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03 12
2013

映画評

認められれば自信をもてるのか―『自虐の詩』の幸江の場合

 映画のほうの『自虐の詩』をみた。いわれているとおり、軽いギャグ物語と思ってみると後半に泣ける感動作になる物語である。マンガのほうは未読だけど。

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 自己蔑視をかかえもって生きつづけた主人公の幸江が、自己肯定を得るまでの物語に思えた。

 幸江は働かないで遊んでばかりいる内縁の夫のイサオを自虐的に支えている。自己蔑視によって自分の価値を低く見積もっているために、自己承認をあたえてくれた夫を手放すこともできないし、ひどい仕打ちにもささいな幸福を見出す精神構造ができあがってしまっているのである。

 幸江がそうなってしまったのは少女時代の生い立ち――貧乏で母にも逃げられ、父が強盗によってつかまったことによる。自己蔑視をかかえもった幸江はからだを売って投げやりにしか生きる道を見出せなくなっており、真摯な求愛をおこなってくるイサオが信じられない。

 ひどく自分の価値を低く見積もる幸江にはイサオが愛してくれる現実をうけいれらない。だれからも愛される価値がないと思っている者には価値を重んじてくれる他者の存在が信じられないのである。

 しつこく求愛をせまられた幸江は自殺未遂をおこなってしまう。自分の価値をおとしめてきた過去が耐えられなくなったのか。たすけれた幸江はイサオと暮らすことになるのである。イサオが働かなくて遊んでいても、金をギャンブルにそそぎこんでも幸江がイサオを見捨てないのは、自己承認を与えてくれた存在だからだろう。

 自己否定から自己承認の物語では、『イグアナの娘』も思いうかんだね。母から娘の顔がイグアナに見えてしまい、自己否定や自己蔑視をくりかえし娘にたたきこまれる物語で、そのために娘は自己を肯定することも承認できない少女になってゆく。でも少女は自己肯定を勝ちとってゆき、さいごには母自身がイグアナの顔に見えてしまうという物語だった。

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 松本一起の『恋愛セラピー』という本の中にこういう一節がある。

「恋人が出来なかったあなたは、今まで自分を大切にしてこなかったのです。…あなた自身があなたを粗末にしていた結果なのです。

…今日からは、あなた自身を適度に過大評価して、上へ上へと舞い上がりましょう。…大切なことは、あなたがあなたを大切にすることなんです。…あなたがあなたに自信を与えてくれるのです。あなた自身が自信をもつことなのです」



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 自己承認をもちえない者には恋愛はできないといわれている。ふつうは他者に認められることで自信を得たり、自己肯定を得るものだと思うものだが、ぎゃくなのであって、自己肯定を得られないものには他者からの承認である恋人もできないというのである。

 われわれはだれかから評価されたり、認められると自信や自己肯定が身につくと思っているのだが、自己蔑視をおこなう者に他者からの評価や肯定は得られない。自己蔑視をおこなうからこそ、他者の評価は得られないのである。まずは自己の肯定を得ないとのぞんでいるものも得られないのである。

 しかし少女マンガを論じた藤本由香里は『私の居場所はどこにあるの?』のなかでこういっている。

「これが、昔から繰り返し繰り返し語られてきている物語、最も強く人を魅きつけてきた物語であることに同意するはずだ。自分の存在に関してどうしても否定的な感情をもたないではいられない主人公が、他者による再評価を受けて、自分の居場所を回復する物語――。ありのままの自分を受けいれてもらう物語――」



「これまで三十年間、浴びるように少女マンガを読み続けてきてつくづく思うことは、少女たちがいかに切実に「他者による自己肯定」を求めてやまないかということだ。「誰か私を愛してちょうだい。私が生きていてもいいのだと言ってちょうだい」と少女たちは叫び続けている」



4022615389私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫)
藤本 由香里
朝日新聞出版 2008-06-06

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 少女たちは自己否定による他者からの自己肯定をたえず求めつづけているというのである。異性による承認がなければわたしの価値はない、無であるというのである。

 だけれども先ほどの引用でいわれているように自分自身で自信をもつこと、自己肯定を得ることによってしか他者からの自己肯定、評価は得られないのではなかったのか。自己蔑視をおこなう者はなにも手に入れることはできないのではなかったのか。

 自己蔑視をおこなう者はそれに対応したできごとや関係しかもたらしてくれないのではないか。低く見積もった自己は低い希望や低い満足しかもたらさない。自己を蔑視したものは蔑視された世界やものしか受けとることができない。自分はそのようなものしか値しないと思っているからだ。

 得る者はそれにふさわしい、それを得ることがわたしの価値だと思っている者にもたらされるのではないのか。高級なものはわたしにはふさわしくないと思っている者に棚からぼた餅のようにそれは降ってくるだろうか。甘いアメはとつぜん降ってくるのか。

 自己否定や自己蔑視は他者や恋人が排斥して、溶かしくれるのではない。みずからが排斥して、自己肯定や自尊心をもちこまなければならないものではないのか。

 だれかが評価してくれたり、有名になったり、人から認められれば、自己肯定や自尊心を得られるものか。そういう自己肯定は他者の評価にすがり、他者の評価を絶対視し、他者の評価に泣き言をいう自己をつくるだけではないのか。

 自己肯定や自尊心はみずからつくるもの、もちあげるものではないのか。自己否定や自己蔑視は他者からぬきとってもらったり、他者が評価してくれることによってなくなるものだろうか。他者に頼れば、気まぐれな他者にふりまわされるだけではないのか。いちばん守られなければならないのは、自分自身の評価、肯定なのだろう。

 自己否定や自己蔑視は放っておいても他人からいくらでも与えられるのだから、せめて自己に対しては自己肯定や自己弁護が必要だろうね。自分に対して悪くいったり、おとしめたりする否定の言葉は自分の中に入れるべきではないだろうね。自分への応援者や弁護者でないと、この世界に味方をしてくれ、世界の褒美を与えてくれる者はだれもいなくなってしまうのだろうね。


▼書いているとき、シュワルツの『大きく考えることの魔術』が思い浮かんだね。劣等感についてはミンチントンだね。
4788907186大きく考えることの魔術―あなたには無限の可能性がある
ダビッド・J. シュワルツ David J. Schwartz
実務教育出版 2004-09

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ジェリー ミンチントン Jerry Minchinton
PHP研究所 2006-03

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