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![]() | ぼくは農家になった 今関 知良 彩図社 2009-09-29 by G-Tools |
農業をやりたいからではなく、山奥で暮らしてみたいという願望を思いついて、生計を立てるひとつの方法として農業はどうはじめるんだろうとこの本を読んでみた。
農業をやりたいという思いはひとつも思ったことがない。大阪育ちのわたしに農業で生計をたてる選択肢はなかったし、現実味もないし、家庭菜園とかをやってみようという気持ちももったことがない。だいたい植物全般に興味がない。ただ自然のすばらしい景色のなかで暮らしてみたいという思いがあるだけである。
都会や消費のこだわりももう失せた。都市に暮らす魅力はほとんど感じない。仕事と生活の便利さ、いぜんから住んでいるという理由だけで都市に暮らしている感じだ。景色や暮らす環境なら、圧倒的に山奥や田舎のほうがいいと思いはじめた。30代から山登りやバイク・ツーリングをしてきた結果だ。むかし中野孝次『清貧の思想』や隠遁本、ヘンリー・ソーロー『森の生活』を読んだ影響もあるかもしれない。
著書は50歳までサラリーマンをやっていて、千葉県で有機農業をはじめ、徳島県の山川町で農地を購入した人だ。その経緯がこの本で描かれており、農業をはじめたい人のシミュレーション・モデルとなる本になるだろう。
さして感慨はないが、この本を読んで農業をはじめる追体験をすることができた。わたしにはまだまだ現実味はないわけだが、野菜づくりとか農業の選択肢とかいつか効いてくるかもしれない。
農業の豆知識としていくつかの知恵をのこしておく。
農業は一年周期のくりかえしだが、ことしうまくいった方法が来年もうまいくいくとは限らない。何十年もやっている人でもことしは失敗した、新しい方法を考えなければ、というそうである。田舎ではいろいろ教えてくれる人がいるが、人によっては正反対のことをいうそうで、百姓には百姓通りの方法がある。
畑の野菜作りは米の数倍手がかかる。稲作は田植えがすめばたまに見にいけばいいが、畑はそうはいかない。畑は家の近くになければならない。
「春夏野菜は果菜類、秋冬に葉もの」といわれている。虫がいるときに虫に食べられないものをつくり、虫に弱いものは虫がいないころにつくる。春夏野菜で葉ものをつくったら食べつくされてあとかたもなくなる。
借地はやめておいたほうがいい。どうせ長いあいだつかっていない畑だからタダで貸すよといわれて、竹やぶのようになっていた畑を開墾し、立派な畑にしたら、二年後に返してくれといわれた話は山ほどある。
むかし「百姓百品」といわれ自給自足のうえに農業はなりたっていたが、いまは単品生産で現金収入をえているので百姓ですら野菜を買って食べている。自給自足で多種類の野菜をつくることはめずらしく、「なにをつくっているの?」という質問になる。
わたしは野菜や果物はスーパーで買うものとしか頭にない。自分でつくったり、つくったものを自分で食べるという発想がハナからない。そこらに生えている自然のものは食べられないのじゃないかという発想をしている。スーパーで清潔に管理したものしか食べられないんじゃないかと思っている。だから自分で野菜や果物をつくってみようという発想はほぼない。自然や地に足のついた生活をしていないものである。分業生産はこういう発想の人間をつくりだすのだよな。
▼農業関係で読んだ本。昭和恐慌下での農村のくらし。
『窮乏の農村』 猪俣津南雄





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