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01 11
2012

社会批評

商品選びの目で自分をながめ返したら

 まだ思考過程のいいたいことがはっきりしないエッセイになりました。考える過程にこそ価値があるということで載せておきます。

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 ものを買うとき、すこしでも得なもの、安くていいものを買おうとするだろう。損するものや不良品、欠陥品をだれも買おうとはしない。買い物は自分が最大の利益や得するものを選ぶものである。あたりまえのことである。

 就活や転職で自分がどう選ばれるかわからないと思う人は、この自分の「選ぶ目」を会社側にふり向けてみてはどうだろうか。会社は利益や得するものを自分から得ようとしている。自分の「買い物の目」で自分はどう選ばれるのかと考えてみてはどうだろうか。

 婚活でなかなか自分が選ばれない、またはモテないのはどうしてかと考える。「買い物の目」で自分は選ばれるに値する利益や得するものをもっているかと考えることは相手を知るにはいい方法だろう。

 営業やセールスでなかなか売り上げがあがらないと悩む人は、お客さんの「選ぶ目」で得になることや利益を大きくしているだろうかと考え直すことは、売り上げ増に貢献するだろう。

 わたしたちは自分が得すること、利益を得ることを選ぶことには敏感であり、貪欲である。しかし他人や相手が利益や得を貪欲にもとめているということが見えない。自分のように貪欲に選んでいるということがわからない。

 自分の利益しか見えない。

 しかしそのような人はけっして悪人でもずる賢くもなく、あさましいわけでもない。むしろ道徳的な抑制や規律をしっかりと守っていることだろう。自分の貪欲さやずる賢さを抑えているほど他人の利益は見えないのではないだろうか。自分の貪欲さの目を失っているのだから人の貪欲さの益を提供できないし、寛容になれない。

 人は自分の利益しか見えない。自分の得すること、利益になることは敏感である。だけど他人がそのような目で選び、利益を求めているこということが二の次になったり、自分の利益を得るために他人の利益を奪ったりする。他人の利益や得は後回しにされたり、押しのけられたり、奪われたりする。

 思いやりや道徳でそれは抑えられることが多い。道徳や義務でその利益はシェアされることだろう。だけど他人の利益や得は抑え気味で与えられることになるだろう。道徳での抑制は他人の貪欲な利益や得を見えなくさせてしまう。

 セールスや営業は利益や得は自分だけが得るもの、奪うものと考えている人もいることだろう。自分の利益は他人の損害や奪還のうえにしかないと思うのだろうか。商売の基本というのはお客に利益が与えられるからお金という見返りが与えられるものだと思うが。

 人の世の中は自分が商品を選ぶときのように得するもの、利益をえられるものだけを選ぶ。自分がそのように貪欲に選んでおきながら、ほかの人もその基準で選んでいることに気づかない。相手やほかの人も自分に向けてそのような視線や基準で選んでいると見るべきである。

 人との関係がからむと商品選びのようにたんじゅんにはいかない。だからこそ商品選びにこそ人のホンネや真実があるというものである。人は利益と得だけを求めて選ぶ。人との関係においても基本はそうなのだが、人との関係には道徳や人情というものがあるからそれはいくぶん抑えつけられる。

 婚活で年収や金持ちだけを貪欲に探していると男性陣から嫌われる。自分の利益だけを貪欲に漁ることは不快な行為で、奪うだけで相手に利益や得をシェアしているわけではないからだ。人との関係においては利益や得だけを得ることは道徳的に嫌われる行為である。交換の原理がはたらいて一方だけが得をして、他方は損だけをするという交換はもちろん認められない。貪欲に年収だけをもとめる女性は相手の利益がまったく見えず、奪う行為だけに走っている。

 自分がそのように利益や得を求めているなら、相手や世間もそのように自分に対して利益や得で選択しているはずだと見るべきなのである。自分が得や損で選ばれていると見るべきなのである。商品を選ぶときは気に入らないもの、不足なものは選ばない。そのような選択の目が自分にそそがれているのである。

 社会は自分が商品を選ぶときにいらないものをたくさん切り捨てているように、自分もそのような目で社会から選ばれていると想像をのばしてみるべきなのである。

 自分は利益や得だけを求めている。社会もそのように自分を見て、選んでいるはずである。道徳や人情でそれはゆるやかになったり、オブラートにくるまれているかもしれない。でもその核には自分が利益や得をえたいという発動があるはずである。

 自分が商品を選ぶ目で、自分にそそがれる会社からの目や異性からの目、ほかの社会関係をあらためてながめ返すと、この社会のほんとうのありようが見えてくるのだろう。自分がなにを求められ、なにを与え、提供しなければならないのか見えてくることだろう。

 もし商品を選ぶときにそれを人間におきかえたらどう思うだろう。非情で冷酷な方法で人を切り捨てているはずである。得するもの利益の大きく得られるものだけを選ぶ。そしてその目は自分自身にも社会や会社から向けられているものである。


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