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12 25
2011

社会批評

クリスマスの規範を強制するものはだれなのか

 クリスマス・イブをカップルですごすものと決めたのはだれだったのだろう。キリストの誕生日前夜にカップルはなにを理由にカップルで集わなければならないのか。

 ある記念日の行動規範はどのようにかたちづくられて、だれが采配をふるい、だれが実行にいたらさせるのか。人々にある記念日にある一定の行動規範をおこなわせるように決めつけるものはいったいなんだろう。

 クリスマスのカップル規範はだいたいは商業資本がつくりだしたものと答えは容易に導かれる。イブにケーキを食べるように誘導したのはケーキ業界だっただろうし、サンタがくつしたに贈り物を入れるようになったのは玩具業界の思惑だっただろう。

 カップルのデートが行動規範になったのは各種のメディアや恋愛産業によるものが大きいだろう。各種産業はカップルがこぞってデートやプレゼントにお金をかける記念日をもうけたほうが売り上げは高くなる。もちろん産業の思惑とはべつに人々が恋愛産業に期待をかけるような欲望の高まりが必要である。

 音楽はクリスマスの恋愛を歌った歌を流行らせ、テレビはクリスマスに向けた恋愛ドラマをつくり、若者雑誌は恋愛指南のひとつとしてクリスマスに恋愛の特別日をもうける。メディアはクリスマスを恋愛にとっての一大イベントや特別な日に祭り上げた。クリスマスの行動規範は恋愛メディアによって洗脳・インストールされた。


▲メディア・ミックスによるクリスマスの特別化・恋愛化がおこなわれた。

 12月25日は異教徒にとっては特別な日ではないふつうの日である。未開民族ではまったくクリスマスの慣習など知らないいつもと同じ日である。ある一日にある行動規範をうながす力は、なんの変哲もない一日に社会の強制力をもたせる規範をもつにいたる。慣習や規範というのは時間に特別な聖点を区切り、行動規範を強制するにいたる力をもつようになる。人々の時間を支配する力をもつようになる。

 正月に有名寺社に初詣にいくようになったのは明治中期以降だとされる。鉄道会社の誘導が大きかったかもしれない。初詣やおせち料理を食べるといった慣習はだれが決めて、どのような理由や根拠をもち、だれが強制力や規範の力をもっているのだろうか。それをしなければ罰せられる・刑務所に入れられるということはないのだが、人々は正月の慣習をほかの人と同じように自発的におこなう。根拠や理由はめいめいが明確に知っているというわけではないのだが、まいとしの慣習として自発的におこなわれる。

 時間を支配するとは人々の行動や人生を管理づける基盤を確保することである。人々の時間、日時の使い方の権力を握るということである。時間・日時・暦の行動規範を決めるということは人々の見えない権力を握ることである。

 こんにちではだれとも知れない、独立した、各自勝手なめいめいの利益誘導の商業資本が人々の時間を支配している。おおかたはメディアが行動規範をインプリンティングするのだが、それぞれの商業資本が利益誘導したものが合流して、どこともしれない不気味な規範力・強制力をもつにいたる。それゆえに理由や根拠のない規範や慣習が人々の行動規範となる。われわれはそれぞれの利益がみちびいた意味や理由のわからない慣習・規範に支配されることになるのである。

 古代の王にとって天文学を知り、暦をつくることは重要な仕事だった。領土を決め、防衛線を張り、自国の空間を決めることが王にとって大事であったように、時間を決めることも支配領民の行動規範・行動規律を決めるうえでたいへんに重要な役割だった。それゆえに古代の王は天や宇宙につながりを多くもち、宇宙や星の軌道に強い興味をもち、そして時間の区切り・境界を人々に知らせることによって時間の行動規範に服従させるようにした。時間を支配することは国民の行動を支配することでもあったのだ。聖なるものは「日知り=聖」である。

 時間とは人々の行動のことである。現代の工場や会社は労働者の時間拘束を決めることによって労働者の労働を買う。労働者は時間を売り、そしてそれにふくまれる行動や労働を雇用者にさしだすのである。会社は労働者の時間を買う。時間はそのなかに行動の規範や行動基準が決まっているのである。売り買いされる時間はすでに買い手の指示や命令にしたがうという行動基準がふくまれている。時間とはすでに支配権を買いとることなのである。

 現代の雇用者はだれなのだろうか。現代のクリスマスや正月の行事を支配するものはだれなのだろうか。われわれはその時間規範を要請するものの権力に支配されている。だれが決めるわけでもない。だれか独裁者のような強権をもって強制するのでもない。

 それぞれの商業資本がみずからの利益をもとめて集合したものがわたしたちの時間を支配している。そしてその見えない頭のない権力にわたしたちの時間、人生、行動は牛耳られているのである。わたしたちはこの見えない権力にもっと不気味さや恐ろしさ、権力の暴力性・横暴性に気づくべきではないだろうか。

 たいがいの人はまわりの「みんな」がやっているからやっているという理由に落ちつくだろう。「みんな」がやっていることは強制力や規範力をもつのである。みんながやっていることは「ルール」であり、現代の警察である。ある場所でみんながやっていることをやらなければ、ずいぶん場違いな、恐ろしい、消沈する気分を味わう。

 「みんな」が現代の支配者であり、権力者なのである。そしてその権力者には「頭」がない。考える、問う「頭」がない。それでもみんなは「みんな」に従うのである。日本は「みんな教」という恐ろしい病にかかっているのかもしれない。オルテガやJ.S.ミルのいったような大衆の暴力や多数者の専制という病にとりつかれているのである。

 現代の支配者はあまりにも根拠や理由、正当性といったものを無視しするのである。「みんな」という頭のない先導者に身をゆだねるからとうぜんである。禁欲や貞操を説くキリスト教の祝祭日にカップルの性交がおこなわれるという不謹慎なことが平気でおこなわれるのである。


▼こんな本が近いかな。
時間の歴史―近代の時間秩序の誕生時間と支配―時間と空間の文明学時間意識の近代―「時は金なり」の社会史遅刻の誕生―近代日本における時間意識の形成時間革命


時計と人間―アメリカの時間の歴史時間の比較社会学 (岩波現代文庫)生活時間の社会学―社会の時間・個人の時間中世の時と暦―ヨーロッパ史のなかの時間と数教会暦―祝祭日の歴史と現在

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