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06 09
2012

書評 哲学・現代思想

わたしの人生の羅針盤だったかも―『幸福について』 ショーペンハウアー

4102033017幸福について―人生論 (新潮文庫)
ショーペンハウアー
新潮社 1958-10

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 二十歳すぎに読み、人生に大きな影響を与えたこの本を約二十年ぶりに読み返してみた。

 ショーペンハウアーは社交する人間を低級なものとしておとしめ、精神的・哲学的な生活を最高なものとして孤独な生き方をすすめた。社交する人間には精神的な能力がないために他人や社交に頼るしかないのだと批判した。

 われわれはぎゃくに学校生活で友だちがいない人間は仲間外れで、嫌われ者、のけ者にされたものとして嫌悪や不快の感情をいだくように訓育されてきた。それ以外の考え方や捉え方はできないような状態のなかで、友だちづきあいに至上な価値をおいた生活をおくってきた。

 だからショーペンハウアーのその価値を転倒させた考えにはひじょうにカウンターパンチを喰らった。わたしはもうべたべたして友だちづきあいとか、集団生活とかから距離をおきたいと思っていた。ひとりになりたかった。

 ショーペンハウアーは孤独を好むことを推奨し、群れる人たちに軽蔑をあたえる考え方をさずけてくれて、友だちや集団でないといけないという縛りから解放してくれた。でも人や集団から距離をおこうという考えは、その後の集団との関わりにいくたもの困難もさずけてくれたのだが。ひとりになりたいけど、つながっていないと居場所やそこに存在してはならないという意識も強烈に感じざるをえなかった。

「他の人たちに見られるような、単に実際面だけの生活、単に一身の安寧をめざしただけの生活、深みの進歩がなく単に延長的な進歩しかなしえない生活は、この知的な生活に較べれば悲惨な対照をなすものだけれども、彼にとっては単なる手段にすぎぬこうした生活を、世の常の人は、先に述べたように、それをそのまま目的と認めざるをえないのである」



 精神的な欲望をもたないで生活のためだけに生きる人をショーペンハウアーは強烈に批判した。

「ところが普通の人間は、事、人生の享楽となると、自己の外部にある事物を頼みとしている。財産や位階を頼みにし、妻子・友人・社交界などを頼みにしている。…このような人間の重心は外部に落ちる」



 これに対して精神的な欲望をもつ人をショーペンハウアーは褒めたたえる。

「だからこの種の人間にかぎって、何ものにも妨げられずに自己を相手とし、自己の思想と作品を事とすることが痛切な欲求となり、孤独を歓迎し、自由な余暇を無上な財産とし、それ以外のいっさいはむしろ無用なもの、あればかえって荷厄介なことが多いとものと考えるわけである。したがってこういう人間こそ、重心が全く自分自身の内に落ちているということができる」



 世間で教えられること、信仰されていることはこの考えとまったく逆だろう。友だちや華やかな交友がたくさんあるほうがうらやましく、孤独は悲惨でかわいそうだと思われている。ショーペンハウアーはその考え方をまったく逆転し、孤独に生きられない人をぎゃくにみずから精神的な欲望をもてないかわいそうな人だとしておとしめた。

「すべて社交界というものはまず第一に必然的に、人間が互いに順応しあい抑制しあうことを欲求する。全く自分自身のあり方に生きていて差し支えないのは、独りでいる間だけである。だから孤独を愛さない者は、自由も愛さない者というべきだ。人は独りでいる間だけ自由だからである」



 友だちや集団というのはみんなと同じであることを要求する。違ったことをすれば、それは内なる集団やわたしたちに向けての批判になるからだ。だからみんなといっしょにいるとみんなとおなじ行動をし、格好をし、趣味も同じにならならければならない。自分をもった人がこんな集団に適合することに価値はあるだろうか。

「むしろ他人との調和を重んじて、萎縮したり、さらにははなはなだしきはおのれを枉げたりすることを余儀なくされるのである。機知に溢れる弁舌や着想は、機知に溢れる人たちを前にしたとき以外は控えるがよい。すなわち普通の社交界で人の気に入るのは、どうしても平凡で頭の悪い人間であることが必要なのだ。だからこうした社交界では、われわれはほかの人たちと似たり寄ったりの人間になるために、大いに自己を否認し、自己の四分の三を捨てなければならない」




「他人と共同関係を結ぶためには、それに必要な多大の犠牲を払ったり、ましてや明らかに自己を否認してまでも他人との共同関係を求めようとしたりすることは、価値を豊かさとも内に具えた人ならば、思いとどまるであろうが、それを思いとどまらせるのは、いわば自己に対する満足感なのである。普通の人間は、これとは反対の気もちから、いかにも社交的、順応的になる。自分自身に耐えるより、他人に耐えるほうが楽だからである。人間が社交的になるのは、孤独に耐えられず、孤独のなかで自分自身に耐えられないからである」



 ショーペンハウアーの孤独を至上におく考え方の真髄はここに出ている。孤独にたえられない、自分自身に耐えられない人が社交や人とのつながりに慰めを求めるのである。社交や集団に価値をおく人たちはこういう反省をすこしでもしたことがあるだろうか。

「知性や分別によって憎しみや怨みをかき立てられるのが、絶対多数の人間である。人は話の相手となる人間が大いに精神的に優れていることに気づき、それを感ずる場合、相手もまたそれだけ自分の劣等で低級なことに気づき、それを感じているだろうという推論を、明瞭に意識しなくても、心中ひそかにくだすのである。知性や分別を見せるのは、すべての人に向かって間接にその無能と愚鈍を非難することになる」



 ショーペンハウアーのこの警句にはわたしは敏感に反応した。まわりの人たちのあいだで思想とか学問の話はしないようになった。こういう話をすると人の学歴コンプレックスとか知性の劣等感を傷つけるということがわかったので、なるべくこの話はもちださないようにした。わたしといっしょに働いたことのある人がわたしが人文書好きなことはたぶんだれも知らないだろう。

「人間は終始一貫、他人の意見、他人の思惑の奴隷となっているのである」



「われわれが他人の思惑を重視し、それに絶えず気に病んでいることは、通常、どんな目的活動にもまず類を見ないほどはなはだしく、いわば世間一般に波及したというよりはむしろ人間生来の偏執だと見てもよさそうなくらいである。すべての言動に当って、まずいちばん先と言ってよいくらいに気にするのが、他人の思惑である。われわれが今までのしたことのある気兼ねや心配のほとんど半分までが、他人の思惑に対する配慮から生じたことがわかるだろう」



 「人がどう思っているか、人にどうあつかわれたか」ということをずっと頭のなかに反芻するのが人間というものである。グルジェフはこれこそが自己の価値を保つための「自我」の存在理由だといったが、これは引き下げるか、消すかの選択をしたほうがいいのだろう。

「この名誉欲という動機を理性的に見て妥当と肯かれる程度まで抑制し引き下げること、すなわち不断に責めさいなむこの棘をわれわれの生身から抜き取るのがいちばんよいことは明らかである」



 人から認められたい、承認されたいという欲求は人間にはいちじるしく高くそなわっているものだが、この空しさや無益さを悟って、引き下げるなり、押さえ込むことがだ妥当である。この欲求をすこしでも押さえることができたなら、平静と平安はより身近になるだろう。


 ショーペンハウアーのこの処世訓は約二十年まえに読んで、わたしの生き方に関する影響を強くあたえた。とくに上に引用した、孤独と社交の価値逆転、精神的な優越が人を傷つけること、名誉欲を引き下げることの三項目はわたしの柱となってきた気がする。

 ショーペンハウアーだけではなくてほかの思想家などの似たような思想を読んで考えを形成した部分もかなりあるのだが、やっぱりショーペンハウアーの影響力は大きかった。ショーペンハウアーの注釈、くわしくわかるための解説としてそのほかの思想家が役立ったという面もある。

 出会った当初は皮肉っぽいなーとか、ここまで極端に考えたくないと思ったのだけど、月日を重ねるうちに自分の考えと違和感があまりないほどに自分の考えにもなっていた。

 やっぱりこの本でのいちばんのインパクトは社交や群れる人の低級さや愚鈍さである。ふつう一般では孤独のほうが非難され、社交に価値がおかれる。そういった価値観のなかでは孤独な人は自己を責めたり、他者から責めたりされがちだろう。

 だけどショーペンハウアーはまったくそうではないという。思想家、精神の価値を至上におく者にとってはまったく逆の価値観がひらけているのである。世間一般の価値観に従って生きるか、ショーペンハウアーの価値観に従って生きるか。

 それは人生の価値や目的をなににおくかで変わってくるのだろう。ショーペンハウアーの本を読むような人は精神的な価値をおく人生を選ぶほうがいいのかもしれない。


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Comment

社交する人達にとって、いわゆる個人の思想や哲学や知の価値が、忘れ去られていることが悔しいです。

ショーペンハウアーを読み込んだことはないのですが、思わず共感してしまいました。
人間のコミュニケーションのネットワークには、共通認識を接点とした心理網のようなものが二重構造的に付着しているように感じます。
ネットワーク内で影響力を持っている人の認識が全体の共通認識と化すべく淘汰圧力が掛かっているかのように感じます。
「仕切っている人次第で人間関係は幾らでも質が変わる」ように感じます。
好ましくない心理網の影響に対して受身でいたくない、と思ったら、「他者と関わる際のモチベーションに、向上心と邁進力を練りこむ必要がある」というふうに感じます。
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