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02 22
2011

書評 哲学・現代思想

『ギリシア哲学と現代』 藤沢 令夫

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ギリシア哲学と現代―世界観のありかた (岩波新書 黄版 126)ギリシア哲学と現代―世界観のありかた (岩波新書 黄版 126)
(1980/07/21)
藤澤 令夫

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 十数年前に読んで感銘したおぼえがある。物質的な世界観を問い直したい気持ちから再読した。

 どうして世界のあり方と人間の生き方の知識は乖離してしまったのか。人間の根本的な知覚や言語の勘違いをさぐっていってプラトンやアリストテレスのギリシャ哲学にさかのぼって再検討する本。

 物質的な世界観を追求することによって技術や科学は進歩したわけだが、効率や合理化に追われて心のやすらぎや人としての生き方がおろそかになっている。根本的な世界観に過ちがあるのではないか。

 世界を物や機械のあつまりのように表象し、世界には感覚も価値も目的もない世界として捉えられる。そのような機械論的世界観をうみだした考え方はなにか。

 それは「主語・述語=実体・属性」の捉え方にあるという。主語となる物があって、それに依存して述語や形容詞的な属性があると捉えられる。物というのは知覚によってどんどん変わるのだが、物そのものが変わると考えれば収拾がつかなくなる。だから人は同一の物があると生存の有益性から捉える。

 物の色・におい・味はそれ自身にあるのではなく、人間の感覚器官がひきおこすものである。しかしその感覚知覚を抜きにした物なんてあるか。それは不変の原子があるという原子論にいくつく。物的な実体の解体と解消がめざさなければならないという。場の描写的な記述が必要だという。ここに物があるではなくて、ここに物が見えるである。ややこしいが、人間のふつうの知覚のなかに世界の二元論をひきおこす認識があるということだ。

 この短い説明の仕方でいいのか心もとないが、理解することと説明できることには開きがあるようだ。市川浩のコト分けとモノ分けの世界観に近い気もするが、著者はそんな単純な二元論ではないと否定する。

 これを読んでいて思ったのはギリシャ哲学を経由するより、言語学を用いたほうがいいのではないかということだ。母国語が世界観を規定するといった「サピア=ウォーフの仮説」のような言葉のあり方を問うほうが近道ではないかという気もした。フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機』もこれと似たようなことをいっていたと思うが、違いがどこにあるのかわからない。

 こういう基底的な哲学を読んでいると人間の認識の根本をえぐっている気がするのだが、技術・科学の物質的世界観はこれらの哲学をぶつけてもいますぐに変わるというわけではない。即効性のない根本的な哲学の空しさを感じる現実主義な目をだいぶわたしはもつようになった。

 どうすればいますぐ効率・合理主義の人間の生を無価値化、収奪する世界観を変えられるのか。哲学はいますぐわれわれの貧困で効率化された人生から救ってくれるのか。そう考えれば根本的な認識を問う哲学はひじょうに迂遠で、まわりくどい記述に思えた。がりがりの現実主義で、即効薬がほしい非ロマンチストになったなあ。

 わたしはかなり心理主義的なものの見方をもつのだが、物質主義的な世界観でものや人を捉える人が多くいたり、そちらのほうが安らげると思ったり、心理主義的な考えは精神論や根性論として排斥したい人もいるようだ。機械論的な物質観で世界を捉えるほうが心地よい、あるいは正当だと思う人のほうが多いのかもしれない。物質主義に還元する世界観をどうして選択したいのかわたしにはわからない。けれど物質主義的な生死感は確実にもっているのだが。


〈身〉の構造 身体論を超えて (講談社学術文庫)言語・思考・現実 (講談社学術文庫)言語―ことばの研究序説 (岩波文庫)ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)偶然と必然―現代生物学の思想的な問いかけ

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Comment

こんにちは。

>どうすればいますぐ効率・合理主義の人間の生を無価値化、収奪する世界観を変えられるのか。哲学はいますぐわれわれの貧困で効率化された人生から救ってくれるのか。そう考えれば根本的な認識を問う哲学はひじょうに迂遠で、まわりくどい記述に思えた。がりがりの現実主義で、即効薬がほしい非ロマンチストになったなあ。

《哲学的思考による追求》:人間の苦しみ・この世界の混乱の原因は何か?→人間の二元的な認識が原因→人間の自我自体が二元的存在である。二元的自我がこの世界を作っている。「見るものと見られるものは同じものである」よってこの二元的である自我によって問題を解決する事は出来ない。→《自我の滅却の追求》:インド伝統思想、仏教、禅、クリシュナムルティその他の神秘思想に行き着く。

「あなたのおっしゃる事は真実らしく思えますが、難しすぎます。もっと簡単な方法はないでしょうか?」と、あなた方は尋ねますが、それ以外の道はないのです。ーーーーークリシュナムルティ

こうして我々はジレンマに陥るのです(笑)

東洋も西洋もダメとなったら、あとはなにがあるのでしょう。

言葉や認識が問題としたら、それらをいますぐ外した伝達や認識はありうるか。

哲学も宗教もそれ自身の知識・教義にはまってしまって目的化してしまいますね。

一朝一夕にはなにも変わらないのでしょうね。

共感!^^

わたしはソシュ-ル言語学との近似性を感じました^^。
・・・井筒俊彦氏の「意識(と無意識)のゼロポイント」にも非常に重なってるようにも思います。
モノ(とコト)の世界は、はじめにそれらが成立しているのではなくて、言語がはじめにまずあって、その言語でモノ(やコト)を見ているのだ、という・・・一見、常識と正反対の世界観ですよね!^^
・・・コトバの綾なる世界にからめとられ・・・それ(コトバ)以前に戻れないフツウの常識的人間・・・という井筒ワ-ルド・・・ソシュ-ルとの重なりを感じると同時に、藤沢氏のプラトン読みに同じ世界を強烈に感じました!^^
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世の中を分析し、知る楽しみを追究しています。興味あるものは人文書全般。ビジネス書、労働論、社会学、現代思想、経済学、心理学、精神世界、歴史学。。 そのときの興味にしたがって考えています。

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