HOME   >>  書評 マンガ論、サブカル論  >>  大人になるためになぜ異類の夫は殺されるのか――『人身御供論』 大塚 英志
03 24
2013

書評 マンガ論、サブカル論

大人になるためになぜ異類の夫は殺されるのか――『人身御供論』 大塚 英志

4044191115人身御供論―通過儀礼としての殺人 (角川文庫)
大塚 英志
角川書店 2002-07

by G-Tools


 かなりおもしろかった。生け贄にささげられる娘が異類の夫をなぜ殺すのかという民話の謎が、サブカルを題材に読み解かれてゆく各章はとてもスリリング。

 2002年に文庫化されてもう絶版なのだけどね。こういう民俗学とサブカルを結ぶ評論は民俗学に興味がある人はおもしろいのだろうけど、サブカルだけの興味の人は手にとりにくいのかもね。

 民話で語られた成熟・成長の通過儀礼の物語はこんにちのサブカルにも一貫して流れているというテーマなんだけど、サブカル好きな人は民俗学にはそう興味をもたないかもね。

 この本で読み解かれるサブカルは『タッチ』『めぞん一刻』『ホットロード』であり、『トーマの心臓』であり、『ピクニックatハンギングロック』、『アトム』、そして『ホテル・ニューハンプシャー』。これらの物語の解釈を与えられるだけでありがたい。

タッチ 完全復刻版 1 (少年サンデーコミックス)めぞん一刻 (1) (小学館文庫)ホットロード (1) (マーガレットコミックス)トーマの心臓 (小学館文庫)

ピクニック at ハンギング・ロック ディレクターズ・カット版 [DVD]鉄腕アトム(1) (手塚治虫文庫全集 BT 1)ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)

 なぜ子どもは大人への成長の段階で異類の夫、さいしょの夫を殺さなければならないのか。

 そういう通過儀礼がこんにちのサブカルでも問題とされていて、共同体の外部がなくなったこんにち、大人への通過儀礼や成熟は可能なのかが問われている。

 けっきょく異類の夫はなんなのかとずっとひっぱられるわけだけど、そのあいだのサブカル分析はとても興味深いのだけど、結論はウィニコットのいう「移行対象」だといわれてもそれ自体がよくわからないし、しっくりこないのだけど。

 わたしは異類の夫というのは父や母であって、父殺しや母殺しが成長の段階に必要なのかと思ったのだけど、著者はサブカル作品の中で父母は希薄であり、抑圧の対象ではないからその説明はきわめて困難だという。『ホットロード』の解釈ではさいしょの夫は死んだ父親だといわれているのだけどね。

 人身御供というのは共同体の利益のために鬼や龍などに犠牲に出されるわけだけど、死んでしまえば共同体の利益にかなうのだし、成功して生き返れば共同体のメンバーを一名確保できる。これは共同体のために犠牲になれるかという死を賭した選択なのだろうね。共同体のために死ぬ覚悟があるのなら共同体に成熟した大人の役割として迎え入れられるし、もしそうでないなら生け贄として犠牲になるか、神隠しにあって消えてしまうしかない。

 神隠しの民話は山に消えていってしまったと村人はいうのだけど、これはほかのムラやマチに逃れ出たということであって、ムラの共同体はその後の消息不明と共同体を正当化する論理から、そういう幻想をつくりあげたのだろうね。神にさらわれたのではなく、都市に逃げるという選択もあっただろうし。人身御供は共同体のために犠牲になれるかの踏み絵であって、それが共同体の通過儀礼で大人への証明だったのかもしれないね。

 「人は共同体や国家という大きな物語と同一化しなくともライナスの毛布を抱えていけば他者と折り合いを自分の居場所を見出せるのではないか」と本書のテーマは百字程度で要約できてしまうといっているのだけど、この人身御供は個人の内面の問題ではなくて、対共同体の関係なのかもしれないね。わたしは読書中、対個人の問題ばかりに読み込んでしまったのだけど、共同体の犠牲になれるのかという選択が大人への階段だったのかもしれないね。

 個人を守るか、共同体・集団を守るかという問題が、人身御供・通過儀礼に課せられた子どもから大人への踏み絵かもしれないね。異類の夫というのは共同体より優先するもの、大事にするもののたとえかもしれないね。それを守るなら共同体への大人としての参加は認められない。個人を守る論理は死ななければならなかったのだろうか。異類の夫というのは個人優先、個人主義のたとえだったのだろうか。

 この解釈はこの文を書いている最中に思いがけず導かれてしまったのだけど、大塚英志は自身がいうとおり百字で要約できることをえんえんと粘着的に書きつらねる批評家なので、要約的・結論的な解釈がひじょうに拡散してしまう本を書いてしまう人である。「移行対象」が結論として納得できなかったのだけど。

 まあ、異類の夫殺しとサブカルを読み解いてゆくこの本はひじょうにおもしろいものだった。サブカルの解釈が与えられるのもね。異類の夫とはなんなのだろうね。


【追記】 『キングコング』という映画が本書でさぐられる『猿婿入』の内容と構造がおなじだということに気づいた。サルに生け贄にささげられて、そのさいしょの夫、異類の夫は殺される。女性が大人になるための通過儀礼がみごとに描かれているわけだけど、こんなメジャーな作品がこのテーマだとは思わなかった。『キングコング』はただスペクタクル娯楽作品だけと思われているからね。人身御供の民話が現代にも生きていたんだね。

 けっきょくこの人身御供は共同体のために死ねるか、犠牲になれるかで共同体に大人として認められるかどうかの通過儀礼なのだろうね。共同体のために死ねるかの踏み絵。だとしたら恐ろしい関門だね。悪をおこなう国家であっても、不正をおこなう組織でもそのために死ねるかと問うているわけだからね。これが成熟の条件としたならね。


神、人を喰う―人身御供の民俗学通過儀礼 (岩波文庫)映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)遊ぶことと現実 (現代精神分析双書 第 2期第4巻)

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top