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10 04
2005

日常

38歳の原付免許


 原付免許はとれたのだが、ちょっとだけユーウツ。原付免許って高校生のためのものなのか。試験と講習をうけていたのはほとんど高校生っぽい若者ばかりだった。38歳の私は場違いな気もちを抑圧しつつ、試験と講習をうけてきた。私は年齢より、いまの自分の必要を重視するから、どうもこういうことになってしまうようだ。

 自分の中では高校生はそんな遠くの話ではないように思えるのだが、私は彼らのひとまわり多く生きているのである。へたすれば、私の子どもの年齢であってもおかしくない。私から見れば、高校生はきゃしゃに見える。結婚していない私は、二十代以降の時間の速さに茫然とするしかないのである。

 浦島太郎ってこの年齢の過ぎ方をいっていたのだとあらためて「発見」したしだいである。この年になって浦島太郎の気持ちがあっさりとわかったのである。

 原付試験は落ちるのは恥だといわれているが、私は問題集をやっているときはたいへん難しいと感じた。一冊まるまる問題集をやっても、一回しか合格点(9割)に達しなかったのだ。私って本はよく読むけど、てんで頭ワルイと思った。ていうか、学生のときからベンキョーは得意じゃなかった。

 とっぴなことをいうけど、原付試験の問題は20世紀言語学の祖「ソシュール」の思想だと思った。言葉のように差異や違いをもとめるのである。ある対象はこれとこれとどう違うのか、言葉はそれによって成り立つ。どう違うのかを際立たせるのが言葉であり、また原付の問題集であると思った。交差点の駐車禁止は5mか、10mか、その違いを答えなければならないわけだが、その違いがあるからこそ、言葉は成り立つのである。原付免許は「言語学」であると私はひとり悦に入った。

 物事を理解するとき、これとあれはどう違うのかとはふつう思わない。原付免許にかぎらず、テストはこれとあれはどう違うのかを問う。「洗濯機は時計ではないか、カバンではないか」、テストはそのようなことを問い、言葉もそうやって成り立っている。ふつう物事を理解するときにはわざわざこれとあれはどう違うのかを考えたりしない。言葉では無意識にやっている根本的な作業を、テストは垣間見せるわけである。似たものを排除して、はじめて事物は言語づけられるのである。じつはこの「排除」という言葉の作用が、人間の多くの問題をうみだしていると思えるのだけど。

 問題集を二巡目するところからようやく合格点に達するようになり、難しい問題が出たら一発でアウトだと思っていたのだが、じっさいの試験問題はチョーカンタンなものばかりだった。拍子抜けした。問題集が難しすぎたのだ。ていうか、なんだろう。。知らない問題ばかり出ているように思えて面喰ったのである。参考書と問題集の目のつけるところは違うから、参考書を問題集のように読めなかったのだろう。

 試験問題を見るまで原付試験ってものすごく難しいと思ったのだが、みんななぜカンタンだというのかと絶望しかかったが、試験問題はレベルはかなり低い。それでも落ちる人は3人ほどいたから、ある程度は勉強しなければ受かるレベルではないと思う。

 なんだか原付はやっぱり高校生の乗り物だという気がして、気持ちが萎えてしまったが、どうしようかな~、やっぱりバイクは買おうか。スクーターはぜったいに好きではないから除外。YAMAHAのYB-1 FOURしかないかなと思っている。MAGNA50はさいしょ気に入ったけど、小っこすぎるし、ああいうカッコつけはいやだ。

 バイク・ショップめぐりにはげみたいと思う。でもなんかバイク・ショップってスーパーみたいにドライな量販店がないし、べたべたした八百屋レベルに近いし、公道デビューはコワイなぁ。。 野宿ツーリングの夢を果たせるようがんばろう。

 yb-1_main1.jpg YAMAHAのYB-1 FOUR

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Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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