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11 23
2012

セラピー・自己啓発

瞑想を「心の声に耳を傾けるもの」という根本的なまちがい

 よく新聞などで瞑想や座禅を紹介した記事で、さいごの一文に「心の声に耳を傾ける」という言葉が常套句のようにさしこまれることがある。

 以下の記事にもさらりとそういう一文がある。

「瞑想は、そんな心の状態に安らぎを与えてくれ、自分の心の声に耳を傾ける時間を持てるものなのです。」


 「ランチ後にたった3分のプチ瞑想。仮眠をとったかのようなスッキリ感」 Lohas news


 これは瞑想の根本的なまちがいであり、「心の声に耳を傾け」たら瞑想にならない。心の声を「聞き入れない」ことが瞑想なのである。根本的なまちがいをふっともらしてしまうのである。

 どうしてこういうまちがいがあたりまえのこととして通用してしまうのか。

 基本的に新聞のような記事を書く人は、書くことに自分のアイデンティティを賭けている。書くことが自分の価値であり、自分の思い入れの主要な部分である。自分の全存在を賭けているような「書くこと」の否定はできない。

 瞑想はその書くこと、心の声の否定である。ものを書く人はとうぜんその否定を受け入れられないだろうし、わかろうともしないだろう。わかることは自分の存在が賭けているものを全否定することである。

 書く人たちは、言葉や書き言葉を否定する意味が根本的にわからない文化に生きている。だから瞑想や座禅を紹介しても、こそっと自分のホンネの一文をもらすのである。

 なぜ瞑想は言葉や考えることを否定するのか。

 基本的に言葉はどこにも「存在しない世界」のことである。「存在しない」のであるけれども、人はいつかその存在しないものを「リアル」に「現実」に実在するものとしてカンチガイして暮らすようになる。

 その存在しないものに重みや苦しみを背負い重ねてゆくのが、人間の苦しみの根本原因だと喝破したのが瞑想をあみだした仏教などの考え方である。「言葉の世界」を外した世界を生きることが瞑想の根本的な目的である。だから自分の心の声に耳を傾けることではない。

 もうひとつは怒りや悲しみなどの感情は、言葉によって生み出されるという洞察が言葉の否定をもたらした。言葉はどこにも存在しない世界をつくりだすのだけれど、さらにはそのどこにも存在しない世界を思うことによって感情はもたらされる。

 わたしたちが怒ったり、悲しんだりすることの多くは「どこにも存在しない言葉」によってもたらされる。嘆いたり、苦しんだりすることは、「砂上の楼閣」なのである。

 このことを頭だけで理解してもその「存在しない世界」から逃れることは人間にはできない。

 なぜなら思考というのは自分の意志とかかわりなく自律的に自動的に出てくるものだからだ。瞑想はその自動的な噴出を透過するための訓練である。まちがっても「心の声に耳を傾けたら」、それはさいしょから失敗を約束されている。

 瞑想は自律的に自分の意志とかかわりなく噴出する思考を、無視してスルーさせるための訓練である。思考を自分と別のもの、自分ではないもの、脱同一化することが瞑想の目的である。思考と言葉の否定が瞑想である。

 新聞文化、活字文化に生きる人たちはこの自分たちの全否定をとうぜん受け入れられないだろう。理解もしたくない。そこで瞑想を紹介しておきながらも、瞑想の根本目的に抵触する一文を入れざるをえないのである。

 言葉や思考を否定し、とりさったあとになにが残るのか。なにも残らない。

 わたしたちの人生や生涯の価値をかけた言葉や思考の重みをごっそりととりさることである。アホになり、ボケーとなり、空っぽになる。「頭のよい文化」とぎゃくの世界にいってしまう。

 しかしそれこそが人間に苦しみやあやまった存在しないものの苦痛を背負わせている根本的な原因なのであって、その除去は自分の存在を賭けている価値の除去でもある。だから書き文化の人はこれを否定せざるをえないのである。

 アホになり、空っぽになった人は「文化の網の目」から自由になる。言葉によって編み出された世界観の外に出ることになる。そこにはなにもないだろう。しかしそこには存在しないものの苦しみやまやかしもないだろう。人は瞑想することによって、この「なにもない世界」でストレスのない解放から力を得てくるのである。

 言葉というのは人間に「存在しない世界」の仮構をたくさん付け足した。そしてよけいな苦労もたくさん編み出した。このよけいなあやまちをとりさるのが瞑想である。いままで自分の全存在を賭けてきた思考や自我の全否定でもある。だからおおぜいの人はこのボーダーラインの向こうには行こうとしない。



▼「言葉が世界をつくる」という考え方はこの本でよくわかると思う。人類学者がインディアンのシャーマンから教えを乞うた本である。
 『気流の鳴る音』 真木悠介

▼言葉や思考をなぜ否定するのかがよくわかる本
気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門リチャード・カールソンの楽天主義セラピー自我の終焉―絶対自由への道人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)

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≪言葉というのは人間に「存在しない世界」の仮構をたくさん付け足した。そしてよけいな苦労もたくさん編み出した。このよけいなあやまちをとりさるのが瞑想である。いままで自分の全存在を賭けてきた思考や自我の全否定でもある。だからおおぜいの人はこのボーダーラインの向こうには行こうとしない。≫

 「人間は努力する限り、迷うものである」とゲーテが言っているように、言葉を持つことで深く考えようとすることで、迷いや苦労を作り出していることになる。
 瞑想とはそうした言葉の世界から離れて、自分の内面のみと向き合う「孤独」な時間を持つことなのでだと思いました。
 

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