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03 04
2013

レイライン・死と再生

禁欲倫理の政治学―『ねむり姫の謎』 浜本 隆志

4061494627ねむり姫の謎―糸つむぎ部屋の性愛史 (講談社現代新書)
浜本 隆志
講談社 1999-07

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 『ねむり姫』に隠された糸つむぎ部屋の習俗を暴き出すという本でなかなかおもしろかった。ある意味、日本の民衆の夜這いとか奔放な性を暴き出すという究明に似ていて、現代のわれわれは性的な習俗がいかに隠され、抑圧されているかということがわかるかのようである。

 こんにちの『ねむり姫』というのは糸巻き棒にささって眠りについてしまうという話になっているのだが、どうして眠りについてしまうのかいまいちわからない。グリム童話とかペロー童話より古い型の原型を見てみると王女が眠っているあいだに王子は性交して、妊娠してしまうという話になっていたりする。でもこれは王女が大地だとしたら眠りは冬であって、王子はそのあいだに春の種子をうえつけたとしたら、なにもインモラルな話ではないね。

 グリム童話などなぜ性的場面がカットされたり、ゆがめさせられたかというともちろん子ども向けということもあったが、カルヴァン派のピューリタリズム行動原理というものが植えつけられる必要があったのだろう。

 その場の快楽原則ではなくて、禁欲的、先延ばし的倫理といったもので、ブルジョア的価値観や工業的倫理が醸成される必要があったのだろう。性的な隠蔽とは禁欲であり、すぐに快楽におぼれない抑制的な勤勉倫理が当時、めざされていたのではないだろうか。性的な快楽が野放しにされているような環境では、工業的な行動原理も植えつけられないということだろうか。

 農業社会では性は農耕と同一視されており、農耕の収穫や豊穣をねがうなら、人々も性的な活動によって生命や神々の繁盛をうながさなければならないという考えがあった。禁欲は収穫減をねがうようなものだから、禁止されるものであった。庶民の農業倫理というものはそういう感覚のうえに打ち立てられていたので、禁欲や抑制とほどとおいものだろう。

 『ねむり姫』はほんらいは性的な場面も描写した大人のものであったのが、子ども向けの性的場面がカットされた行儀のよいものに改変された。そういうカットされた性的な意味合い、また糸つむぎ部屋に隠された民衆の奔放な性や生活が暴きだされてゆくのが本書である。

 糸つむぎ部屋というのは日本の「若者宿」にも似ていて、男女が知り合う場でもあったし、どんちゃん騒ぎがおこなわれたり、ときには性的な場面になることもあった。公的な権力はたえずこの糸つむぎ部屋を風紀紊乱の罪で禁止・弾圧するのだが、民衆たちは自分たちのムラの倫理を守ろうとした。明治の風紀弾圧とおなじようなことがヨーロッパでもおこっていたわけだ。

 カルヴァン派の禁欲やブルジョアの工業的価値観と農村の倫理や価値観が衝突するような場面で、グリム童話の『ねむり姫』は生まれてきたのだろう。それは快楽をいますぐ満たす倫理ではなくて、快楽を禁欲して先延ばしにする工業倫理である。『ねむり姫』の改変にはそのような歴史の曲がり角が刻印されているのではないだろうか。

 性の倫理というのは工業社会と農業社会の性倫理の政治闘争がおこってきた場所ではないだろうか。こんにちのわれわれは工業社会の勤勉と禁欲の性倫理をおしえこまれていて、性的な意味合いが隠されて意味のわからない『グリム童話』を聞いて育つというわけである。

 童話の中にも勤勉と禁欲か、それとも快楽原理かという政治の綱引きがまぶしこまれているということである。


性の歴史プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)9784480025579.jpg33821.jpg大地・農耕・女性

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