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10 28
2005

読書

本離れの時代に本好きを叫ぶ。


 

 本を一ヶ月に一冊も読まない人が半数以上いるそうである。読売新聞の調査によるとだから学校の授業が大事だとか、新聞の教育が大事だとか、いっている人が多いようである。

 げーっである。そういう連中が読書をいちばんつまらなくするのである。エンターティメントに優れていないと、みんなにそっぽを向かれるだけである。TVやマンガやゲームがある時代になぜ本なんて読む気が起こるというのだろう?

 私も十代はまったく本を読まなかった。マンガにTVに音楽、映画があれば、十分であった。活字なんか読めなかった。

 ただ本を読むことは知的であるというイメージや憧れはあったのだろう。私が本を読むようになったのは、読書もファッショナブルであると知らしめた村上春樹の『ノルウェイの森』と出会ってからだと思う。ファッションのブランドに凝っていた私は、知的なブランドを求めたのだと思う。かなり遅れて「ニュー・アカデミズム」の思想家にハマった。思想には深遠で、超越したなにかがあると思ったのだ。

 読書はカッコイイとか、ファッショナブルであるとか、優れている、といったイメージがないとたぶん多くの人は本を読みたいと思わないだろう。基本的に人の行動の多くは、人にいいように見られたいという動機に占められていると思う。そういうカッコよさを呈示できない行為は、たぶん人から求められるものになりえない。

 ひと昔まえは読書や知識がカッコイイとか、ファッショナブルであった時代もあったようである。エリートであるといったイメージも付帯していたときもあったのだろう。いまは読書にそういうイメージはまったく欠如してしまった。クソまじめで、権威や政府に盲従する優等生みたいなやつや、クライといったイメージしかないだろう。

 本の著者は映画俳優やロック・ミュージシャンのようにカッコよさを宣伝しないと、かれらと互角には闘えないだろう。見た目のカッコよさというものが、やはり多くの人が是が非でも身につけたいものなのである。

 読書界は本離れを毎年のように嘆くのではなくて、見た目のカッコよさというものを磨く必要があるのだと思う。戦略としては本を読まない人をバカだとかけなす方法もあるのだが、マイナスの要素から強制的に人に本を読ませてもたんなる飾りに終わるだけだろう。車のようにグレードやヒエラルキーをつくって、「いつかはクラウン」のような序列を叩き込むのも方法かもしれない。

 本を読まない時代に私はとりわけよく読む部類に入るのだろう。「これはなんでだろう」「これはなぜこうなっているのか」と追究するために本を探す習慣を身につけてしまったから、読書はやめられないのである。自分の疑問を解くために本は欠かせない道しるべとなったのである。そういう謎解きの方法を知ってしまったから、私は読書の楽しみから離れられなくなったのである。

 多くの人がいうように本を読まなくてもなにも困ることはない。なんの損失もない。養老孟司のいうように「知らないことは存在しないこと」である。存在しないことの欠如はなんの痛みももたらさない。

 ただ、世の中はわからないことだらけで、悩んだりすることが多々あると思う。そういうときに数々の知見や洞察、知恵が凝縮された優れた本と出会わないことは損失になると思うのである。

 本というのは二千年以上も人間の知恵を伝えるゆいいつのメディアだったのである。世の中を少し知ることで、あるいは悩みの解決法を知ることで、私の人生はすこしはマシなものになるかもしれない、読書はそういう機会を与えてくれるのである。TVやマンガは情感は味わせてくれるが、直接にはそういうことを教えてくれないのである。

 ▼人類の叡知
菜根譚CIMG00031111.jpgCIMG00021112.jpg自省録

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