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09 08
2012

レイライン・死と再生

なぜ王は殺されなければならなかったのか?――『初版 金枝篇』 J.G.フレイザー

4480087370初版 金枝篇〈上〉 (ちくま学芸文庫)
ジェイムズ・ジョージ フレイザー James George Frazer
筑摩書房 2003-01

by G-Tools

4480087389初版金枝篇(下) ちくま学芸文庫 フ 18-2
ジェイムズ・ジョージ フレイザー James George Frazer
筑摩書房 2003-02

by G-Tools


 この本でうきぼりにされるのは植物の死と再生であり、世界中から収集される風習や儀礼の事例は太古には世界に共通した世界観や思考原理といったものがあったのではないか、ということである。

 原始宗教というのはこんにちの都市民・工業社会では理解しがたいものになっているむかしや未開の人たちの思考原理を、わたしたちに概念的に理解させてくれる。

 似たような風習・儀礼のたくさんに例にさすがに読んでいるうちに疲れてくる部分もあるが、この本で追究されたことはかつての世界観の根本や要であり、この本を読むことで理解が隔たりがちになっている農耕・狩猟時代の思考原理をわかるようにさせてくれる。この原始宗教はこんにちの世界観や季節行事などにところどころに顔をのぞかせるものであり、こんにちでも世界を規定している。けっして根本は滅び去ったわけではないと思う。

 問題の核は「王殺し」であり、生け贄はなぜおこなわれたのか、といえるだろうか。現代(刊行時は1890年)のヨーロッパの農耕民の風習にほかの未開人と同じようなものがたくさん残っており、日本は遅れた風習や俗習は排斥しなければならないと捨て去られてきたのだけど、当のヨーロッパにはその俗習は残存していたのである。

「答えなければならない問いは二つある。第一に、なぜ祭司は前任者を殺さなければならないのか? そして第二に、なぜ殺す前に、「黄金の枝」を折り取らなければならないのか? 本書は以下、これらの問いに答える試みとなる」



 ひとつの似たような風習・儀礼が世界じゅうから集められてくる。世界にこんなに共通した風習や思考原理があるとはひとつの驚きだろう。

 たとえば雨乞いでは特定の種類の木の枝を水につかし、地に水をまくことで雨をもたらす。特定の石を水につかしたり、水をかけたりする。娘を草や薬草、花でおおい、顔まで隠れるにようにし、村の家のまえで一団で踊り、家の主婦は水をかける。女たちが通りがかりの見知らぬ男を川に投げ込むか全身を水浸しにするところもある。このような似たような事例が膨大に羅列されるのが本書の特徴である。

「これが共感呪術の例である。つまり、望まれている出来事は、それを真似ることによってもたらされる、と仮定されている」



 この一文は端的に未開人の思考原理をあらわしている。自分たちがおこなうことが世界にもたらされるのだ。穀物の豊穣を願うなら、性的な豊穣によって祈願するのである。

「生きた存在とみなされる樹木は、雨を降らせる力、陽光をもたらす力、鳥や獣の群れを増やす力、女性の安産を促す力があると信じられる」



 樹木は樹木霊の身体とみなされることもあれば、家とみなされることもある、または神々の住まいだった。樹木霊が樹木に仮住まいしていると思われるようになると、木から木へと移り住むと考えられるようになり、人間の姿を帯びたりする。

「見捨てられた眠り人を起こすことはおそらく、植物の春の再生を表している。眠れる男とは、葉のない男であろうか、あるいは冬の枯れた大地であろうか? 彼を起こす娘とは、新緑であろうか、あるいは春の穏やかな陽射しであろうか?」



 原始宗教は民話や童話の原型にいきのこっているのではないか、と思わせる思考形態も示唆する。「眠れる森の美女」は上記のような例であるかもしれず、「シンデレラ」は「灰かぶり」であり、聖なる火の灰は穀物を豊穣にする力があったとされていた。

「この祝祭で表されているのは、植物の神々が、春もしくは夏至の季節に結婚することであり、これは近代ヨーロッパにおいて、五月の王と女王、五月の領主と奥方によって表されるものと同じである。…その表現が実際に意図するのは、葉や花の生育を早めることである。植物の神々の結婚が五月の王と女王によって表現されるのであれば、このように表される神々が、実際にその儀式によっていっそう多産になる、という考え方がここにある。…その目的(飢饉・災害防止)を達成するには、植物の生産にもっとも関わりの深い神々の結婚を劇的に表現すればいい、と考えられたのである」



 フレイザーのこの本には性的な事例がほとんどとりあげられていないのだが、穀物の豊穣が性的なものによってもたらされるなら、共感呪術の例にならえば、人間の性的豊穣が植物にも実りをもたらすはずだという考えになるはずである。日本がいぜんは性的に放縦だった名残りはそのような信仰によるものではなかったのか。性的事例の欠落は、世界の再生や誕生という世界観の要も説明できなくさせるだろう。

「王の人格は、こう言ってよければ、宇宙のダイナミックな力の中心と考えられており、そこから放たれる力の放物線は、天空のあらゆる方角へと伸び広がってゆくものである。このため彼の動きはいかなるものであれ―――たとえば掌を返したり、片手を上げたりという動きは―――即座に、自然の一部に影響を及ぼし、これに深刻な被害をもたらすかもしれない。王は、世界のバランスがその上で保たれている、支柱の先端なのであり、彼の側にわずかな歪みが生じれば、微妙に保たれている均衡は崩れてしまう」



 「王=世界」は「王殺し」がなぜおこなわるかの前提をほぼ説明しているだろう。王は世界なのであり、王の衰微は世界の衰微である。

「王がその義務を果たせなくなるや否や、人々がそれまで彼に惜しみなく与えてきた保護や献身や宗教的敬意は、たちまちにして止み、憎しみと軽蔑に変わる。屈辱的な廃位を被り、殺されずに逃亡できればありがたいほどである。人々によって神と崇められていた男が、翌日には罪人として殺される」



「そのような魂は、移しかえられた別の身体にも、虚弱な存在を持ち込んだままでい続けることになるからである。これに対して殺してしまえば、まず第一に崇拝者たちは、逃げ出す魂を確実に捕え、適切な後継者にしかと移しかえることが可能になる。そして第二に、人間神の持つ自然力が衰える前に彼を殺すことで、崇拝者たちは、人間神の衰弱で世界が衰退するという危険を、確実に排除できるのである」



 王は世界に衰弱をもたらしてはならない。その前に世界から去らなければならないのである。王は豊かな実りある世界のために殺されなければならないのである。

「自然死を遂げた人々の魂は、非常に弱くて脆い。それは、彼らの身体が崩壊してしまったからだ。一方戦いで殺された人々の魂は、強靭で活力がある。彼らの身体は病で衰えることがなかったからである」



「人間の身体が衰弱の兆しを見せ始める前に、あるいは少なくともその兆しを見せ始めるとすぐに、聖なる命をその身体から切り離して、強靭な後継者に移しかえなければならない。このために、神の古い表象は殺し、神の霊をそこから運び出して新しい化身に移すのである。したがって、神を殺すことはすなわちその化身である人間を殺すことは、より良い姿の中に神を再生ないし復活させるための、不可欠な手段であるに過ぎない。神の魂の廃絶たるどころか、それをより純粋に、強力に顕示することの、始まりに過ぎないのである」



 北ヨーロッパでは森の王に相当する樹木霊を表象する人間を定期的に殺す風習があった。時代が下るにつれ、それは殺されるふりをしたり、人形におきかえられてゆくのだが、殺されるものは衰弱する世界や身体の抜け殻であるのは変わりがないのだろう。

「アドニスが下界で半年を過ごし、残りを上界で過ごしたという物語は、彼が植物、とくに麦を表象していたと考えれば、もっとも容易にかつ自然に理解できる。麦は一年の半分を地面の下に埋められて過ごし、残りの半分の期間地面の上に姿を表すからである。一年の自然現象の中では、秋に消え春に再び現れる植物ほど、毎年の死と復活という概念をはっきり表せるものはない」



 この世界は一度死に、新たによみがえる、再生すると考えられているのは、こんにちの新年の考え方にもひきつがれている。新年はただ時間や年度を更新するだけではない。死んで再生するのである。その考えが植物から出ているのはこれでわかるだろう。

 わたしは太陽の死と再生のほうが年度の更新にはふさわしいと思っているのだが、フレイザーは植物にそれを求めたようだ。日本のばあいは太陽神の重みのほうが大きかったのではなかったかと思っている。

「オシリスの遺体が、そこから生え出した麦の茎で表現され、ひとりの祭司が手に持った水差しからこの茎に水をやっている図がある。この伝説は、人間(おおよそ穀物霊の代理と考えられた者だろうが)を殺して生贄に捧げ、その肉を分配し、あるいは畑を肥やすためにその灰を畑に撒くという風趣の、名残りであるかもしれない」



 遺体や灰はまかれた畑を豊かなものにする。生贄や遺体を切り刻んでばら撒くという野蛮な風習は、当時の人たちには理のかなった考え方だったのかもしれない。

「ある種の人間たち、とりわけ収穫期の畑を通りかかった見知らぬ者が、決まって穀物霊として捕られ、刈り束に包んで首を刎ね、麦藁に遺体を包み、その後雨乞いの呪術として川に投げ入れるという風習である」



 ドイツでは罰金を支払われるまで解放されないという穏やかな風習に変わっているが、原初的には首をはねられるということがあったのだろう。

「全人類の蓄積された不幸と悪行が、ときとして死にゆく神に押しつけられる。神はそれらを永遠に運び去り、人々を無実で幸福なものにする、と考えられている。われわれの代わりに、われわれの痛みと悲しみを他のだれかに負わせられるという概念は、蛮人の思考にはなじみのあるものである」



「丘の上から火のついた車輪を転がすという風習は、天空の太陽の経路がきわめて自然に模倣されたものであり、しかもこの模倣は、洗礼者ヨハネの祝日という、太陽が衰退し始める夏至の日に行われるものであるから、とりわけ相応しいものである。燃えるタールの樽を柱に下げて回転させ、巡回する太陽を真似ることも、同様に生き生きとした模倣である。太陽の形に切った円盤に火をつけて空中に投げ上げる風習も、おそらくは模倣の呪術である」



 フレイザーのこの本には太陽神の大きさがほとんどとりあつかわれていないのだが、太陽は大地や穀物の豊穣をもたらす冬から春のかけての再生を生み出す契機であったはずである。フレイザーはどうして太陽神についてもっと注意を払わなかったのだろう。

ヤドリギはオークの生命の中枢とみなされた。オークが葉を落としているというのに、そこに生えているヤドリギはつねに緑であることを見て、未開人たちはおのずと、ヤドリギはオークの生命の中枢である、という考えを抱くようになったのだろう。冬、裸のオークの枝の間に瑞々しい緑の群葉を見出して、この木を崇拝していた人々はそれを、神の生命の印として崇めたに違いない」



 これが第二の問いの答えにかかわってくる。オークの霊を殺すためには、彼の命または死は、オークに生えるヤドリギの中にある。だから彼を殺すためにはヤドリギを先に折る必要がある。オークもしくはヤドリギは太陽の炎の貯蔵庫として考えられ、それゆえに「金枝」なのである。


 わたしの興味としては太陽の死と再生に重みがある。穀霊や樹木霊の非業の死と復活は、この太陽の死と再生の世界観として共通するものとして、区別はできないものかとこのフレイザーの本を読んでみたというしだいである。穀霊の死と復活が、太陽のような無機物に延長されたものが、太陽神や新しい年度の更新、復活なのだろうか。

 ヨーロッパ、イギリスでは穀霊神に重点がおかれており、キリストの復活劇もその穀霊神の神話を踏襲しているようなところがあり、フレイザーの関心は穀霊に向かったのだろうか。

 この本のおもな関心は祭司や王はなぜ殺されなければならなかったのか、生贄のような野蛮な習慣はなぜあるのかといった関心に向かっていたようだ。そこから世界が衰微したり、穀物がとれないことの忌避の祈りが、共感呪術という方法で防ぐ方法が未開人の思考からたちあがってくる。

 生きつづけてほしい霊は、抜け殻のように身体や人間に宿ったり、うつしかえられたりする。その抜け殻、乗り物が弱く弱体化したときには一刻も早く新しい乗り物にのりかえないと、世界の衰微に向かってしまうという恐れが、王殺しや生贄へと向かわしめたのだろう。

 しかし世界の再生は穀物だけでおこなわるのではなく、太陽も死んで再生すると世界では考えられていたはずである。太陽が再生・新生するのは神々の交合でおこなわれると考えたのが、古代の人たちである。そこから共感呪術のように再生をうながしたいのなら、神とよばれる王や人間たちの旺盛な性的放縦がくりひろげられるはずである。エリアーデでは農耕と性的象徴の話はよくとりあげられるのだが、フレイザーではさっぱりである。性的禁欲の時代のせいで欠落してしまったのだろうか。

 原始宗教の話を読むとこの世界観の根本となっていながら理解しがたいものとなっている思考原理というものがいろいろほどけてくる。わたしたちはこの世界観からまだ遠く隔たったわけではなく、同じパラダイムでまだ十分に暮らしているといえる。おおくの世界観や考え方の起源に出会うことになるだろう。なんでむかしの人や未開の人はそう考えたのかがわかってくる醍醐味を味わえる。


図説 金枝篇(上) (講談社学術文庫)図説 金枝篇金枝篇―呪術と宗教の研究〈1〉呪術と王の起源〈上〉金枝篇 (3) (岩波文庫)

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