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03 07
2011

社会批評

自己否定・失敗の名言・言葉の非実在

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 さいきんのめぼしいツイートをまとめました。


自己否定を笑え

就活生の7人に一人がうつというのはよくわかるなあ。自分が望まれていない場所に自分を売りにいかなければならないわけだから。自己否定される自分を笑える強さが必要か。 『就職がこわい』 香山 リカ

訪問営業できる肝っ玉というものはどうやったらできるのだろう。ドアの前で断りつづけられることは恐怖だろう。そういう肝っ玉をもっていないとかんたんに自己否定におちいる。拒否されたり、否定される自分を( )に入れるとか、どこかべつの存在と棚上げするのがいいのか。否定に深刻にならない。

自分が望まれない場所に平気にしゃしゃりでる強さや勇敢さを誇ればいいのか。自分が嫌われたり、否定される場所ならなおさら出て行ってやるという鈍感さ、ヘンな勇気をもつことが就活に勝つコツか。

嫌われたり、否定される自分を大事に抱えすぎるんだな。そんな自分であってはならないとか、どうして自分は嫌われるのかと、そのことを深刻に捉えすぎる。嫌われたり、否定される自分を「ああ、さよか」で捨てなければならない。

学生の時は友だち一緒主義でグループから外れればその居場所を失ってしまう。だからひたすら嫌われないようにふるまい、嫌われることを恐れるようになる。就活なんて自分が嫌われる場所に出て行ってどうぞわたしを受け入れてくださいとお願いしなければならない。嫌われる自分をパロッたらいいのか。

嫌われたり、否定されてもはねかえす力が必要であり、それに深刻になったり、もっとその気もちを掘ろうとしたら落ち込むほうばかりにひきずれこまれるから、さっさとその痛手を捨てなければならない。この痛手をスルーする力をつけることが必要。


失敗の名言

「才能がありながら成功しない人間は掃き捨てるほどいる。この世は教養ある落伍者であふれている。粘り強さとやり通す覚悟のみが全能である」 アンドリュー・マシューズ

「臆病でためらいがちな人間 にとっては、一切は不可能である。 なぜなら、一切が不可能なように見えるからだ」 ウォルター・スコット

「失敗を恐れるより、挑戦しなければ成功は訪れないものだと考えよう。もしうまくいかなかったら恥ずかしい思いをするのではないかと恐れるより、もしかして成功するかもしれないチャンスを逃してしまうことを恐れよう」 ロバート・シュラー

「失敗とは、不名誉なことではなく、勇敢に挑戦したあなたの態度は高く評価される」

「失敗とは、もうあきらめなさいという意味ではなく、もっと努力しなさいという意味だ」

「何もしないで成功するよりは、何かに挑戦して失敗するほうがましだ」 ロバート・シュラー

「すべての終わりは、新しい出発だ。すべては終わりだと思えても、それは新しい夢、新しい挑戦、新しいチャンス、新しい夜明けの前の一時の暗闇にすぎない」 ロバート・シュラー


共同主観の嫌悪感

宗教というのは神仏を信じることであったりするのだが、なぜそれがほかの集団から切り離される契機になるのだろう。なにかを知っていたり、信じれば、なぜほかの集団と異になるのだろう。

新興宗教の不快感というのは、人や集団のつながりを嫌悪して無縁社会をつくった気もちと同根な気がする。人のつながりを気持ち悪いと思う気持ちが無縁社会をつくったのであり、人はどうして人のつながりを嫌悪したのか。宗教のような共同主観の信念を嫌悪する現代人。

共同主観の信念はナチスや大日本帝国、共産主義のように集団をかためて破壊的な集団活動にみちびくという懸念があるのだろう。この嫌悪感というのは無縁社会をつくって、産業社会や消費社会のアトムな個人を創出するのに一役買っているのだろう。

産業社会や消費社会にくみこまれるためにわれわれは共同主観の信念を嫌悪し、排斥する。共同主観を排斥すれば、人はマーケットのシステムに奉仕する無力なアトムになるからか。経済活動のアトムたれという宣告か。


学歴社会と日本衰退

日本が衰退したのは学歴社会になったからだというのはひとつの要因だろう。学歴は労働の軽蔑と商業の軽視をみちびく。商売人のカンとか計算をもてない。厳しい商業社会でしのいでゆくという戦略をもてない。学歴をもてば大企業でエスカレーターで出世できるという幻想が鋭利な競争心を磨くとは思えない

学者の目標やベクトルと商売人のベクトルが同じわけがない。学者は知識の探究に価値をおき、商売人はどうすれば利益をうるか、どうすれば利益をえられる商売やサービスをつくれるかを考えて行動する。日本人は学者ばかりになって、商売人を消滅させてしまったのである。

日本の企業が学歴階層を採用したのは学歴が社内出世の不満の少ない選抜方式だったからだろう。実力主義とか成果主義になると出世選抜をめぐっての社内抗争に歯止めがかからなくなる。学歴で決まっていたほうが人の信認をとりつけやすかったからだろう。

日本は学者を育てるより、商売人を育てるほうに方向転換したほうがいいのではないかと思う。学者ではメシが食えない。商売人の目的と戦略をはやくに理解させたほうが学生にとっても生きる力になる。学者に商売で食ってゆく力はあるだろうか。


言葉と過去の実在性

言霊思想というものがあるが、たいていの人は言葉と思考の実在性を信じて疑わない。言葉の実在性に囚われて、その世界にどっぷりつかっていることに気づかない。

森の中のある木の名前を知っている人はその木が実在する。知らない人はただの森。その木が実在しない。ある虫の名前を知っている人はその虫が実在するが、知らない人には実在しない。虫がいるだけ。

言葉の世界の実在性を客観視できること、脇にどけることができること、ふっと空想だと捨てることができること、それが悟りに近づくことなんだろう。

言葉の世界は地図にすぎない。地図の世界を実在の世界と勘違いする。地図の世界に追い立てられて、苦しめられる。言葉と観念の世界が実在すると勘違いする。

言葉の世界で実在をつくるのなら、過去も言葉によってつくられた虚構のひとつの機構。過去なんてない。時間はいましかない。過去とは現在の心象であって、過去がいちどもあったことはない。大森荘蔵「時は流れず」。

鳥はどこかにエサを埋めると記憶がないと掘り返せない。記憶はそうして生れたのだろうが、記憶は実在するものではない。脳の心象であって、実在するものではない。人間は過去を実在のように捉える。過去はただの記憶であり、存在しないもの。実在すると思うから過去に苦しめられる。

養老孟司の「バカの壁」は言葉の実在性のウソを暴いた本だと思うが、何百万も売れてそれを理解した人はどのくらいいるのだろう。

知っている言葉によって、見ている人の世界は違う。それを「バカの壁」といったと思うが、おおくの読者は知的にバカと思われたくないからベストセラー購入に走った気がする。


非在の苦悩

「Q~わたしに思考探究」は時間論。わたしは仏教的な時間論にひかれるから西洋の客観的時間論には興味をうしないかけている。時間とは記憶や言葉がつくるものであって、じつは時間なんてないのではないか。記憶能力がない単純な生物に時間はあるのだろうか。

時間で問題になるのは思い出すことで苦しみや苦悩の時間をつくってしまうこと。われわれの苦悩は記憶や言葉による想像によってつくられる。記憶や想像がなければ苦しまないのにわざわざ思い出して苦悩する。まるで火中に手をつっこむようなもの。

想像力が人間の苦悩の源泉で、想像力を断てば苦悩もなくなる。過去の苦痛も思い出すことにあるのであって、過去はもう存在しない。存在しない過去に苦しめられるというこっけいな目にあう。つまりは記憶や想像力が四六時中の苦悩を人間にもたらした。存在しない幽霊に脅えることが出来るようになった。

過去や想像や記憶が実在すると思うことによって、人は苦悩をつくる方法を覚えてしまった。存在しない絵空事にリアリティを感じる大脳皮質の機能が人に存在しない苦痛を生み出すようになった。想像力や記憶は両刃の剣。

思考や言葉を心から断つことによって大脳皮質の苦悩を終わらせることができる。しかし人は思考や自我の正当性を信じ、そのほかの選択肢を知らないで、思考や想像力の海で溺れることを選ぶ。想像力のリアリティを手放すことができない。この世界がわたしがわたしであるゆえんであると思い込む。

時間はつぎつぎに流れる。いまはすぐに過去になり、存在しなくなる。過去あったことも頭の記憶だけになり、実在しない記憶だけになる。しかし思い出すことによってリアリティを獲得する。そのために存在しないものに苦痛を抱く。道元も時間のこの性質を指摘していた。

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プロフィール

うえしん

Author:うえしん
世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。神秘思想、仏教、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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