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06 03
2012

書評 社会学

ニュースは知的文化ではない―『ニュースをみるとバカになる10の理由』 ジョン・サマービル

4569615821ニュースをみるとバカになる10の理由
ジョン サマービル C.John Sommerville
PHP研究所 2001-04

by G-Tools


 わたしもこの立場にまったく賛同する。ニュースはこの世のあたりまえや変化しないものをつたえない。日常や社会の土台、深層にあるものをとりあげない。そこがいちばん重要な知識であり、思索されるべき対象だと思っている。

 この日常や社会を考えないで、おこった事件や事故をとりあげて、また忘れるだけでは、ほとんどこの社会と向き合っていることにならない。たんなる「野次馬」や「事故現場」を走る回るだけである。これが「知的文化」と思われるのは悲愴である。

 宮本常一もこういっている。

「新聞も雑誌もテレビもラジオもすべて事件を追うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか」
『女の民俗誌』



 新聞を読むより、社会学や心理学、経済学の本を読むほうがよほど社会のことを知ることができる。これこそが社会の現実のすがた、日常にひそむ社会のありかただ。だけどニュースは変わったこと、見慣れないこと、不可思議なこと、めったにおこらないことをとりあげて、人々の関心を引かなければならない。これが社会のすがただといえるのか。

 この本では章立てでニュースによるまちがった思い込みが捉えられているが、まさに的をえている。「ニュースを知的文化であると思い込む」。こんなのは知的文化ではない。生活の全体をながめる助けをしないし、生を不安定でばらばらなものにしなければならないからだ。

 ニュースは文化の代用品だと考えられている。本の代用品であり、英知への近道だと思いなしている。だがニュースは文化と思索を受けつけなくする。ひとつのテーマや主題で何ヶ月や数年も考えたことがあるだろうか。文化や学問というものはそういうものなのである。あした、違う事件に目を奪われるニュースに深い思索性や英知が養われるわけがない。

 百年とか数百年まえの本を読むと、当時騒がれた事件がいかにこんにちなんの関心も用もなさないことがわかるだろう。文化や知識というものは人間や社会の変わらない本質や性質について思索を費やすべきである。事件や事故というのは波間の砕け散った泡沫にすぎない。

 ニュースは「毎日新しいことが起きていると信じ込ませる」。「事情通になれると思い込ませる」。「ニュースに報じられたことが歴史だと信じる」。「科学がつねに新発見をしていると信じる」。「ニュースを見れば道徳的になれると信じる」。

 これらはすべてニュース産業の製品性にある。毎日新しいこと、目をひきつけることがおこらないと読者をひきとめておけなくなるからだ。

「毎日毎日、注目に値する事件が起き続けている」

「三十分後、あなたの世界は変わります。ヘッドラインニュースがそのすべてをリポートします」

 マスコミが製品として売り出しているのは「変化」であって「英知」ではない。大きな文脈で捉えることではなくて、それを断ち切ることで、日々のニュースがさも大きな出来事、衝撃的な変化だと思い込ませることができる。

 ニュースから受けとれるのは世界のごくごく一部を切りとったかけらにすぎないのに、わたしたちは意識のすべてを占めるほど肥大させる。わたしたちが望むのは、世界の出来事ではなくて、少しばかりの刺激なのだ。

「新聞を何万ページも読んだからといって、子々孫々まで語り継げるような記事はどれほどあるのか」

「ニュースは日常の出来事を無視するものなのだ」。しかしこのような日常のニュースにならないこと、変化のないこと、人目をひかないものこそがわれわれの生活であり、社会ではないのか。風変わりなこと、目新しいこと、めったに起こらないことに目を奪われることは、ほぼ日常と現実の「逃避」ではないだろうか。学問や本はこの変化のない変わり映えのない毎日のなかの問題や疑問を考えることである。

「ニュースをよくみるということは、自分の考えをほとんどもたないことを意味する」

「メディアの権力の源泉は、この「罪悪感」である。…ニュースにとって大切なのは、私たちの罪悪感に毎日少しずつ働きかけ、良心をちくちくといたぶり、私たちをつねに何かで悩ませておくことだ。こうして人びとはより敏感になる。…読者がこの問題についての強迫観念を共有してほしい。そして、今後もこの話題が長く続いてほしい」

 ニュースはなにか悪いこと、よくないことをつたえなければならない。ネガティブなニュースばかりである。よい出来事、すばらしい事柄、幸せな風景はニュースにならない。ニュースは人の恐怖や不快感、驚きをたえず煽りつづける「興奮・刺激」装置のようなものである。ネガティブで悲観的なことばかりにひきつけられる。いっそこのような情報は遮断したほうが、わたしの主観的世界は平穏と幸福にみたされるかもしれない。

 ニュースは知的文化なんかではない。事件記者が事故や事件のおこった先にあちこち移動して野次馬のように群がることが知的文化だろうか。それはおそらくなにも思索できないことではないのか。


▼関連書はこんなものでしょうか。
世論〈上〉 (岩波文庫)テレビニュースの社会学―マルチモダリティ分析の実践テレビニュースの解剖学―映像時代のメディア・リテラシーアメリカは恐怖に踊るリスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

ニュースはどのように理解されるか―メディアフレームと政治的意味の構築変容するメディアとニュース報道―テレビニュースの社会心理学ニュース・メディアと世論ジャーナリズムと権力 (SEKAISHISO SEMINAR)


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Comment

うえしんさんこんばんは

いつも興味深い本の紹介、ありがとうございます。私はここ数年テレビをほとんど見てませんが、精神衛生に良いですね。
その分、空いた時間で、仏典や聖書、万葉集などの古典を読んだりしてます。良書で涵養した知識をベースに思索しないと、世の中の真実は見えてこないですね。
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