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05 10
2011

書評 心理学

『時間と自己』 木村 敏

4121006747時間と自己 (中公新書 (674))
木村 敏
中央公論新社 1982-01

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 再読である。以前読んだときは禅や東洋宗教の考え方を理解していなかったので、それを知って以後、再読したいと思っていた。精神異常といわれる人の自我観や時間観というのは病気に範疇に入るよりか、東洋宗教でいう悟りに近かったり、自我の希薄性に気づいたからとはいえないのだろうか。

 精神異常といわれる人の時間観とはどのようなものだろうか。

「時間の流れもひどくおかしい。時間がばらばらになってしまって、ちっとも先に進んでいかない。てんでばらばらでつながりにない無数のいまが、いま、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるだけで、なんの規則もまとまりもない」「時間が経って行くという実感がない」「時と時のあいだがなくなってしまった」

 離人症患者の言葉だが、時間感覚の異常さは自己への感覚の喪失にも通じる。「自己を失い、存在感を失い、時間を失っている」のである。時間感覚に異常を感じる患者は、自己の非存在感、自己の喪失感にも悩んでいるのである。「わたし」というのは時間によって生まれ、あるいは時間が自己を生み出すのだろうか。

 ある分裂症患者(げんざいは統合失調症)の言葉である。「自分というものから一刻も目を離すことができないのです。すこしでも眼を離したら自分がバラバラにこわれてしまいます」。かれは美しいもの、うっとりさせるものを極端に恐れるという。それに夢中になると自分が消えてなくなるからである。

 別の患者は、「いつも気を張っていないと、他人がどんどん私の中に入ってきて、私というものがなくなってしまう」という。

 分裂病は「一貫して自己の自己性の不確実さという主要動機をめぐって展開している」

 分裂病の患者はつねに未来を先どりし、兆候の世界で生きている。「もっとも遠くもっともかすかな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」。「むしろその事態がまだ現前していないということに恐怖と憧憬を抱くのだというべきだろう」

 木村敏はこの未来先取的なありかたを「アンテ・フェストゥム的」とよんでいる。「祭りの前」だ。「前夜祭的」ということである。それに対してうつ病は「取り返しのつかぬことになった」ということで悩むそうである。「後の祭り」である。うつ病の発病状況はすべて「所有の喪失」として理解できるとしている。自己の存在をそれまでしっかりと支えてきた秩序が失われたときである。

 てんかんも精神病理としてとらえられているが、ドストエフスキーの描写を読むとそれはまるで悟り、神秘体験と同じである。

「完全に獲得されたる永久調和の存在を、直感するのだ。これはもはや地上のものではない。…まるで、とつぜん全宇宙を直感して「しかり、そは正し」といったような心持ちなんだ。…何より恐ろしいのは、それが素敵にはっきりしていて、なんともいえないようなよろこびが溢れていることなんだ」

「ちょうどかれら無数の神の世界から投げられた糸が、いっせいに彼の魂へ集まった思いであり、その魂は「他界との接触」にふるえているのであった。彼はいっさいにたいしてすべての人をゆるし、それと同時に、自分のほうからゆるしをこいたくなった。おお! それは決して自分のためでなく、いっさいにたいし、すべての人のためにゆるしをこうのである」

 精神病理であつかわれている症例というのはことごとく自我の不確実性であったり、あるいは神秘体験に近いのである。それはまるで哲学者が自我の脆弱性を言語的に考えるにたいし、かれらは感覚で、体験でそれを感じるといえるだろう。かれらはひとむかし前なら禅者であり、求道者であり、シャーマンであっただろう。

 エックハルト・トールは思考と時間についての過ちについてわかりやすく解説しているが、思考というのは過去や未来にしか存在しない。いまという瞬間に思考はないのである。そして過去や未来はもう存在しないのである。つまり頭のなかで考えることはすべていまはもう存在しない。われわれは存在しない過去や未来、空想にいかに苦しめられる毎日を送っていることか。そしてそれはもはや存在しないのである。

 ハリー・ベンジャミンはグルジェフとクリシュナムルティの教えから、自我は空想の産物にすぎないと見なしている。頭の中のおしゃべり、不満、愚痴が「自我」をつくる。そしてそれは「実体」としてこの世に一度も存在したことはないのである。すべて頭の中の「仮構」である。しかしこの頭の中の「わたし」を実体あるものとして人は勘違いしつづけるのである。地図をじっさいに地上と思うようなものである。

 こういう考え方からすると、精神病者といわれてきた人たちの時間観、自我観というのははたして病気とくくる範疇のものなのかという懐疑がわきあがる。時間や自我の空想性や脆弱さを体感したからこそ、かれらは時間や自我の不確実性に悩むようになったのだといえないか。通常ふつうの人が感じない日常性の隘路に落ち込んでしまったのである。感覚の鋭敏さやある種の神経質さが、かれらをそのような感覚の世界に誘い込んだのである。

 かれらは時間や自我の確実性や堅牢さをとりもどすべきだったのだろうか。それとも時間と自我のちょうつがいを外した世界に漂うべきだったのか。時間と自我の手すりをなくした世界から離れることははたして狂者になることか、それとも悟った人になることなのか。なんだか自我と言語のちょうつがいをなくせば、狂者になってしまいそうなので、自我と言語の手すりを失ってはならない気がするが、覚者とよばれる人はその手すりをどうやって手放さずにいられるのだろうか。


▼わたしの書評です。
エックハルト・トール『人生が楽になる超シンプルなさとり方
ハリー・ベンジャミン『グルジェフとクリシュナムルティ

4199060030人生が楽になる 超シンプルなさとり方 (5次元文庫)
エックハルト・トール 飯田 史彦
徳間書店 2007-11-09

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4795223661グルジェフとクリシュナムルティ―エソテリック心理学入門
ハリー ベンジャミン Harry Benjamin
コスモスライブラリー 2000-09

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自己・あいだ・時間―現象学的精神病理学 (ちくま学芸文庫) 異常の構造 (講談社現代新書 331) 自分ということ (ちくま学芸文庫) あいだ (ちくま学芸文庫) 精神医学から臨床哲学へ (シリーズ「自伝」my life my world)

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うえしん

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