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01 18
2012

社会批評

年齢序列が再チャレンジと流動性のない社会をつくっている

 たとえば五、六十代の人がリストラされて年下の二十代がリーダーの会社で働こうとするのはむづかしいだろう。年上のプライドもあるし、年下の者にアゴで使われたり、怒られたり、バカにされたりするのはたいそうツラくて、屈辱的なことだろう。二十代ばかりの職場では浮いてしまい、仲間はずれの恐れがつきまとう。

 よく三十くらいまでにしっかりと落ち着く場所をつくっておけというアドバイスや、三十以降は転職がどんどんむづかしくなってゆくのはそういうところに由来しているのだろう。年が上になればなるほど年下が上司になる可能性が増え、序列を壊す恐れがある。そういうことで三十代以降の中途入社は敬遠されてゆくのだろう。

 しかし企業というのは一生安泰であることは少ないし、かならず栄枯盛衰をくりかえすものであり、キャリアを築いていたとしてもその業種がイノベーションによって衰退・消滅の危機にさらされるかもしれない。年齢が上になったら年下の上司や組織のなかで働けないというしくみでは、経済の変化や交替についていけない社会をつくることになるだろう。

 年上のほうが偉い、年上の方がすぐれていて序列の上に立たなければならないという社会では経済の変化を乗り切れないのである。

 なぜ日本では年上が偉い、すぐれていると思われるようになったのだろう。年上に従い、目上のものを立て、敬語を使わなければならないという社会になったのだろう。年齢、年をとることはなにが偉いのだろう。

 日本の小学校や中学校ではひとつ上だけでもずいぶん偉そうにするものである。上級生に逆らうとか、文句をいうのはずいぶんむずかしいものだった。体育会系ではもっと厳しく、上級生の命令は絶対的なものであり、理不尽な命令やシゴキに耐えなければならないものだった。学校は年齢の序列を徹底的に叩き込むところであり、とくに体育会系のクラブやサークルはその傾向が強かった。学校で年齢序列をしっかり叩き込まれる。

 学校では年齢序列で秩序をつくっていた。目上のものが率いるという規律が、役職や命令指揮系統をはっきりしないという学校組織において都合がよかったのだろう。

 企業もその年齢序列でポストを上昇していったわけだが、これは戦後、階段状の経済成長が見込めたからであり、年齢序列で位階を決めたほうが不満が出なかったからだろう。学歴も序列やポストをつくるさいに不満や文句のいちばん出ない妥協策だったのだろう。業績や実力というのはあまりにも主観的・恣意的になるきらいがあり、それを避けるには平等的な年齢序列のほうがいちばんみんな納得しやすかったのだろう。

 このような牧歌的な経済状況がもう20年前もなくなったのに、なんとなく年齢序列をつづけてゆくしか仕方がないというところに流動性や変われない社会を停滞させる原因があるのだろう。年上の者たちは新しい年下の組織の下につくことができないのである。経済は流動性があってこそ、革新や発展性のあるダイナミズムのある社会がつくれるのではないか。

 年齢序列はむかしの日本の儒教受容からずっとつづいている文化だというような説明はたぶんまちがっている。こんにちの慣習というのはここ何十年かの経済・社会情勢に合致したものでしかないという説明のほうが近いと思う。そういう実例は歴史・社会学術研究がいくつもの例をしめしてくれるだろう。

 年齢序列の秩序というものはその根拠や理由を問えば、あまり正当性のない考え方だと崩れ去るものだろう。学校の成績でいえば年上のものが絶対的によかったということはありえないのであり、年上のもので年下の者よりいくらでも低いものがいる。スポーツでも先輩より年下の者のほうが業績や成績をあげる例はいくらでもある。仕事の業績や経験は年上のものが優る例もおおいだろうが、年下のほうがはるかに業績をあげたり、すぐれているといったこともあるだろう。仕事では時代の合致性がもとめられるということのほうが多いだろう。

 同年代では成績が劣ってもたいして気にならないとしても、なぜ年下に負けるとなったら許せない、屈辱だと思うのだろう。年上のほうが偉そうにしなければならない、すぐれている、下の者を率いる立場にならなければならないと思っているからである。でも成績でも業績でもそういうことはありえなく、同年代とおなじような優劣があるだけである。年上の絶対優位という考えをもっているかぎり、年下より下位についたり、劣ることは許せなくなる。そんなことは不可能である、同年代のものでも優秀なものを抑えておくことは常識的に考えてありえないことである。

 不幸なことにしぜんなことに思えていた年齢序列という日本の秩序が維持できない曲がり角の時代をむかえている。年齢序列という考え方を守っていると新しい組織にも若い人のあいだにもなじめないだろう。社会も流動性や再チャレンジのできる社会をつくならいで、どこまでも停滞した衰退と下落する以外の道がない社会をたどることになるだろう。

 新しい活性のある社会に道をゆずるには問うてみるべきなのだろう。年上のなにが偉いのだろう。年上だったらなにが優れているのだろう。年をしぜんにとれば年下に絶対に負けない業績や成績を生み出せるのか。年をとればしぜんにリーダーや役職にふさわしい性格や能力が身につくのか。年下の者にはわたしより優秀で優れているものが絶対的にあらわれないのか。

 年上は偉そうにしなければならないというしぜんの思い込みを問い直してみる必要があるだろう。年齢序列というのはこれまでの社会が教え込んできたたんなる偏見や思い込みにすぎないのではないのか。


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