HOME   >>  セラピー・自己啓発  >>  「人から必要とされないと生きている価値がない」となぜ考えるのか
08 28
2011

セラピー・自己啓発

「人から必要とされないと生きている価値がない」となぜ考えるのか

hituyou_20130412172612.jpg


 「人から必要とされないと生きている価値がない」という考え方をする人が多いようである。

 だれからも必要とされないなら死んだほうがいいという自殺願望にも傾き勝ちな考え方である。

 なぜ人はこんな自分を傷つけたり、他人を侮蔑するような考えを常識としてもつのか。

 わたしなんて人から必要とされなくても、自分の楽しみがあったり、存在しているだけで価値があると思うほうだから、どうも解せない。




 人から必要とされないと死んだほうがいいのか。必要とされない人は社会から抹殺されるほうがいいのか。

 必要とされないなら生きている価値がないという考えは、社会から不要な人を抹殺する思想、侮蔑・差別する思想とおなじである。

 人はどうしてこんな非人道的な考えに自分の価値や根拠をゆだねてしまうのか。必要とされないならゴミ箱行きの考えなんて、根本から人を侮っている。

 反面、人から必要とされないと価値がないという考え方は社会貢献や労働、愛や家族といった社会への献身や功績をたかめるはたらきをもつのはたしかだ。人の役にたったり、愛や家族の絆をふかめる考えをもたらす。

 しかし必要という限定をつけると、たちまちのど元に刃を向ける凶器になる考えになる。必要とされなければ、切り捨てられるしか仕方がないじゃないか。




 この社会は貨幣社会や交換消費社会である。

 なにか社会に価値あるモノ・サービスを売って貨幣を得て生活できるシステムになっている。必要とされることはそれだけの対価をなにかもっているということである。交換消費社会では生存の条件である。社会参入のパスポートである。

 しかしそれは交換社会における価値や役割であって、人間はそのシステムの価値や序列だけで生存の価値を決められるわけではない。人間の生存には社会の交換や役割だけではない、生存の価値というものがある。

 人の必要という価値のためだけに生きているのではない。

 必要という価値を生存の最低条件に設定してしまうと、自分の人生を苦しいものにしてしまう。必要とされない人間はお払い箱にされる価値観はそうなった瞬間、多くの人を吹き飛ばしてしまうだろう。

 また社会から必要とされない人を侮蔑したり差別したり、ときには排除や抹殺しろという考えにも転嫁してしまうだろう。生存の価値を社会の必要という条件に限定することは危険なことなのである。他人をも脅かし、自分をも脅かす考え方だろう。




 人から愛されないと生きている価値がない、自己肯定感を得られないという考えは女性にとくに強いようである。人生のパートナーを見つけ、子どもを生み育てるジェンダーには強烈な規範意識として植えつけられるのだろう。

 仲間はずれや孤独であることは「人格欠損」の目印として、強烈な警戒信号を感じとるように女性の規範として植え込まれているようである。

 友だちや結婚相手、恋人がいないことは「人格失敗」の烙印だと感じられることがとくに強い。女性は男性や子どもから必要とされることを生涯の糧として生きる。

 だけれど、この自分の価値を他人の必要に身を丸投げする人生、他人任せの人生には落とし穴が大きい。

 必要とされなかったら、愛されなかったら生きている価値がない、自己肯定感が得られないという結果に陥りがちである。

 人の必要や愛情は気まぐれで、いい加減で、時間的なものである。

 いつか終わりがきたとき、その価値観、考え方にすがりついておれば、乗り越えることがむづかしくなるだろう。

 存在の肯定はみずから育む必要があるのである。




 日本の男も会社人間や労働にまい進して、会社や組織から必要とされないと価値がないという思い込みが強いのだろう。この価値観に自分の人生・価値観をゆだね、同一視しすぎているのだろう。

 必要だけに価値観をゆだねすぎるとリストラや不要視されると自分の人生に価値はないと思い込んでしまう。98年ころからの自殺率増加の背景にはそういう要因があるのだろう。

 会社や労働の価値だけに自分の生存価値があるという思い込みで生きていると、その渦からはじき飛ばされてしまうと生きる糧を失ってしまう。自分の価値肯定を会社や労働にゆだねすぎてしまったのだ。

 その点、ニートは労働や会社の価値に自分の価値をゆだねない、否定するということだから、この種の衝撃には強いのだろう。会社や労働社会から捨てられることの予防線を先に張っているともいえる。

 ニートの考え方はじつは会社中毒の人間にはセラピーになる考えをもっているのだろう。もし会社の必要にしか自分の価値を見つけられないでいると、リストラされると自己肯定感を得られなくなってしまう。会社の必要に自分の生存価値を賭けてしまうといかに危うい結果になってしまうか。




 社会や人に必要とされなくなっても、どうやって自分の生存の価値を守るか。

 人の生きている価値を必要や交換の価値範囲におさめないことである。

 人間社会に役にたったり、価値あることを提供する以外に人間には生存の価値があるのだと知ることである。

 自然の生き物や植物は人間の役にたったり、道具になるために生きているのではない。みずからのために生きている。

 自然は人間のあずかり知らないところで、人間の役にたたないところで勝手に生きて、勝手にみずからの生存を繁栄させている。

 人間の道具的な世界観を捨ててしまえばいいのである。




 仏教もはじめから「脱世間」をめざしてきたのだから、人間の必要や道具、価値序列を外に追いやったり、客観視する目を養っている。いわば世間の役にたたず、価値にならない生き方をさいしょからめざしている。

 つまり世間の必要・価値から落ちこぼれ、無用になることによって、先に世間の価値序列から出てしまっている。こういう考え方を学べば、世間の必要と同一視する考え方から脱することができるだろう。

 ショーペンハウアーも人の役にたちたいという考え――承認欲や認知欲をひきおろすすすめを説いているから、この必要の承認から逃れる考え方を示唆してくれるだろう。

 仏教も世間から隠遁というかたちで、世間からの価値離脱をめざした考え方や実践をえいえいとおこなってきたのだから多くが参考になることだろう。

 人から必要とされなくてもちっとも平気だ、自分は自分なりの価値観と幸福をもって生きると考えるようになれば、人から必要とされなければ生きている価値がないという他人への丸投げの人生ともオサラバできるだろう。

 自分の人生の価値を他人任せにしてしまうほど危険な思想はないと思う。



人から必要とされなくても生きてゆくための参考になる本
清貧の思想 (文春文庫)「世間」の捨て方幸福について―人生論 (新潮文庫)もうひとつの愛を哲学する ―ステイタスの不安―日本の隠遁者たち (ちくま新書)

キリストにならいて (岩波文庫)座右版 寒山拾得困ったときの良寛さん―持たない生きかた!欲から離れる (知的生きかた文庫)ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)荘子〈1〉 (中公クラシックス)

関連記事
Comment

なるほど

孤独、疎外を感じてしまう人が増えているようですね。
自己価値を高めていくにはまずは自らの変化が大事だと思います。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

人は自分が思うほど、不幸でも幸せでもないそうです。
大事なのは生きるのに飽きたり、諦めたりしないことだそうですよ。

うだうだ書いてるけど要するに最後の本の宣伝が目的なんでしょ?それでいくら入るのか知らんけど、宣伝するならもう少しうまくやったほうがいいよ。

素晴らしい価値観だと思います!

必要とされてない人の気持ちなんて、
必要とされてない人しか、
分かんないよ・・・

即天去私

こんにちは。

人間は「比較」の中でしか生きられない。
僕はそう思います。

しかし、比較を小さくすることはできそうですね。
ここがポイントだと感じます。

世間の目など気にしないでいい。
気にするだけ疲れますから。

何か夢中になれるものを見つけること。
これが突破口につながる気がします。

未知なき道はただ1つ。
己をさらけ出すことですね。

ひろさちや、桜井章一、中島義道といった人たちは自由人です。
一般人ではありません。

つまり、彼らの考え方に傾倒するのではなく、自分を打ち立てることが一大事業となるでしょう。

余計な人付き合いは絶ち、趣味に生き、悔いの少ない人生を送りたいものですね。

良いお年を。

たいく~んさん、おひさしぶりですね。

人の決める序列とか評価にはまどわされずに、自分の楽しみだけしっかりつかみたいですね。

よいお年を。

何一つ心に響かない言葉ありがとうございます。

「そういう人」に気持ちがわからない人がなんでわかったように言えるの?
あなたも所詮「自分の考えがすべて」の狭小人間であるというだけ。
自分の意見を押し付けてるだけだね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

一生共に生きていこうと言ってくれる彼もいる
人間関係に恵まれた仕事もある
それでも自分は誰にも必要とされていないという考えから逃れられないままです
結局、子供産んでおけば良かったって気持ちに行き着く
無償の愛を獲得したかった

正しい言い回しなのでは?

「人から必要とされなければ生きている価値がない」というのは。

鬱病の人は「気のせいだ」といわれると侮辱されたように感じるようですが、実は彼らには気力がないので回復できないのです。それと似たようなことでしょうね。言葉自体には大した意味はありません。

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

何か違う気がします。
そうは言っても私は自分のやりたいことだけやるほど、何かに浸れない。
他人にいきる価値を委ねるのは、それだけ他人の目を気にしていることであって、それを何十年もやって来た人が簡単にやめられるわけがない。
これはもう体にしみついてしまってる。

かといって他人だけを意識しているわけでもない。なんだかわからない空虚感。
誰一人私を理解してくれない気持ち。だからこそ必要としてくれない、されない。だけど嫌われるのが怖い。

ただひたすらに自分に自信がないんです。私には趣味があるから、別に。
というあなただって、自分のそれを押し付けて思い込んでいるだけなのではないですか?

はなっから大事にされてる人間にはわかんねーんだよ居場所がねーから必要とされようとするんだろうが大事にされてねーからどうやったら生きてていいっていってもらえっか考えんだろうが

こんなに人生を全力で肯定するような文章を読んでなお、否定的な気持ちにすがるようなコメントが多いところを見ると、やっぱり社会的価値と自己を脱同一化できない人が多いんだなって思いますね\(^o^)/

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

「世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。」

or

「良いとか悪いとかいうことはない。考えがそれをそのように作るのだ」

No title

結局は『認知』の問題。
『認知』を、『認識』と『知識』の相互作用と捉える。
外界からの刺激は、『認識』というボトムアップ機構で入って客観的に処理しようとするが、
それをそのまま処理していたのでは非効率なので、既に持っている『知識』に基づいたトップダウン機構(思い込み、カン含む)が働いて、何々という事を納得させようとする。
その結果が、また既存の『知識』を再構成する。
間違っているかもしれないが、そう考えている。

>必要とされないなら生きている価値がない
は、基本的に自分に対してしか思うことはないです。私は。
それっぽいこと言ってるけど中身のない文章に感じますね。
Trackback
title>
Trackback URL
Comment form









管理者にだけ表示を許可する






google adsense
全ての記事を表示する
ブックガイド特集
月別アーカイヴ
プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

twitterはこちら→ueshinzz

FC2カウンター

Page Top