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02 27
2012

書評 マンガ論、サブカル論

スゴイ物語読解力―『ゼロ年代の想像力』 宇野常寛

4150310475ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1)
宇野常寛
早川書房 2011-09-09

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 わたしは物語の読解能力がないから、著者の読解能力に驚かされるばかりだった。「この物語はこういうことをいっていたのか」、「この物語はこう読むのか」と驚嘆しきりだった。明快な物語読解や図式的な通史を与えてもらって、目からうろこの批評であった。もう手放しにひれ伏すしかないな。。という感想。

 あえて批評的なことをいうとすると、大きな物語が終わったあと人はどう生きるかという問題は大きいにしろ、人はそういう問題にいつも関わりあって生きるのかという疑問もあったし、そういう図式的な通史は後半の評論になるにしたがい、薄れていったし、読んでいるとちゅうは明快な読解能力に驚嘆したが、読み終わったあと、ぱらぱらと再読してみるとなんとなく興味が薄れていった気がした。

 物語に過剰に意味を読みとる、コミットメントする姿勢というのは、わたしは年をとるにしたがい、薄れていった興味だ。物語より現実に問題を探る姿勢のほうが重要だという思いがある。物語に重要な意味があるという姿勢がこの著作をものにしたわけだが。

 あと、ひとつ気づいたのは西洋の思想家の名前がほとんど出てこないこと。もう西洋の思想家に知恵を借りる必要はないということか。膨大な物語群に接していたら、西洋思想家にかかわる時間もないだろう。

 本の内容についてかんたんな感想のべたいと思う。まあ、自分のことばで語ってゆくと歪曲やカン違いの解釈とか出てきそうだし、深く理解できていないものはそのつながりをまちがって捉えているだろう。

 大きな物語が終焉したあと、世の中が正しい道を示してくれないならひきこもるといったのが『エヴァンゲリオン』の思想だという。

 このころに流行したのがトラウマに自己承認をもとめる物語群で、『羊たちの沈黙』や野島伸司、村上龍、天童荒太、椎名林檎、浜崎あゆみなどの作品にあらわれた。

 わたしはこの90年代の現象が「モノからこころの時代へ」の掛け声のもとに犯罪的心理内面にむかってゆくのかふしぎであったのが、この本によると大きな物語が終焉したあとにひとつの対処法ということになるのだろうか。どうつなげているのか読み込めなかったが。

 「セカイ系」というのはささいな人間関係と世界の終わりが直結する物語である。無条件にイノセントな愛を捧げる少女は世界の存在とひきかえに主人公への愛をつらぬく。主人公は少女=世界に承認され、その自己愛が全肯定されるという。しかし『エヴァ』にしろセカイ系にしろ、どうして少年のエゴに満ちた物語が堂々と公開され、人気を博すのかよくわからないが。自分の思い通りになる想像力というのはポルノだよ。

 この本によく出てくることばが「決断主義」で、価値観の宙吊りに耐えられない弱い人間のために、無根拠を承知で中心的な価値を信じる態度のことをいう。ナショナリズム回帰などはそうなのだろう。

 『DEATH NOTE』『バトル・ロワイアル』『LIAR GAME』などの物語では引きこもっていてはやられるだけだ、闘わなければ生き残れないといった「サヴァイヴ系」の想像力もあらわれている。なるほど、時代の流れの上においたら、これらの過激な物語が必要とされたわけがわかるというものだ。

 郊外に生きる少年たちに物語がないという諦念は、新しい想像力によってのりこえられようとしている。著者が評価するのが宮藤官九郎であったり、『野ブタをプロデュース。』の木皿泉であったりする。なにもない日常でも大きな豊穣な意味があったのだということに気づいてゆく。世界から意味や目的を与えられることに慣れてしまったわれわれは、自分で見つけ出す方法を忘れてしまったのだと。

「また、似たような一日が始まるんだね」「似たような毎日だけど、全然違う一日だよ」。

 まあ、この日常主義というのはいささか(?)で、拍子抜けするし、賞賛されるこのふたりのドラマはどうもわたしにはぴんとこなかったし、男は大きな物語を求めつづけるものだと思うが。でも著者の物語の読解能力にはいずれも舌を巻かれるが。

 『うる星やつら』などの高橋留美子の物語を母性の抑圧や成熟の回路を奪うことだと捉えるのは秀逸であったと思う。物語というのは成熟を拒否して母性に戻ることだというテーマを物語にとりいれるのは、批判を自己やファンにつきつけることなのだが、アニメとかけっこうこの種の批判をこめた物語はつくられているのだろう。ただその批判をファンは読み込めているか疑問に思うが。

 『どろろ』は親に捨てられた=成熟のモデルを父親から与えられなくなったポストモダンの物語と捉えるあたりなんて驚きだな。『仮面ライダー』もゼロ年代にずっとつくられつづけいているのだが、成熟と正義の問題として分析してゆく章もすばらしい。子ども向けと思われる特撮モノにこんな意味がこめられているなんてと勉強になる。

 かつて「変身」とはエゴの強化だった。現在の変身とは自分とは異なる物語を生き、異なる超越性を信じる他者と関係を結ぶことが変身であり、成熟なのだという。

 本も後半になると大きな物語の終焉という図式から離れて、関係ないんじゃないかとか、冴えもなくなってきたという感がしてきた。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』という物語が流行ったが、日常の豊かさに肥大したプライドや自意識がじゃまして気づかないのだということが描かれているという。つまらないのは、ハルヒの肥大化したプライドなのだという。ふ~んである。

 物語の読解能力がすごい本だったと思う。いままでここまでサブカルを分析できた本はそうそうなかったと思う。十数年前にサブカル分析の本を読もうと思って探したが、いいのがなかったから童話解釈の本を読み漁るしかなかった覚えがある。この本はサブカル分析の記念碑的な本だろう。

 ただ物語にそこまでの意味を読みとる価値はあるのかという疑問も忘れてはならないだろう。少年はいつか物語から離れて現実に比重をうつしていかなければならない。現実のほうが大きな問題をはらみ、目の前に立ちふさがる必要なものである。豊穣なものは物語にあるのではなくて、現実の日常や世界である。


▼ことばで読み解かれる快感
リトル・ピープルの時代動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史 (ソフトバンク新書)戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)希望論―2010年代の文化と社会 (NHKブックス No.1171)リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書)日本的想像力の未来~クール・ジャパノロジーの可能性 (NHKブックス)「美少女」の現代史 (講談社現代新書)

サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へゼロ年代の論点 ウェブ・郊外・カルチャー (ソフトバンク新書)私の居場所はどこにあるの? 少女マンガが映す心のかたち (朝日文庫)


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