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03 09
2012

社会批評

感情統制から、感情の解除へ

 社会は感情を社会統制の道具としてわれわれに組み込むようである。

 みんなが悲しむことに悲しむように、うれしいことにうれしがるように訓練することによって、社会規範に従うように訓練される。

 規範から外れると感情が「泣く」ようにインプリンティング(刷り込み)される。規範から外れている、規格から落ちこぼれていると恐れる感情を組み込むことによって、社会秩序に服従するように仕向けられる。

 『感情社会学』を書いた山田昌弘は、子どもに愛情を感じなければならないという感情規則に抗するものとして、近代以前にそんな感情はなかったというフィリップ・アリエスの『子どもの誕生』は生まれたという。

 ほかに幽霊の恐怖というのは、われわれが罪を犯した際に恐れる感情として植え込まれたのではないかと指摘する識者もいる。犯罪の抑止として幽霊の恐怖は植え込まれる。

 こんにちのうつ病の増加には、社会規範からそれている、要請に応えることができないという重責から、自己嫌悪や罪悪感におちいってしまうメカニズムがはたらいているのではないだろうか。

 感情はかつては「理性」に対立する不合理で動物的なものとしておとしめられてきた。しかしさいきんは感情はしぜんにわいてきて、コントロールできないものだから、「自分らしさ」や「個性」をあらわすものとして見られ、人生の喜怒哀楽を享受する積極的なものに意味合いが変わってきた。

 感情を「自分らしさ」を代表する「わたし」になったのである。

 けれども感情は社会規則を守るために組み込まれた感情のパターンであり、社会逸脱を避けるための感情の罰則としてはたらくものである。われわれは感情に「自分らしさ」「生きている証」を感じるにしたがって、社会規範や慣習に無意識のうちに縛られるのではないだろうか。

 感情に自分らしさをたくせばたくすほど、われわれは感情のコントロール不能や感情による罪悪感、うつ病に悩まされるのではないだろうか。感情によるハイジャックがおこなわれたとき、われわれは感情の暴虐や暴君にほんろうされることになるのである。

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 うつ病の増加により感情をコントロールするための認知療法といったものが注目されだしている。感情をひきおこすものは不合理な思考であるから、その思考を合理的に書き換えるというものである。ほかにポジティブ・シンキングや楽観思考といった自己啓発もさかんである。

 われわれは感情の私らしさの時代において、ふたたび感情をコントロールするすべを必要とする局面に入ったのである。

 これらのポジティブ・シンキングや感情をコントロールする知識には反対する向きも多い。先ほど指摘したように感情は「わたしらしさ」であり、しぜんに発生するものだからそれを矯正することはロボトミーのような反発を感じさせるのだろう。

 けれども感情は社会がこのように感じなさいという規則を押しつけるものであり、慣習や社会規則に感情によってむりやり統制される道具である。自然発生的・わたしらしさといったものはひとつの神話である。どちらかというと規格的で大量生産的な型をもっているのではないだろうか。

 わたしの感情はほかの人と大幅に異なり、特殊的・奇特的なものだろうか。そんな感情パターンをもっているとぎゃくに社会から排除される危険がずっと強まるだろう。

 感情をコントロールする技法はいま新しく開発されたのではなくて、すでに二千年前から開発されている。それが仏教であったり、ストア哲学であったりする。

 たとえばストア哲学は想念や思考が感情をもたらすのだから、その想念や思考を捨てれば感情もないといった教示をおこなっている。

 仏教も基本的にこれと同じで、想念を徹底的に排除する方向に向かった。それは禅に完成されて、言葉の徹底否定というかたちを生んだ。思考とは言葉の束であり、言葉が感情を生むのである。

 ストア哲学や仏教は感情からの自由になる知恵を教えた。そしてそれはじつは社会が統制のために組み込む感情規則からの解放ではないだろうか。

 感情規則は社会の規範や基準から外れるものの不幸と悲嘆を生む。規則や基準はそれに従えない、要請に応えられないものに不幸と悲嘆を生むのである。それゆえにその感情解除の方法として仏教や宗教も開発されたのではないだろうか。キリスト教も神という無条件容認の視点をおくことによって、社会ヒエラルキーや基準からもれる者たちの悲嘆をなぐさめる装置をつくった。

 社会は幼少のこどもに感情の社会規則を植え込むのだが、その悲嘆がはげしくなると解除の方法として宗教は発達したのではないのか。

 感情の解除の方法が宗教である。

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 もっとも宗教はあらたな服従装置・規範装置としかいいようのない現状がひろがっているのはたしかである。社会規範からの解放があらたな社会従属の装置としてはたらいてしまうのが人間社会というものだろう。

 でも基本的に宗教は、たとえば神秘主義などに感情からの解放をもたらす知恵がたくさんあるものである。想念を脱却する方法など、感情からの自由や滅却をもたらすものだ。それが外側にいくにしたがって、ヒエラルキーや服従の装置になってしまうのは皮肉というしかないが。

 社会が組み込む感情の解除というものはそれほどむづかしいものなのである。仏教の修行や各宗教の修練はそうとう厳しいものと知られている。感情として組み込んだ社会の感情規則の解除がいかにむづかしいかということである。

 感情の解除には心のしくみの理解も必要である。想念が感情をつくりだしていること、想念をなくせば感情はなくなること、しかし想念は自動機械のように噴出する装置になっているのでその自動噴出をとめるのは容易ではない。また自分が「想念、感情そのもの」になってしまったら、それらを排除するのは不可能である。思考、想念から離れること、客観視が必要なのである。

 もうひとつの知恵として、思考が現実ではないことも悟らなければならない。人は思考にすぎないものを現実と思い込んでいる。地図にすぎないものを大地だと思い込んでいる。さらにやっかいなことに、その思考の存在すら気づかずに感情がやってくると思い込んでいるし、その想念や思考がどこにも存在しない、実体のない絵空事だと気づくまでも容易なことではない。

 禅なんてもうその説明なんてやめて、言葉と想念を問答無用で捨てさせようとする。想念がしずかになればたしかに想念の虚構性を知ることに近づけるのはたしかだが、これは説明責任の放棄だ。もっとも説明しても理解できないという放棄があったのかもしれないが。

 あとひとつの方法として、時間に注目させる方法がある。過去も未来の想念を捨てさせて現在だけに集中させる。この世界に存在するのは現在だけである。しかし現在も一瞬ごとに去ってゆく。想念や思考、記憶はすべて過去や時間に属するものである。それら時間に属するものを捨てされば、はたして現在しか存在しないこの世界に実在のものはあるのだろうか。

 われわれの社会は時間という実在しないものを創作することによって、想念とその感情による規律という社会約束を組み立てるのである。想念において社会秩序が思われ、実行され、守られる。想念が社会秩序をつくるのである。そしてその感情は社会秩序を無意識に守らせる道具としてはたらく。

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 感情は社会秩序を守らせるために社会が植え込むパブロフの犬のような反射装置である。なるほど社会秩序はこれで守られるだろう。

 しかしその感情規則は時代遅れなものかもしれないし、社会情勢の変化によってその成員にはげしい悲嘆や苦悩をもたらすばあいもある。そこで社会的感情を解除する方法が必要になったというわけだ。

 われわれ人間は社会秩序を守るためにパブロフの犬のような反射装置が必要なのか、それとも感情のくびきを脱してみずからが社会秩序を頭脳によって守れる存在になったほうがいいのか。

 感情と想念の原理を知ることは、その選択の自由権をえることではないだろうか。


▼感情社会学から認知療法、禅、ストア哲学、トランスパーソナル心理学
感情の社会学―エモーション・コンシャスな時代 (Sekaishiso seminar)管理される心―感情が商品になるとき異邦人 (新潮文庫)子供の誕生日本人はなぜいつも「申し訳ない」と思うのか

〈増補改訂 第2版〉いやな気分よ、さようなら―自分で学ぶ「抑うつ」克服法オプティミストはなぜ成功するか (講談社文庫)自省録 (岩波文庫)リチャード・カールソンの楽天主義セラピー禅 (ちくま文庫)

グルジェフ・ワーク―生涯と思想 (mind books)グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門無境界―自己成長のセラピー論人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)自我の終焉―絶対自由への道

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Comment

感じるな、考えろ!

考えろ、感じるな!


感情人間=人格異常者を作ってはならない。

想念や感情は自然と湧いてくものでそれをせき止めたり

払拭することは出来ない。

そんな感情をいかに社会の一員として人に迷惑をかけない範囲で

感情に流されない生き方が出来るかを学ぶことが必要なのだと思う。
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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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