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02 07
2013

レイライン・死と再生

豊穣な性の古代自然宗教とはどのようなものだったか

 古代の自然宗教には無節制で放縦な性の慣習やルールがあったようなのだが、それはどのようなものだったのか。内実や理由がよくわかるシューバルトの『宗教とエロス』の第二章「創造の歓喜」から引用したい。

 古代の性慣習は現代の純潔と貞操の性観念のネガや対比に思えてきて、その違いからうきぼりにされることがたくさんあるように思う。

BK0020-300x300.jpg宗教とエロス (叢書・ウニベルシタス)
ヴァルター・シューバルト
法政大学出版局 1975-01

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「畑地の作物の豊穣とすべての植物類の繁茂のためには、人間たちも少なくともある一定の時期には可能なかぎり無節制の媾合を営むのが効果的であり、またそうすることが必要なのだと考えざるをえない。人間は性を通じて、いわば万象の統治に参与するのである」



 この古代宗教のキーポイントは作物や獲物の豊穣と人間の性行為の同一視である。それらの豊穣と再生をもたらすのは神々の交合である。神々の多産をもたらすためには人間も性行為をいっそう励まなければならないという考えがあったようである。

「母神宗教の人間は性交において力のかぎり奮励することが愛の神を喜ばせ、力づけ、彼らの好意を呼び起こすことができると信じている。性行為はこの時以来神または母なる大地に清新な活力を補給するための奉納という意味をもつようになる」



 性行為は淫乱で俗悪なものというマイナス・イメージをもたらすものではなく、それ自体が人類の生命の糧となる食物をもたらす起源となるものというプラスのイメージをもっていた。性をさかんにしないと食物の枯渇と飢餓がもたらされるなら、人は必死に性に励むのはとうぜんのことである。

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 ▲飛鳥の豊穣の祭り「おんだ祭」

「この宗教の基底をなしているのは、世界は宇宙の根源的諸力の初夜の交わりのなかから生まれた、とする考えである。それ故、エロスこそ万物の本質なのである。この宗教は根本的にエロス的な性格のものであり、いうなれば性そのものの宗教である。愛の神々は生殖と出産の原理を人間の形姿において神格化したものであり、産出行為それ自体の象徴形態である。彼らは人間の性愛関係の擁護神である」



 古代の人々は穀物や動物の命の再生や繁栄だけに性を見たのではなく、この世界や宇宙の無機物までに拡大解釈した。太陽や月、星のような天体も神々の性交によって生み出されると考えた。性交は宇宙的ひろがりをもつ聖なる創生の源泉だったのである。

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 ▲豊穣の女神アルテミス

「この宗教においては犯罪人とは禁欲者、貞潔な者、律儀者、性的不能者のことである。この宗教の最も敬神的な人物、偉大なる聖女とは、痛飲乱舞しつつ奔放無碍の性欲に身を委ねるディオニュソス的な女性のことであり、ルターをしていわしめれば「極悪の売女」のことである」



 近代やキリスト教の性道徳とはまるで逆で正反対の性観念を、この古代豊穣神話はもたざるをえなかった。穀物や獲物の繁栄は性交によってもたらされるのであり、さかんに性交をおこなうことは自らの食物の糧をふやすことであった。ゆえに性の禁欲・貞潔は食物の枯渇や飢餓をもたらすものに等しかった。しかしキリスト教によって豊穣の女神は淫乱で貞操観念のない悪女・魔女に零落するのである。

「全民衆の歓呼と注視の前で行われる遊女と情夫の公開の性交は(それは今日でもインドネシアで行われている)祭儀の頂点をなすものであり、放縦無制約の集団混交が開始される合図であった。五日間にわたって夫婦間や友人間の拘束が取り払われる。ミュリッタの権利、すなわちすべての女が任意の男を、すべての男が任意の女を求めることを許される権利、を侵害する一切の国家的、社会的な制約が取り除かれる」



 集団による乱交は日本でも歌垣や祭りの日に特別におこなわれた記録や外聞ものこっている。それはこんにち考えるような性的堕落や性道徳の崩壊ではなくて、神に捧げる豊穣や繁栄の祈願だった。人間の性的放縦は食物の糧の大小に直結していたのである。

「純潔はディオソニュス的女性の最高の恥辱である。それ故女性は愛の男神たちに犠牲として捧げられる。処女たちは神殿のなかで祭司もしくは他国の国の男に身を捧げることによって生娘という汚名を濯いでもらう」



 食物の豊穣や繁栄は豊穣の神のさかんな性行為によってもたらされると考えるなら、人間もその行為に参加することによって神々の多産に協力しなければならない。そのように考える人たちの中にあって、純潔や貞操は食物の枯渇や飢餓をねがうようなものだろう。

「婚約した娘たちはそのことによって愛の神々の機嫌を損じることがないように、一定期間神殿のなかで、要求するすべての男たちに身を委ねるべきものとされるからである。つまり、処女を娶って自分一人の所有物にしようとする男は、彼女が遊女としての女性の天職に背くことがないよう、結婚に先立ってこれをすべての男たちに提供しなければならないのである」



 豊穣の神はひとりの人間に占有されることを好ましく思わず、怒りを買うものと思っていたようだ。ゆえに婚約者は神殿や仲人、司祭などに性を捧げる義務をおこなわなければならなかった。性というのは神と共有され、神が来年の豊穣と再生を約束するために奉納のようなものだった。

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 ▲シュメールの豊穣の女神イナンナ(イシュタル)

「結婚は性愛に対する宗教上の掟を斥けるものであるために、多産の女神への贖罪が必要とされる。結婚の権利は婚前の万人に対する春の提供によって買い取られる。新婦は遊女としての女性の職務を十分に果たすことによって彼女の結婚の意図、つまり一人の男の排他的独占物になろうとする意図の償いをするのである。従って、売春の義務を拒む女性は世人の侮蔑を蒙らねばならない」



 こんにちの一夫一婦制、貞操、私有観念からは理解もできないことだと思うが、根底には性が豊穣と繁栄をもたらす考えがあるゆえに、独占は神の掟に反するものだったのである。

「未婚の娘たちからも同様に売春の負担を取り除くために、ついに神殿侍女(ヒエロドゥーレ)または神殿娼婦と呼ばれる特別な階級が形成されることとなった。彼女たちは全女性の負債を一身に背負いこみ、愛の女神の好意が変わりなく全女性の上に注がれるよう職務に専念した。それ故、彼女たちは最高の尊敬を受ける身分であった」



 最古の職業は売春だといわれるが、古代には神との交合や交換をおこなう聖なる職業だったのであり、こんにちのように差別される職業としてあったのではない。日本でも遊女は神社や天皇に近しいものであったし、零落は遅かったのではないだろうか。

「売春を一夫一婦制の結果とみなす考え方は現代人が犯す無数の短慮のうちの一例にすぎない。事実はまさに逆であって、売春こそ結婚制度の前提条件だったのである。神殿侍女という特別な階級が存在したればこそ、世俗の制度としての結婚制度は愛の神々の意志に逆らって形成され、確立されえたのである。神に捧げられた遊女たちこそはじめて貞潔な既婚婦人の出現を可能にしたのであって、貞潔な結婚生活がその不本意な結果として(世俗における)売春を招来したのではない」



 神に捧げる神聖侍女があったこそ貞操な一夫一婦制が生まれたのであり、この制度は神聖売春のネガとしてあるのだという。

「性愛の交わりは生命産出の最深の源泉としてそれ自体神聖なのであり、同時にまた、天地開闢の宇宙的初夜――世界創造の神秘――がそこで反復される象徴的行為であるが故に神聖なのである」



 宇宙や天の創造も神々の性交によってもたらされると考えられていたのである。神々の聖婚は冬至や夏至の特別な日におこなわれると考えられており、それゆえに季節の節目には性的行為を象徴した儀式や祭りなどがおこなわれるのである。

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 ▲エジプトのヌート神は夫のゲプと交わり、太陽と星々を生む天の神とされていた。

「こうした風習の基底をなしているのは、女性の産出行為と母なる大地のそれは同一不可分の事象であるとみなす考え方である。人間の交接はそれ以来、ディオソニュス神の生殖意欲と力能を刺激しようとする請願のための供犠という意味をもつようになる」



 大地の生命や穀物をもたらす力は神々の交合によっておこなわれ、人間もこれに参加することによって来年の豊穣と再生がさかんになると思われていた。

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 ▲豊穣と多産をあらわすオーストリアの「ヴィレンドルフのヴィーナス」

「この祭りはこれら二神の神々が多産であるように、そして人々に豊穣な収穫を授けてくれるようにと祈願して奉祝されるのである。そしてこの祈願が成就されるためには特に集団媾合の密儀が効験を現すものとされ、祭りはこの密儀をもって頂点に達する。この宗派そのものが信者に対して、少なくともこの祭りの期間中できるかぎり頻繁に、かつできるかぎり多くの相手と交接することを要求しているのである」



 集団乱交は豊穣と再生をもたらす神聖な神への捧げもの、刺激するものだと思われていたのである。キリスト教やこんにちの禁欲・貞操の道徳からは考えられないことだが、性が収穫や再生と切り離されて考えられるようになったからだろう。

「彼らは、性的奮励によって植物の生長と五穀の豊穣をもたらす力を喜ばせ活気づけうるものと信じており、性と生殖の力を存分に発揮するとき、あたかも自分が神の血縁者、否、神の同格者でさえあるかのように感じることができるのである」



 神々の交合に参加することは象徴的なかたちで天皇の儀式にのこっていたり、祭りや神的儀式のなかに象徴的にのこっているものである。古代自然宗教は絶滅・消滅したのではなく、さまざまなかたちでこんにちものこっている。


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