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02 16
2013

社会批評

情報社会における「もつもの」と「もたざるもの」との闘争

 映画業界も音楽業界のようにネットによる無料視聴の波に呑みこまれようとしている。CDがぜんぜん売れなくってチャートにアイドル歌手しか並ばなくなったように、映画業界も壊滅してしまうのか。この流れはとどめられるべきなのか、抗いようがないものか。

 公開中の映画 違法投稿相次ぐ NHKニュース


 いまおこっていることは情報発信の民主化である。情報発信というのは電波や放送のようにほんのひと握りの者だけが独占して影響力を駆使できたものである。われわれは独占権力に指示されたり、操作されたり、踊らされる時代を生きてきた。

 といってもかれらは魅力的であり、憧れられる対象であったから、そう批判的で否定的な目ではみれないだろう。ただのちの時代には独占権力の下の虐げられた人々という図式も可能になっているかもしれない。

 王権や貴族制の時代にはなにが虐げられ、民主制の革命はおこされなければならなかったのか。

 イギリスの産業革命の時代は、王や貴族の着ていたインドからの舶来品である木綿の服が階級をこえて庶民たちにも着てみたい憧れの品になったから、木綿製品の大量品・廉価品からイギリスの産業革命がおこったのではないかという考察を読んだことがある。庶民が王や貴族のような格好をしたがり、なんども「贅沢禁止令」が出された。

 ファッションは王や貴族の贅沢品であるものから、庶民も真似して着たがる大衆の品になることが産業革命の曙だった。その機械化の過程においてクルマや家電などの大量機械製品が生まれてきたのではないか。

 いわば独占されていたファッションや機械品が大衆にも行き渡る「民主化」が、産業革命や近代の大量生産・消費時代をつくったのではないか。この時代、人はファッションやモノによる顕示にとりつかれて、その民主化が近代の産業化をおしすすめてきたのではないか。機械化と大量生産がその民主化のためにもとめられたのである。

 二十世紀の大量消費の時代において魅力や憧憬はマスメディアの有名人や俳優にうつった。人々に憧れられたり、魅力を独占するものはブラウン管やスクリーンの人物たちになった。かれらは憧憬される人たちであるから、かつての国王や貴族のような打倒されるべき独占権力者ではない。しかしもし人々の「もちたい」欲求をおしとどめるようなことをおこなえば、たちまち弾圧者、独占支配者に転嫁しないだろうか。

 モノによる顕示より、マスメディアにあらわれることの魅力や憧憬が大きくなったのが戦後の時代ではなかったのか。モノによる顕示がずっと憧れとして長らくつづいてはきたが、所有欲の減退や顕示の魅力の減退は若い世代ほど感じている。

 かわってあらわれたのがインターネットであり、憧憬や魅力のあるメディアの人物のようになりたいとみずから情報発信できる時代になった。情報発信が独占されていたものが、「民主化」されはじめたのである。そういう人々の欲求がないかぎり、ネットというインフラがこれほどまでに急速に発展することはない。

 メディアをもつということは大きな力である。より多くの人に魅力をつたえたり、影響力や支配力をおよぼすことができる。ファッションやモノは目に見える人だけに見せることができ、情報をつたえることができるが、メディアのようにもっと多くの人々や距離のある人に見せることはできない。この落差、格差の違いを人びとはひしひしと感じてきたのではないのか。

 だからこそ人びとはこぞってネットでみずからを情報発信するのである。われわれの時代の格差とはモノの所有ではなく、情報発信の格差であり、階級である。

 民主化がおこなわれるとき、旧来の独占権力、既得権益者がみずからの利益を守ろうとすると、城壁にとじこもったような国王や貴族層のようになってゆくだろう。魅力や憧憬の分配がおこなわれないとき、人の恨みや憎悪をいちばん買うのである。その人たちは権力や利権を独占した悪の帝王のようにイメージされることになるだろう。

 金を守ろうとしたら、じつは憧憬や魅力の独占もおこなうように思われるだろう。人々が分配されたいのは金であるよりか、魅力であり憧憬である。カッコよく見られたり、憧れられたりする情報発信の力である。閉じたり、囲うことはこの民主化の奔流においてひじょうに危険なことではないだろうか。憎っくき独占権力者の顔をますます強めるだけにならないか。

 憧憬を分配できないものは、テキになるか、衰退してゆくだけだろう。モノの民主化の時代においていちはやく大量生産の技術と分配の方法をつくったものが成功者になったように(ぎゃくに閉じたり、禁止しようとしたものは没落した)、こんにちの成功もメディア発信の分配力に負うことが大きくなるのだろう。

 より大きなマーケットに広がるためには小さく閉じるメディアはその役割を終えてゆくか、衰退してゆくものでしかないだろう。大量生産の時代に手工業にとどまったように、または格差の縮小の海の中にうもれてゆくのである。

 既得権益者たちはこの時代にいかに自分たちの金銭を確保しながら、魅力や憧憬の分配をおこなってゆくべきだろう。コンテンツそのものはかんたんにコピー、アップ・ダウンロードできるインフラの時代になってしまっている。音楽が一度きりの場所が限定されたライブでしか収益を稼げないといわれるように、そのような道をさぐるしかないだろうか。

 もうメディアを独占できる時代は終ろうとしているのである。それはさながら王や貴族が権力を独占したころのように、情報革命が完了した時代に思われるようになっているだろう。


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