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02 13
2013

レイライン・死と再生

「生殖は死や病気の反対物」―『日本人の性と習俗』 F.S.クラウス

日本人の性と習俗―民俗学上の考察 (1978年)
F.S.クラウス
桃源社 1978-01

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 1907年、明治40年に初版が出版された日本の性風俗に関する本である。日本にいちどもおとずれたことのない南スラブ族(バルカン半島周辺の民族)を研究する民俗学者が日本の性についての本を書くようになったのは、スラブの森の霊と日本の花祭りの共通性に気づいたからだという。

 わたしがこの本に注目したのは日本の性習俗を考察する上で欠かせない植物崇拝と性器崇拝をちゃんと考察しているからである。日本の放縦な性風俗はこの自然宗教を欠かして理解することはできないと思う。

 わたしは古い桃源社版(78年刊)の古本を手に入れたが、学生が辞書からそのまま訳したようなひどい直訳調の翻訳なので、読むさいには河出文庫版のほうがいいかもしれない(いずれも絶版)。江戸の枕絵が多く収録されているそう。翻訳がひどいからか、それともクラウスが日本のことをよく理解していないからか、よく理解しかねる文章に出会う。ぎゃくに外側からの日本のまなざしの意外性にも多く出会える。

51e1XMygYYL__SL500_AA300_.jpg名著絵題 性風俗の日本史 (河出文庫)
フリードリヒ・S. クラウス 風俗原典研究会
河出書房新社 1988-11

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 1907年といえば、日本が日露戦争で勝ったあとであり、西洋にも日本の存在がすでに轟いていたころだろう。文明国かもしれないし、だけど日本におとずれた西洋人は、日本の混浴や裸でいても羞恥のない国民性に驚き、楽園を夢見たり、性観念の弱い日本に憤りを感じていたりした。でも南スラブやポーランドでも女性でも夏に家や畑で一糸まとわぬすがたで労働するとクラウスも書いていたりするのだけど。

 幕末・明治ころまでにのこっていた混浴や裸にかんする羞恥心のなさはもう現代の日本人すらもすっかりと知らないものになっているのだが、中野明が『裸はいつから恥ずかしくなったか』という問いを立てたように、クラウスも明治の時点でこのような慣習に疑問をいだいたのだろう。それを植物崇拝や性器崇拝にその源をさぐるほうが正しいのだろう。

 日本ではむかし人間は植物の後裔であり、ふたたび樹木か、ほかの植物に舞い戻るとされていた。死ねば、自分が出てきた植物や樹に舞いもどる。だからこの魂がもとの古巣にたやすくもどれるように、人びとは墓に花や木を植えるといわれている。スラブには死者が墓からもどって近親者の血を吸うという吸血鬼信仰があるが、日本でも盆に死者が帰ってくるのであり、そうたいして変わらない信仰をもっていたことになる。

 日本ではむかし道や十字路、畑などに男根のかたちをした石棒や神体を立てた。性器のかたちのした自然物や造形物に生殖を押し進める霊がこのなかにやどり、畑のみのりはこの霊の恩寵に左右されていると考えるようになった。この霊を崇めるために畑や牧場で性行為をおこなった。

 男根の神はムラの境や境界などに立てられるようになり、それは「賽の神」とよばれるようになった。悪疫をおいはらうものとされた。なぜなら、「生殖は病気や死の反対物」だからである。だから世界中どこでも陰部を露出して悪霊をおいはらうようなことをやっている。日本神話のアメノウズメが性器を露出するのもそのような意味があるのでしょうね。

 性器崇拝や性信仰についての本はざっと調べてみると昭和の終りころまでしか出版されてなくて、こんにち人々の興味をまったく失うようになっている。幕末や明治までのこっていた混浴や裸でいることの習慣がこんにちの人にまったく奇異に思われるように、その根本にあった性信仰も断絶されてゆくのでしょうね。残るのは性の道徳がてんでなかったむかしの日本人の堕落や未開の奔放性だけと思われるようになるのでしょうね。(ネットにはございますが。「性神博物館」)

 試験婚はドイツでもわがオーストリアでも地方でいたるところでおこなわれているとクラウスはいっている。南スラブでは春と秋に、若者は両親、村全体、隣近所の同意をえて乱婚をおこなう。若い人は輪になって踊り、下半身を挑発的に動かし、わいせつな二行か、四行の歌をうたう。農民と都市民の道徳観念はかなり違っていたようで農民は男根の神を崇拝していても、江戸時代の都市民にとってもそれは不快にうつるということがあったようだ。

 結婚式の晩にも乱婚がおこなわれていたようだ。花嫁が若い夫と初夜をおくるまえに、新郎の若い友だちと結婚式の主賓が順に花嫁と関係していたそうだ。この風習はユーゴ、ルーマニア西部、ボスニアの十二ヶ所で確認できたとクラウスはしるしている。これは略奪婚か、略奪婚のふりをしたものだという。豊穣の神は性の独占をゆるさないのである。

 日本の田舎では死者がおとずれる祭日・ボンが、七月の大麦がみのったときにおこなわれるが、死者のために道を明るくし、ムギコガシの輪舞がおこなわれる。この晩には村人の自由が許される。娘に愛人がいないと両親は男をやとってやったという。結婚すると慈悲の女神カンノンのために初夜に村につぐないをしたという。古代バビロンやユダヤ人はアスタルテの女神のために操を捨てたが、日本でもおこなわれており、スラブでものこっていたのである。

 こういう風習は純潔や貞操を守る現代人からは理解できないわけだが、豊穣の神とともに生きた農耕民にとってはリアルな世界だったのでしょうね。実りや収穫がもたらされるのは神々の旺盛な性の繁殖力なのであって、だから人間も神のその交合に参加し、実りや収穫がよりいっそうもたらされるように神に性の捧げものをしなければならない。

 純潔や貞操を守り独占物にすることは、実りの神に来年の収穫をごく少ないもの、飢餓や枯渇をまねいてくれといっているようなものだったのでしょうね。そういう原理を理解できなくなっている現代人はますます地方や農民の祈りや願いを実りなきものにしてゆくのでしょうね。


▼このリンクはわすれないでおこう。
福助もダルマも天狗もルーツは男根!? 身の回りに隠れた性器崇拝


4791758579日本人の性生活
フリートリッヒ・S. クラウス Friedrich S. Krauss
青土社 2000-11

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