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02 13
2012

社会批評

成功した才能にはなぜ死神がつきまとうのか―ホイットニー・ヒューストン追悼

 ホイットニー・ヒューストンが48歳の若さで急逝した。80年代の洋楽にかじりついて聴いていたわたしにとってとても悲しい。80年代に頂点をきわめた世界的歌手はさいきんは夫のドメスティック・バイオレンスや薬物依存、破産寸前など苦痛のおおい日々を送っていたようだ。




 マイケル・ジャクソンも50歳で亡くなった。驚異的なセールスを記録した大ヒットからのちはスキャンダルに騒がれた日々を送った。栄華をきわめた有名人はどうして不幸な晩年を送ることになるのだろうか。

 ロック・ミュージシャンは以前から若死にするとよくいわれていた。ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン、享年27歳。尾崎豊は26歳で死去。坂井泉水は40歳で死去。フレディ・マーキュリーもマイケル・ハッチェンスも老齢に達せずに45歳、37歳で亡くなっている。カレン・カーペンターも32歳で亡くなった。

 「ロックミュージシャン、早死にする傾向=英研究」といった研究もあるそうだ。俳優でもマリリン・モンローとかジェームス・ディーン、松田優作とかが思い浮かぶ。

 有名人、ミュージシャン、芸能人といった人たちは命を縮めたり、命を削るような過酷で追いつめられる死に近い職業なのだろうか。

 有名と無縁のわたしには想像がおよびもしない。売れること、人気になること、栄華を極めることは大きな栄誉をえられると同時に、死神にまとわりつかれるような何か不吉なものに追いつめられるのだろうか。

 わたしたちも無名人であることにほっと胸をなでおろすというわけにもゆかない。ネットによって有名人になるというパンドラの箱が一般人にも開かれることになったからだ。

 わたしたちはおそらく有名になることの一般化、民主化がおこるような時代をこれから生きることになるだろう。有名人になりたい、憧れるという気持ちがネットの爆発的流行をもたらしたのだ。稀少で価値の高いものは大衆化される運命にある。かれらの不安や追いつめられたものをわたしたちも背負ってゆくことになるかもしれないのだ。

 テレビの芸人が「一発屋」とか「あの人はいま?」とかいわれたりするが、わたしたちもこの運命を背負ってゆかなければならないのかもしれない。

                 *

 かれらはなにに追いつめられたのだろう。無名人であるわたしにはとうてい想像もつかないのだが、人気稼業というのは失業状態に重ねることもできるのではないかと思う。来月の給料が確実に決まっているわけでもないし、収入も安定しているとはかぎらない。先の見えない失業は人をたいそう滅入らせるものだが、有名人はそういう失業状態が基本的にある。

 頼れるのは不確実で気まぐれな人気だけである。一時期なにをしても注目されていたものが、つぎにはなにをしてもスルーされる奈落につき落とされるかもしれない。だれもが自分に注目した大きなうねりが、いっせいに去ってゆくかもしれない。

 大きな人気が出れば、もっと大きな期待、大きな成果が求められる。成功はそれ以上のもの、もっと完璧なものを求められる。しくじったり、へまをすることは許されない。大きな成功はある意味、絶壁の上に立たされるようなものだ。もっと低いところ、てきとうな妥協、まあまあという水準が許されないのである。プレッシャーを背負いながら、より完璧なもの、数段デキのよいものが求められる。評価を落とせば、いっせいにそっぽを向かれて、音をたてて去ってゆくかもしれない。

 頂点を極めた成功者というのはどのような心理状態になるのだろう。慢心や傲慢とはいわないが、多くの人から認められ、承認されるという経験は自我にどのような状態をもたらすのだろう。

 多くの人の愛や賞賛の言葉、憧憬のまなざし、あたたかい心といったものにまわりの空気を満たされて、とてもここちのよい、甘い日光に照らされるようなものだろう。これが当たり前で永遠につづくと思っていたら。

 もしその人たちがいっせいに去っていったり、見向きもしてくれなくなったり、あたたかい言葉も賞賛の言葉もかけてくれなくなったら。真夏の太陽から、氷河期の氷の海に落ちるような身震いを感じるのではないだろうか。

 才能ある人はあまりにも多くの人の期待や憧憬、欲望をうけて、より完璧なもの、人々を満足させるもの、期待以上の最高級のものをたえず求められ、その期待の大きな壁に立ちふさがれ、自分がその壁をこえられないのではないか、絶壁から落ちて氷の海に落ちるのではないかと恐れがふくらむのではないだろうか。

 期待というのは自分がそれをできないのではないか、期待に応えられないとゴミに廃棄されるという恐れと裏腹なのではないだろうか。期待が大きければ大きいほど、自分の卑小さを恐れる気持ちも肥大するのではないだろうか。

 わたしたちは成功した人や才能ある人がドラッグに溺れたり、うつ病をわずらったり、落ちぶれたりすることが想像できないと思うことだろう。どうしてあんなに成功して才能ある人が。。と思うことだろう。でもその言葉にこそ、成功者にいつわりの仮面をかぶらせる秘密があるのではないだろうか。成功して才能ある人は落ちたり、小さくなったり、才能がなくなってはならないのである。

 つまり成功者はもう理解されない。ふつうの人として存在してはならないのである。スーパーマンである。人間以上の才能や力量をあたりまえにもつものとワクにはめられてしまうのである。

 ダメになってゆく才能ある人というのはその期待に応えられない、演じられない罪責感を感じつづけるのではないだろうか。そして立っているところはいつも絶壁で、いつ足をすべらせてしまうかもしれない。ひとつのおこないで全部失うかもしれないという恐れにかれは身を蝕まれてゆくのかもしれない。

 ネットのひろがりにより多くの人が有名人や才人と認められる世の中がひろまるとしたら、成功者が陥ってきた恐れや不安の予防線を張る必要があるのかもしれない。成功者の恐れや不安はもっと解剖されて、知られるべきなのだろう。

 ホイットニー・ヒューストンはその苦しめられた鎖から解き放たれて、安らかな天国に憩うことがようやくできたのかもしれない。


▼オリジナル・アルバムは四枚だけと少なかったようですね。
Whitney Houston: The Deluxe Anniversary EditionWhitneyThe Bodyguard: Original Soundtrack Album

アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト (I'm Your Baby Tonight)アイ・ルック・トゥ・ユーザ・グレイテスト・ヒッツ

The Ultimate Collectionディーヴァ―ホイットニー・ヒューストン物語グッド・ガール バッド・ガール―ホイットニー・ヒューストンのインサイド・ストーリー


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Comment

アーティストとして成功した人はどこか精神的な透明感があるような気がします。
精神的な不安定さを抱えることと、そうしたゆらぎの中にキラッと光るようなものが生じるのが紙一重なのかも。
精神的な透明感のある人は他の人達にも精神的な共鳴をもたらす分、自分の精神を安定させてくれる心理的癒着に対して潔癖な傾向があると思います。そういう人は、個人的には「付き合いづらい人」だと思います。
うえしんさんの言うように成功者は理解されないものだと思います。
「大衆を魅せる能力」と「個人的充足感」はなかなか両立しないのでしょうね…。

日本の息の長いお茶の間の人気者と言えばお笑い芸人です。アイドルではスマップなんかがいますね。
ダウンタウンにしろさんまにしろタモリにしろ、ごくごく普通の人達ですよね。
潰れる人と残る人の間には、この「普通」が重要になってくるんでしょうね。人気者になって普通の人が体験できない状態を経験しても軸が狂わない。普通の人のままでいられる。冷静に自分の置かれている状況がいかに異常事態で、あり得ないことだということを本人が一番知っている気がします。
だから軸が安定しているのでしょうね。
特別な人間なんてこの世にはいないのだ。
この異常事態はたまたまの偶然だ。
これは幻想なんだ。
だって自分は普通の人間だからと、どこまでも冷静で勘違いしない等身大の自分を受け入れる人達だけが生き残っているような気がします。
冷めてるとも言えますが。
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