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2012

レイライン・死と再生

性とは神への歓待や豊穣の祈りではなかったのか―『遊女と天皇』 大和 岩雄

4560081948遊女と天皇(新装版)
大和 岩雄
白水社 2012-01-18

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 大和岩雄はこの本が出される1993年より十年前の1983年に、レイラインを考察した『天照大神と前方後円墳の謎』という本を出している。

 夏至や冬至の太陽の日出没の方角に寺社山岳が地理上で結ばれているのではないかというレイラインの分析である。そこで本書の考察の主題となる「一夜妻」や「神聖淫売」がとりあげられていて、わたしはもっとくわしい本を読もうとこの本を手にとったわけである。

 レイラインでは神々が新しい年の太陽を性交によって生み出すという古代の世界観があり、王や民衆が性的放縦をおこなうことにより、新しい年の豊穣や繁盛が世界にもたらされるという考えがあった。この考えにならえば、人々が乱交や性的放縦をおこなった理由が連なってくるというものである。

 その連なりが本書ではいまいち弱い気がするので、本書だけを読めば、聖なるものとしての遊女というテーマだけを読みとってしまうことにならないかと思うのだが。

 この本の前半は神に捧げられるものとしての性が民俗学的に紹介され、中盤からは『万葉集』や『梁塵秘抄』などの古典文学から遊女は官民や神として遇せられていたのかと探られた本になっている。中盤からの古文になるとわたしの読解力ではいささか難儀したのであるが。

 古代、遊女は神や聖なるものに近い存在として崇拝や尊敬が与えられていたのではないかと、近代以降おとしめられた性や遊女の価値転倒をはかる本なのだが、なぜ性や性的放縦が尊ばれていたのかのつながりを示唆する説明がすくなかった気がする。

 祭りの日におこなわれた性的解放や乱交が各地から民俗学的資料として集められ、処女や初夜権も媒酌人やムラの若者に与えられたというくだりを読むと、現代からするとなぜ個人の性的所有というものが尊重されなかったのかという疑問がわきあがる。

 この本は資料を多く集めてきて、つながりやなぜそういうことをおこなったのかというキーワードをつなげにくい。どういうつながりがこの性的転倒を結びつけるのだろうかと考えると、「性はなぜ神に捧げられるものだったのか?」という問いで結びつけられるのではないかと、前回に問いを提出しておいた。答えはまったく留保しておいたのだけど。

 答えはあんがいかんたんなもので、遊郭においてお客が「お大尽=大神」として遇せられるように、神は「客人(まろうど)神」として人に宿られると考えられたということになるだろうか。

 神というのは「客人」なのである。春や秋に収穫やギフトを贈り届けてくれる存在として、神は山や異界からやってくる。そのときに歓待や饗宴でもてなすのが神への儀礼ではなかったのか。性というのは神への「お供え物」であったのである。

 サンタクロースはなぜか無償でクリスマスの前夜にギフトを贈り届けてくれるのだが、神の構造というのは、異界からギフトを贈り届けてくれる存在ではなかったのか。ギフトを贈り届けてくれるお返しとして、性は神に捧げられたのではないのか。神への歓待なのである。人間の生を維持させてくれる根源的な実りや収穫にたいしてのお礼や返納は最大限の感謝や尊敬をもって遇さなければならない。

 人身御供も大地や動植物はみずからの身体や生命をもって人間に食料や実りをもたらしてくれるのだから、人間もそれなりの見返りを返さなければならないという互酬性があったのではないか。

 神は大地の収穫や豊穣をもたらしてくれる存在である。その豊かさをもたらす原点は性交や受粉である。性的な放縦は収穫や実りを大きなものにしてくれる歓待ではなかったのか。神はそれによって来年の収穫や豊穣を大きなものにしてくれるのではないのか。

 遊女や売春にかかわった巫女が聖なるもの、神に近い存在として遇されたという言説は、その過去の処遇だけでは説得性をもたない。来年の豊穣や収穫をもたらす神々との性交をおこなうからこそ、聖なるもの、崇拝されるものとして遇せられたのではないのか。それはわたしたちの生命を維持させてくれる根源ではないのか。

 日本は明治以降、各地の庶民や祭りにおおくひろがっていた性的放縦や性的信仰を西洋から遅れた前近代的な土俗風俗として弾圧してきた。こんにちではわれわれは純潔や性の個人所有、一夫一婦制や処女性などを固く信仰しており、前近代の日本の性風俗をまったく理解できないし、知りもしない。

 おそらくはわれわれの糧が自然界から人工物や工業にうつるときに、そういう信仰や因果律でとらえる必要のない関係にうつったからだろう。工業や商業で糧を得る人たちは、神々に自然の収穫を祈る必要はない。ボスや景気に収穫の拡大をのぞむほうがふさわしいのである。

 人間の性的行為が人間界の出来事だけに切り離されたとき、性は人間の再生産と快楽の営みだけに切り離されたのである。人間の個人所有の権利だけに限定されて、来年の収穫や豊穣と切り離されたのである。わたしたちは前近代までつづいていた性の放縦や解放の理由がまったく理解されない世界の因果観に暮らしているのである。

 現代のわれわれが古代から前近代までつづいてきた性の解放や放縦をあらためて思い知る必要はなんだろうか。

 むかしの人がただ今日的な感性で淫乱や性的放縦をくりひろげたわけではないということがわかるし、こんにちの祭りや季節行事には古代の世界観がまだ色濃く刻印されており、その原理で理由を読み解くこともできる。ともすればクリスマスに性行為がさかんにおこなわれる理由はむかしの冬至の豊穣の祈りが先祖帰りしたものとも考えることができる。

 この世界観、原理は各地のあちこちに見出すことができ、由縁はわからなくなっていることも多いが、まだ終っていない世界観であるともいうことができるのではないだろうか。過去や伝統の世界観を読む解くカギともいえるのである。


▼レイライン、死と再生の世界観の文献
天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス) 大和 岩雄  

飛鳥とペルシア―死と再生の構図にみる (小学館創造選書 (76)) 井本 英一

初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)エリアーデ著作集 第2巻 豊饒と再生エリアーデ著作集 第1巻 太陽と天空神大和の原像―知られざる古代太陽の道 (日本文化叢書 (3))神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)

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