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01 03
2012

レイライン・死と再生

正月に考えたい初日の出はセックスで生まれる話

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


 ■なぜ初日の出を拝むのか

 日本の正月は神社に初詣にいったり初日の出を見にいくのが恒例になっているが、どうしてそのような行為がおこなわれるのか理由がはっきりと知られているわけではない。

 太陽信仰とはどのようなものだったのか、なぜ神社に初詣にいくのか。

 太陽信仰を調べていると古代の世界観がいもづる式に出てきて、日本神話の意味も読み解け、なぜ神社なのかの意味もつながってくる。なによりこの太陽信仰が世界じゅうに共通してひろがっていて、宗教に関係なくその基盤に太陽信仰があることがわかってくる。

 だけどわたしたちは太陽信仰の内実を忘れてしまっていて、その意味が読む解けなくなっているために異なった宗教がおなじものを信仰しているということが見えなくなってしまっている。

 ■クリスマスと性交

 たとえばクリスマスはキリスト教のキリストの誕生日を祝う日になっているが、もとはミトラ教という太陽神の冬至の復活を祝う祭りであった。日本にも冬至に祭りや豊穣を祈願する信仰があり、外来のキリスト教が入ってきたことになっているが、すでに土着の風俗と習俗してしまっている。クリスマスがカップルの性的な日になった国はそうないだろう。

 日本でクリスマスが性的な日になってしまったのは日本の冬至祭りにそのような性的な意味がこめられていたからだと思われる。

 どうして日本では性的な日になってしまったのか。その日は太陽が一年でいちばん衰える日であり、死んでしまう日である。だから新しい年の太陽を生まなければならない。性交によって種付けをしなければならない。

 ■神々の性交により生み出される宇宙

 なぜこんな飛躍した発想になるかといえば、古代の世界観というのは太陽と生命は分けられていなくて、太陽も生命と同じように性交や受精で生まれると思われていたからだ。こんにちでは物理現象と生命現象は厳然と分けられた考えがあたりまえになっているが、古代の人は物理現象や宇宙の原理をわけて考えなかったようだ。あるいは物理現象を神という介在物で理由づけようとした。

 この地上の生命や植物の実りがすべて性交や受精によってもたらされるのなら、宇宙や物理もそれによってもたらされると考えるのはそう飛躍した考えではない。宇宙や太陽は神々の性交によってもたらされると考えたのである。そしてその神々の性交に参加できるものが王や権力の証として人々に信仰されるようになっていったのである。

 この世界や宇宙は神々の性交によって生まれるものだったのである。生命や植物の実りも性交や受精によってもたらされるなら、豊穣や繁栄を願う祈願はその行為を模倣する、もしくは参加することにあると考えるようになる。神々の交合に参加することがこの世界の実りをもたらす約束や祈願だったのである。性交というのはこの世界に生命の恵みをもたらしてくれる神々との交合であったのである。

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 ▲エジプトのヌート神。子宮から太陽や星々を生み出す。

 わたしたちのこんにちの禁欲的・タブー的な性交観と真逆の考えをもっていたのである。西洋文化の導入期に日本土着の性的放縦が壊滅されてゆくことになったが、そのころにはこの世界観・性交観はもう意味を忘れ去られていたのだろう。

 ■神々の子宮、女陰である大地

 この世界が神々の交合によって生み出されるなら、この地上には神々の痕跡があるはずだ。生命や太陽を生み出した神々の子宮や性的な徴候があるはずだ。地上や大地には生命や太陽を生み出す神の性的なしるしや子宮の徴候があるはずだと考えられるようになる。この世界・地上に神の女体・子宮があらゆるとことに探し出されることになった。洞窟やほら穴に神の子宮が探し出され、生命の源をもたらす水源にもその痕跡が探し出されたことだろう。

 太陽も神々の交合によって生み出されるならこの地上に太陽が生み出された子宮があるはずだ。そしてその太陽が生み出される神の子宮は神々が生まれてくる世界であり、わたしたち人間はそこから生まれてきて、死んだらそこに帰ると考えられるようになった。神々が生まれてくる母なる子宮はあの世であり、神々の世界とつながる境界であったのである。

 ■山に死者の霊が帰る理由

 太陽は山からのぼり、山に沈むように見える。太陽神は山から生まれ、山に帰り、一年の太陽もそこで死に、そこであらたによみがえる。ご先祖の霊が山に帰ると思われるようになったのはそのような由縁があるのだろう。

 こんにちの人がダイヤモンド富士や山の頂上に上ったり沈んだりする太陽に美しさを感じたり見にいこうと思わせるのはそのような太古の記憶があるからかもしれない。あの世から生まれた太陽が再生・死滅する瞬間であり、その場所はあの世であり、人々が生まれ帰ってゆく場所であり、生命や世界の源・根源がある場所である。

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 ▲山全体が神体である三輪山の禁足地

 古代に太陽神が信仰されていた地域はエジプトでも有名だし、マヤやアステカ文明でも有名である。太陽信仰というのは世界中で信仰されていて、その片鱗をわれわれは知ることは多いのだが、この性交的な宇宙観というのはあまり知られているわけでもないし、古代世界の太陽神が日本にも同じような信仰があり、いまでも日本のいたるところにその痕跡・片鱗がのこっているということはあまり人々の口にのぼることはない。おなじ太陽神・世界観を信仰・共有していたということが理解されない。

 ■太陽信仰の世界的共通項

 たとえば次の図は上が福岡の珍敷塚古墳の壁画であり、下はエジプトのセン・ネジェム墳墓の壁画である。構図もそっくりであり、太陽の先導役も鳥がおなじ位置に止まっている。 

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 ▲日本とエジプトの壁画がそっくり。猿が両脇にいますね。

 エジプトではピラミッドの地下に太陽の船がみつかったが、これは西に沈んだ太陽が翌朝、東の空にはこばれるまでの太陽神がのる船である。日本の『古事記』では太陽信仰にかかわりのある神社の話で、大木の影が夏至や冬至の角度をさす象徴的な話が出てくるが、その大樹でつくった船が早かったという記述でとまってしまっているが。

 エジプトでは太陽も夜の闇では目を失うとされるのが、その目を探し出してくれるのが猿神なのだが、日本神話で天孫を案内するのは猿田彦である。

 ■冬至と光の矢

 冬至に光が奥の部屋や像にさしこむ装置はアイルランドのニューグランジや新羅の吐含山の石窟内の仏像にある。

 newg1.jpg アイルランドのニューグランジ

 日本神話ではホトをついて死ぬ織女やトイレで光の矢が追ってきて妊娠したとかの話がある。太陽と交合して神の子を産んだということのたとえであり、または死んで神となって再生したという話につながる。洞窟や奥の部屋に光がとどく装置やしかけというのは神の子の誕生を意味し、また再生の装置でもあったわけだ。

 天照大神は天岩戸にかくれてひきずりだされる話は有名だが、これも冬至の太陽の衰えと再生をあらわしているのだと思われる。日食だったという説をよく聞くが、まいとし冬に衰える太陽を象徴したことのほうが妥当。天岩戸という神の子宮たる洞窟にかくれ、ふたたびあらわれるのは冬至の太陽の死と再生のたとえである。かくれた大神を下半身を露出させておびきだしたという話は交合的な話がかたちを変えたものか。

 冬至は太陽が死んで復活する日である。そしてそれは神の性交によって生まれるものである。冬至に光の矢が洞窟や墳墓などにさしこむ装置が古代につくられたのは太陽の再生・誕生がおこなわれるからであり、そのような場所は聖なる聖地となった。このような神々の交合に参加したり、あるいは神の子をめとったりすることで古代の王は神々の権威や正統な継承者であるという証をまとったのである。

 こんにちのクリスマスにカップルが性交するのはこのような神話とひじょうに似ている。神話がまったく忘れ去られ、外来の宗教のうえにそのような行為が重ねられるのは脈絡がなんらつながらないのだが、奇妙にかつての神話と一致するのである。ただ日本では昭和のはじめころまで豊穣や繁栄を願うための性風俗が色濃く世間に残っていたとはいえる。

 ■なぜ神社なのか

 正月になぜ神社に初詣にいくのか。わたしは神社の起源を冬至や夏至の時期を計測するためのポイントから生まれたと思っている。ある定点から山に落ちたりのぼったりする太陽の場所を知ることによって冬至や夏至の時期を計測することができる。そこは神の意志を知るところであり、神のあらわれるところなのだから聖なる場所となり、祭られる場所になった。

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 ▲しめ縄によって太陽の場所を計測して季節を知ったのか?

 そこからは太陽の神が死にあたらしく生まれ変わる場所を知ることができるし、豊穣や繁栄を願える場所でもある。またはそこが聖点ならここで神があらたに生まれたかもしれないし、ここで神の交合がおこなわれる場所かもしれない。

 神が死に、生まれ変わる場所だとしたらここはあの世であり、死者が帰るところ、生者があらたに生まれる神の世界である。だから日本人は新年に新しい太陽の神をむかえにいくのであり、または一年の衰えた魂をそのあの世の境界であらたに再生しなおすのかもしれない。

 わたしたちは宇宙に物理的法則しか見ない時代になっているが、いまでも神々の性交によって生まれる世界の死と再生の循環にしたがった儀式に則っているのである。この世界観というのは神々の性交が毎年の季節をくりかえす世界を生み出しているという世界観が基本になっているのである。

 あなたはこの世界観を信仰したうえで、初詣に参拝したり、初日の出を見にいくことができますか。



わたしの考えはほとんどこの本からできています。
天照大神と前方後円墳の謎 (1983年) (ロッコウブックス)
大和 岩雄

ほかの参考文献
4796700803エリアーデ著作集 第2巻
ミルチャ・エリアーデ
せりか書房 1974-07

by G-Tools

4895832333天と王とシャーマン―天に思いを馳せる支配者たち
E.C. クラップ E.C. Krupp
三田出版会 1998-06

by G-Tools

飛鳥とペルシア―死と再生の構図にみる (小学館創造選書 (76))
井本 英一

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