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05 15
2012

書評 歴史

清貧の思想が知識社会のすがたなのか―『素朴と無垢の精神史』 ピーター・ミルワード

06149179.jpg素朴と無垢の精神史―ヨーロッパの心を求めて (講談社現代新書)
ピーター・ミルワード 中山 理 Peter Milward
講談社 1993-12

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 堺屋太一の『知価革命』を読み返すと、「暗黒の中世」とよばれた時代を知識社会としての目で見直したくなる。そういう研究書ってないのでしょうかね。

 このピーター・ミルワードの『素朴と無垢の精神史』は中世ヨーロッパの「清貧」の系譜を見直した本である。93年の出版で、おそらく92年にベストセラーとなった中野孝次の『清貧の思想』に啓発されてヨーロッパの清貧の系譜を紹介した本だろう。

 世はバブル。ブランドや高級品が飛ぶように売れて、株や不動産のマネーゲームに酔いしれていたころ。だからモノをもたない、心の豊かさをめざすメッセージが叫ばれたのだろう。

 物質主義や環境破壊をもたらすものに対しての批判の書である。わたしは中世を知識社会の時代として見直す意味で、再読してみた。本の意図はたぶん物質主義批判だから、知識主義の時代としての中世をのべているのではない。

 しかし清貧の思想というのは、知識主義のひとつのかたちとしてみることはできる。物質や目に見えるものの欲望に囚われていては神の道にいたれないというのは、知識至上の考え方にも似ている。だからこれからの知識社会とよばれる時代にはそのような価値のヒエラルキーが進行するかもしれないのだ。

 この本はキリスト教からギリシャの哲学者、中世の聖フランチェスコ、エックハルトなどの神秘主義、近代の哲学者、ワーズワースなどの詩人、C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンなどの中世的な想像力までじつの幅広い年代のことをとりあげていて、それいでいてそう分厚くはない本である。

 いまいちわたしには意図が読みにくい本だが、西洋の思想はどこでまちがったのかと古代まで遡って問われているのかもしれない。


「イエスのねらいは、人々に新しい目で貧しさを見つめ直してもらうことにある。

 貧しいがゆえに、この世ではいっさいを奪われ一文無し同然に見える。けれども、自分の心眼を開いて真理を見さえすれば、すべてを持っているという真実を悟ることができるのだ。

 万物を深く味わい、万物を与えてくださった神に心から感謝しさえすれば、大地も、水も、取り巻く空気も、太陽も、月も、夜空の星もすべて自分たちのものである」



 わたしたちはこれを宗教の言葉として斥けがちである。だけど、たんじゅんに心理的な心の作用と考えると、モノをもっともっとほしい、いつも足りないという気持ちで見ていると、不足しか見えずに、いま恵まれたものに囲まれているということが見えなくなるという基本的なことをいっていることがわかるだろう。

 この本はそのような西洋の言葉からはじまり、「自然へ帰れ」といったギリシャ哲学者のディオゲネスやストア哲学の系譜をたどりなおしてゆく。

 ギリシャのヘシオドス、ローマのヴェリギリウスのような詩人も「黄金時代」をたたえ、その黄金というのは「心の中の黄金」をいい、田園での質素な生活、純朴であたたかい人情のある時代に焦がれた。中国でも陶淵明や詩人などがたえず田園に隠遁する生活を憧憬してきたが、西洋にもしっかりとこの思想は根づいてたのである。

 中世は暗黒時代とよばれるのだが、それは物質主義を基準において考えから見えるもので、もし「清貧の貴婦人」のようなものが評価される目でながめてみると中世は「黄金の時代」として見えるかもしれないのだ。

 聖フランチェスコや修道僧が多く活躍した時代である。究極の清貧の思想が実現した時代といえるかもしれないのだ。もっとも物質的にも食料的にも、そして権力的にも貧困な時代だったから、こんにちの物質主義の目で悲惨な時代だったと目に映るのである。

 本は中世の神秘思想家エックハルトや聖書につぐ大ベストセラー、トマス・ア・ケンピスの『キリストにならいて』を言及し、神秘思想は禅仏教の無とひじょうに似ているという。

シェイクスピアはいった。「無になれば、何もかもが自分のものになる」




「知らぬところにたどり着くには、無知という道を通って行かなければならない。持たぬものを持つには、持つものをやめるという道によらねばならぬ。自分でないものにたどり着くには、自分でない道を通らねばならぬ。知らぬことが唯一の知ることであり、持つものが持たぬものであり、今いる場所がいない場所である」 T.S.エリオット『四つの四重奏』



 近代になると新世界の原住民と出会うことになり、「自然状態」が高貴な人なのか、野蛮人なのか問われることになる。ホッブスは自然状態は戦争状態にあるといい、ロックは自由で平等な高貴な人であると考えた。

 工業化、産業化がすすむとブレイクやワーズワースのような田園に焦がれる思想はたえず出てくる。街や都会の喧騒から逃げ出し、子どものころに親しんだ自然の風景のなかにもう一度もどり、湖水地方のような自然豊かな土地に住みたいとねがう。


「かつて牧場も、森も、流れも、大地も、そしてありふれた光景がすべて私の眼には天上の光をまとい、夢の輝きと鮮やかさに包まれて見えた」 ワーズワース『不死のオード』



 こんにちC.S.ルイスの『ナルニア国物語』やJ.R.R.トールキンの『指輪物語』が映画化されているが、かれらは中世学者であり、キリスト教的中世に創造力の源泉を求めているのである。

 こんにちの際限ない物質主義、環境破壊がはじまったのは、17世紀初頭の聖書の解釈にあったのではないかとミルワードはいう。


「『創世記』には、神がアダムとエバとを祝福し、人が地をすべて「支配」するのを許したと記されている。だが、この一節を解釈するとき、「支配」という言葉を「際限なく資源を開発すること」という意味に取ってしまったのである」



 この清貧の系譜のなかに知識社会のヒントは隠されているのだろうか。清貧の思想というもの自体が、知識社会、知識を至上におく時代の表れそのものなのだろうか。

 物質主義の世紀が終わると、われわれはずいぶんと価値や目的の違った風変わりな時代と社会を生きているのかもしれない。もっともそれは物質主義と工業化に毒された価値観と目から見た常識と捉え方にすぎないのだけど。



▼西洋中世を知識社会として読み直せるか(中世書はあまりにも多くて)
中世の知識と権力 (叢書・ウニベルシタス)ヨーロッパの知的覚醒―中世知識人群像中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ中世の人間―ヨーロッパ人の精神構造と創造力 (叢書・ウニベルシタス)中世の狂気―十一‐十三世紀

中世ヨーロッパの農村の生活 (講談社学術文庫)ヨーロッパの中世美術―大聖堂から写本まで (中公新書)ヨーロッパ中世の宇宙観 (講談社学術文庫 (999))ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)賭博・暴力・社交―遊びからみる中世ヨーロッパ (講談社選書メチエ)

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