HOME   >>  書評 マンガ論、サブカル論  >>  ユング派の解釈とは―『おとぎ話の心理学』 M-L.フォン・フランツ
05 12
2012

書評 マンガ論、サブカル論

ユング派の解釈とは―『おとぎ話の心理学』 M-L.フォン・フランツ

おとぎ話の心理学おとぎ話の心理学 (1979年) (ユング心理学選書〈1〉)
M-L.フォン・フランツ
創元社 1979-12

by G-Tools


 おとぎ話の心理的解釈についてはまえにまとめて読んだことがある。おとぎ話というのはたいてい言葉で意味がわからないのだが、解釈を言葉で知ることの驚きと喜びはけっこう大きいものである。

 ほかのドラマや映画にも適用できるようになる。だけどすっかり自分のものになるにはそうとうの修行が必要なようである。ということでもう一回頭に入れるつもりでこのユング派のフォン・フランツの本を再読した。

 ちょっとさっぱり理解できたというよりか、いくぶん難渋だったという読後感がのこったかな。このシンボルはあれもこれも解釈できるという話がたくさん出てきて、竹を割ったような理解には届かない本かな。「納得できる」とか「これはこういう意味だったのか」という感嘆が多ければ多いほど、自分の身につく読解力を手に入られる気がする。

 「元型」とか「自己」というユング派独自の言葉が出てきて、これも理解をさまたげたかな。ユング派というのは「全体性」の獲得を人生の目的にしていて、「影の部分」――抑圧したり見たくない部分をみずからの中にとりもどすことが、人生の目標に掲げられているのかな。

 フロイト派なんかは性的解釈が多い気がするが、もちろん登場人物の性格とか要素も解読されているのだが、ユング派は登場人物を自我の一要素と解釈する傾向が強いのかな。人物は「外形」というかたちをもった存在ではなくて、自我の一部分。おとぎ話を「自立」の問題として捉える見方もだいぶ役に立つ。

 ここでは「三枚の羽」というおとぎ話が長く解釈されている。国王が跡取りを三人の王子にゆずるための課題を与える話で、でくの坊の三男がいずれも成功をおさめて王位をゆずられるという話である。

 わたしは死と再生の物語にこだわってきたのだが、いい解釈がここで語られていたとは思わなかった。


「国全体の繁栄が王の健康ないし心の状態にかかっています。もし性的に衰えたり病気になると、彼は殺され別な王にとって代わらなければなりません。そして新しい王の健康と勢力が、女性と家畜の多産と全部族の繁栄を保証するのです」

「何らかの宗教的儀式や教義が意識化されてしばらくたつと、だんだん色あせて当初の情緒的な衝撃力を失い、やがて死んだ公式になってしまう傾向があります。…生命の流れとの非合理的な接触を失って、機械的なものになり易いのです」

「なぜなら、何かが長い間意識的であると、その精が抜けてゆくからです。だから、意識的生活を硬化させないためには、無意識の心的事象の流れと接触して、たえず甦る必要があります」

「<自己>の象徴は、…死んだ公式―意味を失った制度や教義、したがってまったくの形骸―に落ち込む可能性に脅かされている、ということができます」

「われわれは意識を発達させすぎて、人生をありのままに受けとる柔軟性を失った人間です。それが、でくの坊の物語がわれわれにとってとくに値打ちのある理由です。彼はただストーヴの傍に坐って体を掻いています。すると万事がタナボタ式にうまくゆくのです」



 社会というのは時間がたつにつれ機械化や形骸化がおこり、どんどん魂を失ったもの、死したものになってゆく傾向があるようだ。再生するためには「死ななければならない」。そして再生を司るものは「でくの坊」のような役にたたない、無用な存在なのである。


「英雄は、健康で意識的な状況を回復する者です。彼は、部族や国民すべての自我が、その本能的、基本的な全体性のパターンからずれている状況を、健康で正常に機能するように回復させる一つの自我なのです」

「それは生きるためのモデル、無意識のうちに生活のあらゆる肯定的な可能性を思い出させる、人々を励まし元気づけるモデルを提供します」

「もしわれわれがこのような神話を手に入れれば、われわれは再びなぜ自分たちが存在するのかを知り、それはわれわれの生活気分をすっかり変え、時にはわれわれの身体条件すら変えることができる、と思えるからです」



 ユング派ではアニマ、アニムスという概念で男性性、女性性をいうのだが、その片方の欠如がひどくなるともう一方の回復・再帰がめざされるようになる。男性性が強すぎれば女性性の回復が、ぎゃくに女性性が強すぎれば男性性が、といったふうに。

 機械化・形骸化した男性化された社会にはでくの坊のような無用の存在がその回復をつれてくるのだろう。われわれの社会かのようである。

 物語を解釈するにはさいしょの登場人物がどのような配置なのか考えると解釈がしやすくなるといっている。「三枚の羽」では国王と王子だけが登場してきて、女性はいない。これで女性性の回復が目指される物語であるということがわかるということだ。


「怖ろしい秘密をもつ禁じられた部屋は、広くゆくわたったモティーフです。何か不気味で怖ろしいものが隠されており、このことは再び、完全に抑圧され閉じこめられたコンプレックス―意識的態度とはあい容れぬ何物かを表しています」

「自分自身の貪欲さや悪意や憎しみなどを見ることができれば、それらを肯定的なものに変えることができます。というのは、こういう破壊的な情緒の中には多分に生命力が蓄えられており、このエネルギーを自由に使えば肯定的な目的に役立ちうるからです」



 ユング派というのはこういう抑圧された部分―影の部分を再統合するという目標が多いのである。

 なんだか話がばらばらになってきたので、さいごにゾンビの解釈もできそうなつぎの言葉でしめくくる。


「吸血鬼が血を飲むのと丁度同じように、霊は目に見えるようになるために、体を食べるのです。それらは、その形に実体を得ようとして、死体を奪って食べるのです。だから霊たちは死体に見せられるのです」

「死体を貪り食うことは、コンプレックスやその他の無意識内容が絶望的に意識に入りこみ、生きた人の中で実現されようともがいていることを象徴的に示しています。霊の、肉体に対するがつがつした欲望は、生命の充実を求める、認められず救済されぬ願いなのです」



 おとぎ話や物語は意味や解釈がわからなくても、感情や情動で味わえればいいといういどみ方もあると思う。だけど解釈や意味がわかるというのも物語をいっそう味わい深いものにする。言葉で解釈できなければ、なんのための物語かと思ってしまう。



永遠の少年―『星の王子さま』 大人になれない心の深層 (ちくま学芸文庫)おとぎ話のなかの救済―深層心理学的観点から男性の誕生―『黄金のろば』の深層時間 -過ぎる時と円環する時-     イメージの博物誌 12ユングのタイプ論―フォン・フランツによる劣等機能/ヒルマンによる感情機能

関連記事
Comment
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top