は無自覚なわけではない。この本にはほぼふれられていないのだが、この本の二年前の00年に出された『自我と無我』でその問題はたっぷり考えられている。無我は共同体の「滅私」とおなじではないかと。いまいち納得しなかった本だったかな。

 この「コスモス・セラピー」と銘打たれたワークで、第一部ではアドラーとか論理療法のごくふつうの個人心理学的なワークが紹介される。ここはごくふつうの心理学で、さいしょのほうはすこしぼやっとしたワークが語られるかな。「読むとすることは大違い」となんどもいわれるのだけど、わたしは読むだけだったな。

 第二部では宇宙とのつながりによって無条件の自己価値感をとりもどすワークが語られるのだが、これは論理的にひじょうに納得する内容だった。仏教は縁とかつながりを重視する思想をもっているのだが、科学的な論理で語れば、なんのこともない宇宙との一体化が納得されるようになっている。

 宇宙との一体化というと、「わたし」と「外側」の宇宙がどう一体化するのかと謎に煩悶するが、自分の身体が宇宙の原子とか元素――太古、宇宙の誕生から存在した原子に構成されているといわれれば、なるほどそのとおりだ。宇宙論の科学者が語るとおり、われわれは「星のかけら」なのであり、「星の子」なのである。なんら宗教的でも呪術的でもない論理である。

 岡野守也はそういったかんたんな論理、「わたし」が生きているのは先祖のただひとりが欠けても存在しなかった生命の奇跡をひきついでいるのであり、生命が誕生して以来のとぎれない生命の連鎖があったからこそ自分が存在しているという存在の奇跡を語る。胎児の成長は生命の進化的形態をずっと経ることは知られていることだね。「わたし」はぜんぜんちっぽけな存在ではないね。

 科学とか知識はこのことがらをあたかも自分とひき離された「外側」の自分と関係のないことがらのように語るわけだけど、宇宙とか生命の誕生と成長というのはすべて自分の身体のなかにふくまれているのであって、それらがひとつもで欠けていたら自分は存在しないし、自分の身体はその歴史・宇宙全部を内に凝縮していることになるね。

 こういう世界観はたしかに近代科学のような「ばらばらにひき離された」世界観とはずいぶん違う安心感やゆるぎない存在感をもたらすだろうね。個人は死んだら無になる・終わる世界観は人生の無意味感やニヒリズムをもたらすし、自分の人生の価値を感じさせない。

 かといってさいしょの問題につきもどされるわけだが、全体的世界観は個人の犠牲や抹消を正当化させるイデオロギー・世界観になってきたから、われわれは個人が世界から切り離されて、世界のつながりや恵みをもたらさない孤立的世界観をひきうけざるをえなかったといえるのではないか。全体と同一の世界観は個人の上に思い重責としてのしかかったきた歴史がそういう世界観をゆるさないのである。

 『精神医学とナチズム』(小俣和一郎)という本ではユングやハイデガー、ヴァイツゼッガーといった精神科医や思想家が全体主義に加担していった歴史がえがかれている。全体を重視すれば個の犠牲・重圧はやむえないという思想にかんたんに転嫁しやすくなるようだ。ヴァイツゼッカーは安楽死の正当性についてこういう。

「生命全体を救済するために、火傷を負った下肢だけを切断する場合があるのと同様に、民族全体を救うためには、一部の病んだ人間を抹消することが必要な場合もある。どちらの場合も犠牲は正当であり、医療行為としての必要性と意味をもつものといえるだろう」



 全体をたいせつにしながらも個が犠牲にならない世界観といったものが模索される必要があるのだろう。全体のために個が犠牲になりやすい体質の日本は、孤独でニヒリズムな世界での強い生をまだまだ打ち立てる道を見つけることが必要なのだろうね。


4569612970自我と無我―「個と集団」の成熟した関係 (PHP新書)
岡野 守也
PHP研究所 2000-09

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4061493639精神医学とナチズム―裁かれるユング、ハイデガー (講談社現代新書)
小俣 和一郎
講談社 1997-07

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4791766326コスモロジーの心理学 コスモス・セラピーの思想と実践
岡野守也
青土社 2011-12-16

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