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04 06
2012

社会批評

本の「客観的評価」と自分の必要は違う


 ツイートされたものを記事にまとめようとしてみましたがムリでしたので、ツイートされたものをそのまま載せておきます。





本や文学の評価というのは客観的なものがあると思われているが、必要とか年齢とか立場でその本の評価が変わるのはとうぜんである。あたかも客観的な本や文学の評価があるというのはまるでこの世には客観的世界のみがあるという誤謬と同じである。


はっきりいえば、本なんてその人の必要や渇望の度合いによってすごくいい本から、てんで意味のないクズ本にも変わりうる。そもそもどうして客観的な絶対評価をみんなで信じているのか。


本を選ぶ基準は自分のいまの必要を満たすかということがいちばんの選択基準であるべきだと思うのだが、自分の必要や欠如がわからない人はみんなが評価したベストセラーを読むわけだが、自分の必要や欠如を知らなければ自分に合った本を見つけることはできない。


自分の必要や嗜好を無視した上で、この世には「客観的な名作」があると思う誤謬が成立する社会。主観を欠落させた社会。きっと「わたし」は「客観的」に欲して、「客観的」に行動して、「客観的」な人生を生きるのだろう。客観的ロボット。


客観的な絶対評価を評する人はどんどん自分の必要や欠落を忘れていって、客観的な行動や人生を送るにいたる。じつに社会規律に適した生き方だ。


客観的世界や客観的基準を信じることってどんどん自分をないがしろにするんだな。あたかも世界の基準が客観的に存在すると思い込むと、自分の主観の世界がどんどん抹殺されるんだな。科学やモノを信じる時代は自分の都合や欲望を無視した世間規律が成立するのだろうな。


                     ◆


主観の欠落はこの世界から意味も価値も感覚も失わせる。客観的世界とは機械の比喩である。客観的世界観を信じれば信じるほど人間性は失われてゆく。われわれが自分の都合より世間の都合に合わせてゆくのはこの主観の欠落による客観的世界の信仰にあるのではないか。


主観の欠落による客観的世界のありようを批判したのはフッサールの『ヨーロッパ諸学の危機』であるが、ほとんど覚えていないし、赤線も引いていない。藤沢令夫の『ギリシア哲学と現代』は赤線も引き、一、二年前にも再読していた感動本だった。しかし自分のなかでうまく用いられていない。

4122023394ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)
エドムント フッサール Edmund Husserl
中央公論社 1995-06

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4004201268ギリシア哲学と現代―世界観のありかた (岩波新書 黄版 126)
藤澤 令夫
岩波書店 1980-07-21

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主観の欠落を問題に思ったのは、自分の必要や欠落をまったく問われないベストセラー本がおすすめされる状況からだ。学校のカリキュラムだって自分の必要から与えられることもない。知識というのは自分の欠落や必要が感じられたときにいちばん自分のものになる。なぜ知の押しつけがあるのか。


わたしを離れて、わたしとはまったく無関係に客観的世界が存在するという誤謬。そのおかげでわれわれは自分の必要や欠落を無視した客観的評価や客観的必要といわれるものを世間から押しつけられるのではないか。


                     ◆


わたしの外部に客観的な世界があるという誤謬は、わたしの主観的感情を離れた客観的意見があるという誤謬をもたらす。マスコミ、著名人、評論家はそういう誤解のうえになりたつ職業ではないのか。


客観的な意見などあるのか。それはあんたの主観的世界、主観的感情にすぎないのではないか。りっぱな人、マスコミ関係の人。マスコミは主観を離れた客観的な意見があるという正当化をしてきたのではないのか。






 このことはもっと深く問いたいのだが、どうも考えがまとめ切れない。自分にとっての価値がないがしろにされて社会の価値が優先される社会、主観より客観に価値がおかれる社会、社会の客観的基準に縛られて個人の価値基準が大事にされないなどの問題を総括的に問いたいのだが、考えが足りないようだ。

 自分の必要や欠如が無視されて、社会的価値や基準が優先される社会というのは、個人は自分にとって真に必要なものをどんどんとりこぼし、他人や社会の借り物の人生を歩むことになるだろう。そういうことの根本的な理由がこの界隈にひそんでいる気がする。

 この問いと考えがもっと延長・深化できればいいのだが。


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<主観より客観に価値がおかれる社会、

個人の主観より客観に価値が置かれる事柄がある。
それはあくまでカルト陰陽宗教の論理が前提にない
健全な社会である必要があるのではないでしょうか。
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