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08 18
2012

書評 社会学

「日本人は集団主義ではなかった」―『心でっかちな日本人』 山岸 俊男

4480426752心でっかちな日本人 ――集団主義文化という幻想 (ちくま文庫)
山岸 俊男
筑摩書房 2010-02-09

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 「日本人は集団主義ではなかった」ということをいいたかった本であると思う。それを実験によって証明してゆくものだから、わたしには実験がややこしくて理解がおぼつかなく、この実験明細は飛ばしてくれてもよかったと思う。

 ふつう日本人は集団主義で、アメリカ人は個人主義だというたんじゅんなステレオタイプをもっているのではないだろうか。集団主義は隷属的で、だからアメリカみたいな民主的な社会にならないのだと。

 いくつかの実験によって日本人はアメリカ人より個人主義なのではないかという結果が出るのだが、どうして日本人は集団主義に見えるのか、集団主義的にふるまうのかの説明もおこなわれるのだが、その説明もややこしい。集団主義的にふるまったほうがトクであり、個人主義ではキケンな目に会うかもしれないということだ。

 わたしはとかく集団主義が嫌いで、集団主義を忌避してきて、そのおかげで集団スポーツの応援も嫌いだし、国家がどうのこうのうんぬんの話題も嫌いである。会社でのつきあいも孤独好きゆえにだいぶ苦労したこともあった。

 戦後は進歩的文化人が集団主義を目の敵にする言説が流行った。しかし日本人は集団主義的にふるまいつづけた。それは工場労働や会社労働において集団主義的にふるまう必要と要請があったからであり、協調性やチームワークというものが労働上に必要だったからだろう。

 それを日本文化や日本人の性質によるものだという解釈も流行った。そのおかげで集団主義は猛威をふるった。あるいは集団主義を批判するからこそ、集団主義のコワさや報復も目立って、かえってぎゃくに集団主義が促進されるという皮肉な結果におちいったこともあっただろう。

 このごろでは終身雇用や年功序列という日本的労働環境が崩壊しかかっており、集団主義ではやっていけない、個人主義的な戦略で生きてゆかなければならないような時代になった。だからこの本では、日本人は集団主義ではなくて、思いのほか個人主義だったんだという自覚と気づきをうながす役割をひきうけている。

 日本人は集団主義だ、だから集団主義的にふるまわなければならないという思い込みが、日本の集団主義をつくるということである。

 わたしたちは自分がのぞまないことをおこなうばあいが多い、そうせざるをえないことが多い。日本人は集団主義をのぞんでいるというより、ほんとうは好まないのだが、そうせざるをえない状況におかれているのではないだろうか。

 この本の「心でっかち」というのは、ほんとうの原因に気づかないで目立ちやすい「心」に原因を求めてしまう心のことである。いじめの原因なんかで、他人を思いやる心がないからいじめをおこすのだといわれたりするが、他人を思いやる子はほんとうにいじめをしないのか。

 例としてベトナム戦争での虐殺があげられているが、このアメリカ人たちは他人を思いやる心が欠如していたのか。虐殺に反対していれば、自分が危険な目に会うかもしれない、リンチや殺されてしまうかもしれない。人は自分の意志とかかわりなく、まわりの状況によって好まない行動をおこなうことがたくさんある。自分の「心」だけで説明できるものか。

 いじめがクラスの中で何人の阻止する者がいれば、阻止する側に回るかのデータが紹介されているが、人々はおたがいがおたがいの行動を支えあっているのである。文化とよばれるものもそうである。日本人が集団主義的にふるまるのはそういう理由が支えているのではないか。文化とはトートロジー(同語反復、問いが答えになること)なのではないのか。

 それを実験によって証明してゆくのだが、とかくややこしい。論理的精緻さでべつに証明してもよいではないかと思うほど、この実験の入り組んだ細かさにはしょうしょう倦んだ。

 終身雇用も崩壊したのだし、日本人はむかし進歩的文化人がいっていた個人主義的に生きるべきではないのか、いまこそそういう条件が整ったということをいいたかった本であると思う。

 わたしも日本人がもっと個人主義的に、身勝手に自由にふるまえる社会になってほしいと切望する。集団の隷属や抑圧から脱するべきである。集団主義という縛りから自由になるべきである。



▼集団主義と個人主義
「集団主義」という錯覚―日本人論の思い違いとその由来個人主義と集団主義―2つのレンズを通して読み解く文化“いじめ”の根源を問う―集団主義教育の「犯罪」日本的社会知の死と再生―集団主義神話の解体 (Minerva21世紀ライブラリー)自己‐他者間の葛藤における調整―“個人主義・集団主義”概念の再検討

私の個人主義 (講談社学術文庫 271)日本の個人主義 (ちくま新書)夏目漱石と個人主義―〈自律〉の個人主義から〈他律〉の個人主義へ心の習慣―アメリカ個人主義のゆくえ方法論的個人主義の行方―自己言及社会

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Comment

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

Re:「日本人は集団主義ではなかった」―『心でっかちな日本人』 山岸 俊男 |

初めまして☆

個々人で言えば個人主義的な人も
集団主義的な人も両方それなりにいるのは
ある程度以上の人口がある国なら多様性的に自明ですけど
制度としてはどうかと言うと
日本はホームスクールが認められていなかったり
学校にせよ選択の自由が無さ過ぎたり
新卒至上主義や年齢差別がまかり通る等集団主義的要素が今でも相当あるんですけどね

『日本人は集団主義ではなかった』というのは相当な誤解を招きかねないとも言えます
一まとめに日本人は集団主義ではなかったという見方をするのならそういう見方こそどうかって話もあります
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