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10 15
2011

書評 社会学

『名誉と恥辱―日本の封建社会意識』 桜井 庄太郎

bookssakurai.jpg名誉と恥辱―日本の封建社会意識 (1971年) (教養選書〈2〉)
桜井 庄太郎
法政大学出版局 1971

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 古本の百円本でみつけたことと、「名誉と恥辱」というタイトルの社会学的分析を期待して読んだが、封建社会批判の本だった。アテが外れたかなと思って読みすすめたが、ぎゃくにむかし大きな非難の的だった封建社会批判とはなんだったのかという疑問のほうが新たにわきあがった。

 内容のほうは「中世武士の道徳意識」、「中世武士の家訓と主従関係」、「恩を返すということ」、「封建社会の家業意識」、「余暇の日本的特質」、「義理人情の歴史」、「婦人観の変遷」、「人身売買の歴史と児童観」、「日本児童労働略史」、「日本における平等思想の発展」、「近代日本政治の封建性」などどなっている。封建社会批判をあらゆる角度から検討した集大成のような本になっている。

 71年に出た本だが、それぞれの論文は1935年、1937年、1938年といった戦前に書かれたものから、「人身売買の歴史と児童観」は1949年に書かれ、とうじニュースになった児童売買の驚きとリアルな気持ちから書かれており、いちばん新しいもので1968年のかなりむかしに書かれたもののようだった。

 むかしの日本はとにかく封建社会や封建的なものが非難の的だった。封建制は日本の民主性や近代化をなしとげるうえで最大の障壁と敵だった。だから封建制をあらゆる角度からあぶりだした本書のような本が書かれたのだろう。

 封建制というのはひと言でいえば、武士社会の主従関係や身分制度のようなものだろう。民主的で平等な社会と対等に位置するものと考えられ、社会から排撃されることが強くのぞまれた。遅れた、後進国の制度や意識として強い非難と排撃の的だった。

 しかしこのような時代はひとめぐりし、封建社会を排した結果の時代をわれわれは生きている。封建制を排撃したあとに生まれた社会とはなんだったのか。

 生産マシーン国家であり、労働マシーンの人生であり、経済に合理化・効率化・最適化された経済マシーンのような社会であり、地域の無縁社会も封建批判と関わりがないこともないだろう。

 封建批判とは武士の権力や社会序列関係を排除し、経済人や富者に権力をゆずり、かれらが社会にのさばり、権力を思いのままに操る経済最適化マシーン国家をつくりだしただけではないのか。産業や企業の権力の前にハダカのままに放り出される無力な労働者を投げ出しただけではないのか。武士の権力・意識は徹底的に排撃され、経済は不合理な封建諸制度を撤廃することにより、経済の権力がどこまでものさばるアウトバーンを生み出しただけではないのか。封建社会はむきだしの経済の前から、個々人を守る役割や障壁ももっていなかったのか。

 たとえば身分階級の撤廃は大衆市場というマーケットをつくりだすために不可欠な市場の地ならしである。マーケットが階級別に分断されておれば、大量生産に適する市場を国内にもちえない。身分撤廃や平等は経済効率性のために必要な経済権力に有利な制度変更ではないのか。こんにちでいえば、グローバリスムと通ずるところがある。規格品的な大量市場を生み出すには民主と平等が必要なのである。

 また封建社会批判は教育で教え込まれ、民主的で自由な社会がひろがっているかのように夢想させる。学校を出て民主的な社会像で社会に出ても、現実に圧倒的に出会うのは封建制度のような権力構造や序列関係である。民主的で平等で、法律が守られた国は学校で教えられた空間の中にしかない。

 体育会系が企業でもてはやされ、上下関係を厳しく守り、企業には忠誠心を競うほうが生きやすいといった封建制度バリバリの現実もある。じつのところ、封建制度に生きることが社会で生きやすい処世術ではないのか。民主や平等を信じると、社会で手痛い目にあったり、愚かな道を歩んでしまわないか。

 たとえば女性は中世にはたいそう貶められ、夫を神仏のように思え、夫が悪くてもちつき従え、と差別的な処世を教えられてきたのだが、現代を男女平等の世界だとカンチガイすると、夫と離婚して仕事をさがしてもパートの仕事しかみつからず、子どもの代にもワーキングプアをひきずってしまうという現実の壁もある。

 表向きは民主的で平等な社会が標榜されていても、現実はこの世を封建社会や主従関係が厳然とのこっており、そこに適応することが賢明な生き方だと多くの人は悟っているのではないだろうか。体育会系や親分・子分の関係で生きること、これがいずれの社会でも賢明な生き方ではないのか。民主的で平等な企業社会などない。民主的で平等な社会を信じすぎるとバカな目を見る失敗があるのではないかとわたしは思う。

 封建社会は知識人に徹底的に批判されてきた覚えや経緯があるように思われるのだが、げんざいまとまった封建社会の批判変遷やその後におとずれた社会の良悪の検討はなされていないように思われる。封建社会批判はいいっ放しの放置研究で終わったのだろうか。いまは封建制ということばはほとんど聞かなくなったし、人々の意識にそのような後進性を批判するような意識もなくなっているだろう。

 封建社会批判の結果はげんざいの経済至上主義を後押しして、その後人々は幸福でゆたかな人生を生きられているのだろうか。封建社会批判の結果と反省がのぞまれる。

 ところで呉智英は『封建主義者かく語りき』という本を出している。この本を再度読み返したくなった。ただ経済マシーン国家への招来という点を指摘してなかった覚えがあるので、そのあたりは参考にならないかもしれない。


4575710776封建主義者かく語りき (双葉文庫)
呉 智英
双葉社 1996-07

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4198606196正統の哲学 異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒
中川 八洋
徳間書店 1996-12

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たとえば身分階級の撤廃は大衆市場というマーケットをつくりだすために不可欠な市場の地ならしである。マーケットが階級別に分断されておれば、大量生産に適する市場を国内にもちえない。身分撤廃や平等は経済効率性のために必要な経済権力に有利な制度変更ではないのか。
鋭い指摘ですね。かなり昔から、政治は経済によって誘導されてきたということかも。人間の意識だけが、3周ほど遅れて、息もハーハー、ついていけていない、これは永遠に差は開くばかり。経済は欲の衝突、人間性の摩滅がその付録、そして世は、むき出しの企みごとと、争いばかり。
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