HOME   >>  レイライン・死と再生  >>  神が身近にいたひと昔前の暮らし―『日本人の神さま』 戸井田 道三
01 15
2013

レイライン・死と再生

神が身近にいたひと昔前の暮らし―『日本人の神さま』 戸井田 道三

4480031529日本人の神さま (ちくま文庫)
戸井田 道三
筑摩書房 1996-02

by G-Tools


 現代の多くの人はもう神なんて信じられなくなっているのではないかと思う。でも神が身近にいた生活や習慣はまったく滅び去ったわけでもなく、ところどころに顔を出す。そういった世界観の根を掘ってみたいと思ったら、この本のような身近な神を語った世界をのぞいてみるのもいいかもしれないね。

 昭和のはじめ、著者はおばあさんから「お客さんがきたから肩がこってしかたがねえ」というような話を聞く。「どこから来たお客さんかね。東京からか」と聞くと、笑って「オショロさまだよ」と答えたという。オショロさまというのは、お盆のときに帰ってくる先祖の霊である。神は身近に存在する世界がすこしまえまであったのである。

 この本ではそのような暮らしや生活の身近にいた神のあり方をつたえる本になっている。神は身のまわりにどのようにあったのかと知るにはいい本かもね。

 「火と神」、「水と神」、「土と神」、「小さ子神」といった章立てで身近な神が探られている。

 神がやってくるとき、人は倹約と質素をむねとしていても、そのときだけ盛大な浪費をおこなう。神さまのためならこれほど思いきりぜいたくをしていると、神さまを歓待する気持ちをあらわした。

 旅の客人もむかし思いきり豪勢にもてなしたのも、もしかして神のマレビトであるかもしれないから邪険にあつかってはならないという思いがあったのだろう。神は豊作をもたらしてくれる存在で、まちがってぞんざいに扱えばどんな災厄をこうむるかもしれないもので、それは結果的に客人のていないなあつかいに結びついた。

 沖縄では結婚が決まると妻となる女性が山に逃げ込んで、夫となる男が探しにいかなければならない習俗があった。女性はすべて巫女、神の嫁であって、特別な日に訪れてくる神を歓待しなければならない役割があった。人間と結婚するいいわけを山に女性が逃げこむことによって、神に申し訳していたのである。こういうのは神が「実在」していると思わないととてもおこなうことも、理解することもできない行動だね。

 むかし体の弱い子や、できの悪い子を捨てて、申し合わせていた知人に拾ってもらう習俗があったそうである。神の子として認めてもらい、神の力で育つようにという親の願望だったそうだ。こういう捨て子の習俗は、神という媒介をへないとまったく理解できないので、神を信じない現代人はこの習俗を誤って認識する恐れがあるね。

 『聖書』には「一粒の麦もし死なずば一粒にてありなん」という言葉がある。一粒の麦はそれ自身死んで、やがて芽を出して成長して、無数の麦になる。もし一粒の麦が死なないといつまでも一粒でしかない。鬼子母神や神には凶悪で残忍な面があるのは、死と生の両面の矛盾した面をもっているからだとされる。

 スサノオがヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメと結婚した神話は、三輪山伝説のようにヘビの化身である美青年が通って妊娠する話とおなじではなかったのかと著者はいう。ヘビやオロチと交わる昔話的思考を不都合と考えて合理化したものがこのような話になったのではないかと。退治して結婚するは、もとは性交の話だったと考えるべきなのか。水神の結婚の話だそうだ。

 太陽がもっとも弱まる冬至のころ、火をたいて景気をつける祭りがある。火をたくことによって太陽を元気づけるという考えによるものか。夏の日照りのときにも火をたいた。逆療法で、かんかん照りに火をたくと熱すぎるから、雨をふらせるだろうという算段かもしれない。

 夏祭りの原型というのは、カネや太鼓で大騒ぎし、疫病を町の外に追い出すためにおこなわれたことからはじまったのではないかという。

 荒神さまや水神さま、氏神といった身近な神には名がないことが多い。名を知られることは服従することであり、神の名をよぶことは失礼にあたることだった。むかし女の人の名を知ることは夫婦になることだった。『千と千尋』の映画では名が知られることがひとつのテーマとなっていたね。

 祭りは一年の一回おこなわれるが、毎年くりかえされる。神の物語はそのたびごとに現在として、いまを生きる。

 多くの人が自分の出生に疑いをもち、拾われた子だと思い込んだ経験がある理由を著者は探ってみせる。幼少期の神のような親がふつうの人間に見えてしまうとき、全能感の消滅を防ぐためにこの親の実の子ではなく、もっと高貴な親の子であると思って現実を帳消しにする心理がなせるものだと解釈してみせる。なるほどですね。

 さいごの「むすび」がなかなか名文なのだが、あなたはこの本を読んですでに出された答えをおぼえてクイズに強くなろうとしているのでしょうかと問う。この本から疑問を深めてゆく方法をおぼえてくれるなら、うれしく思うと結んでいる。ぴりっとした皮肉と知識のよい向き合い方を示唆しているね。答えだけを知って満足するような読み方はしてほしくないだろうね。


狂言―落魄した神々の変貌 (平凡社ライブラリー (226))忘れの構造 (ちくま文庫)日本の神々 (岩波新書)神、人を喰う―人身御供の民俗学日本の神々の事典―神道祭祀と八百万の神々 (New sight mook―Books esoterica)

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top